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[エッセイ]意志についての試論――どこにも行くところがない者のために 1.

1.シーシュポス神話的思考実験

カミュの『シーシュポスの神話』中に次のような一節がある。

ある日、《なぜ》という問いが頭をもたげる、すると、驚きの色に染められたこの倦怠のなかですべてがはじまる。《はじまる》これが重大なのだ。機械的な生活の果てに倦怠がある、が、それは同時に意識の運動の端緒となる。意識を目覚めさせ、それにつづく運動を惹き起こす。それにつづく運動、それは、あの日常の動作の連鎖への無意識的な回帰か、決定的な目覚めか、そのどちらかだ。そして、目覚めの果てに、やがて、結末が、自殺かあるいは再起か、そのどちらかの結末が訪れる。倦怠それ自体にはなにか胸のむかつくものがあるのだが、ここではぼくは、倦怠とはよいものだと結論しなければならぬ。なぜなら、いっさいは意識からはじまり、意識の力によらなければ、なにものも価値をもたないからである。

カミュ『シーシュポスの神話』清水徹訳、新潮文庫、1994、p.24

意志について思考するにあたって「なぜこんな苦労をしなければならないのか?」という問いは重要であるとオレは考えるぜ。その取っ掛かりとして不条理な状況に置かれた動物についての思考実験から話を始めてみたい。

たった独りで生きてきた獣がいたとしよう。ヤツはこの世に産み落とされてから、誰に教えられたわけでもないのに、生きていくためにやる必要があることを本能的に実践してきた。ヤツにとって生きていくということは、外部からやってくる刺戟に反応する方法、内部から湧き上がってくる衝動を解消する方法を探すことだ。ヤツは自分に突きつけられた条件や環境に疑問を抱くことなく、ただただ受け入れてきた。

そのような獣が、もし生の可能性を断念せねばならないような困難で苦しい状況に陥った時、はたしてヤツはその状況を打破しようとするだろうか? ヤツのそれまでの生活から、どうやってその「動機」を引き出すことが出来るのだろうか? 断言するが、ヤツは決して生き永らえようとはしない。

もはや生きていても仕方がない、残っているのは苦難に擦り切れる魂だけだという認識に至った時、そんな状況に抵抗し、それでも生きることを選ぶとしたら、その時の根拠とは一体何だろうか、ということでもある。

抵抗の根拠を考える前に、先の獣を「しつける」ことは可能かどうかを考えてみよう。もしくはしつけられた姿を想像することを。獣はしつけられているように見せかけることは出来るかもしれない。たとえば、密猟者たちによってサーカスへ拉致されて、鞭で芸を仕込まれたのならば。ヤツは苦痛を避けるために行動するだろうし、場合によっては反撃したり、逃亡を図ったりするだろう。

しかし、ここでオレが考えてみたいことは、抑圧的な規範に見せかけ上の従順さを発揮することについてではない。しつけとは何も体罰ばかりを意味するのではなく、未来の出来事(自分が死んだ後に起こる出来事でもいい)にコミットする姿勢、約束を守る能力を育もうとすることでもある。

誰かとどこかへ出かけることを約束した時、その履行を確実にするために前日の夜更かしは控えたりするなどといった、ちょっとした工夫を含む。あるいは約束を破ってしまった時に謝れる態度でもいい。つまり共通の目的のために他者に自発的に協力する能力をあの獣は持っていない。その意味でヤツをしつけることは不可能だ。獣にとって鞭は自分を取り巻く自然現象の一つでしかないからだ。

死に抗おうとする最後の根拠があるとすれば、それはこの約束を守る能力の背景にある、他者への配慮――もっと言えば、他者抜きの生を考えられない意識そのものだとオレは考えているぜ。

この思考実験を保証するようなサン=テグジュペリの証言がある。同僚アンリ・ギヨメが郵便飛行中にアンデス山脈に墜落した時、ヤツは一週間も食わず眠らずで歩き通し、奇跡的に助かることとなった。

〈ぼくはできるだけのことはしてみた、それにぼくにはもう助かる希望もないのだ、それなのになぜいつまでもこの苦しみを続けようというのか?〉この世界の内に平和をもちきたすのに、きみはただ目を閉じてみるだけで足りた、世界じゅうから岩石や、氷塊や、雪塊を、きれいさっぱりなくしてしまうのに。このありがたい瞼をちょっと閉ざしただけで、ただそれだけのことで、打撃も、転倒も、裂けた筋肉も、焼きつくような凍傷も、牡牛のように歩き続ける身にとって、山車より重いこの生命の重荷も、すべて何もかもなくなってしまうのだ。すでにきみは、毒薬になってきたこの寒気、いまではモルヒネのように、きみの全身を快感で満たしてきたこの寒気を、味わいはじめていた。きみの生命は心臓のあたりに逃避していた。何ものか、快くそして貴重なものが、きみ自身の中心にわだかまっていた。きみの意識が、いままで苦痛に満たされた動物のようだったきみの肉体の遠い部分をだんだんに見捨て、大理石さながらの無関心を分つようになっていた。
 きみの懸念までが落ち着いた。すでにぼくらの呼ぶ声はきみには届かなくなっていた。より正確に言うなら、それはきみにとって夢の中の呼び声と変っていた。きみは幸福な気持で夢に歩いてそれに答えた。楽な大股な歩行が苦もなくきみのために平野を歩く楽しさをもちきたした。いかに悠々ときみがすべりこんでいったことか、きみのためにこうまでやさしくなった世界の中へ! ギヨメ君、きみはやぶさかにも、ぼくらに向って、きみの帰還を拒もうと決心したのだった。
 動揺はきみの良心の深部にわいた。夢のような思いに、急にはっきりした現の事相が加わった。〈ぼくは自分の妻のことを考えた。ぼくの保険証書は、彼女を窮乏から救ってくれるだろう。そうだ、だが保険会社は……〉
 失踪の場合、法律上の死の認定は、四年後になる。他のさまざまの映像を消し去って、この一事が明確にきみの心に映った。ところがそのとき、きみは急勾配の雪の斜面に腹這いになっていた。きみの遺骸は、夏が来たら、雪解けの泥に運び去られて、何千とあるアンデス山中の沢の一つの奥へ転落してしまうはずだった。きみはそれがわかっていた。だがきみには、五十メートル先に一つの岩角が雪の上にのぞいていることも同じくわかっていた。〈ぼくは考えた、起き上がってみたら、あそこまで行けるかもしれない、そしてあの岩に支物をして自分の体をしっかり当てがっておいたら、夏になって、人が見つけてくれるかもしれない〉
 さて起き上がると、きみは三日二夜を歩きつづけた。 

サン=テグジュペリ『人間の土地』堀口大學訳、新潮文庫、2015、pp.58-60

疲労困憊にあり、心臓が止まりかけてすらいるギヨメを奮い立たせたのは「自分の遺体が発見されなければ、妻に保険がすぐ下りない」という心配だった。そのことへの責任の自覚がヤツを歩かせることになったのだ。

サン=テグジュペリは、そのような責任感を大きな公共事業に参加する職人たちの精神のように描き、それがニンゲンをニンゲンたらしめていると考えていた。疲労感に打ちのめされ、今自分がやっていることについて疑わざるを得ないが、かといって放棄するわけにもいかず、やるせなくも現在の行動を継続することを「意志」と呼ぶとすれば、先の獣は「意志を持っていなかった」と言える。

獣は、ヤツがどうしようもなく愛する他者、恨みを晴らすまでは死ぬに死にきれないような、憎くて仕方ない他者の記憶を持っていない。ただ生きるために生きるヤツは孤独を知らない。もし獣が誰かの記憶を保有しているのであれば、今まさに死に頻してる時、その誰かについて想いを巡らし、悲しみなり、悔しさなり、何らかの情動を抱くはずなのだ。

しかし、ヤツは誰との間にも絆を持っていない。だから、死ぬことへの恐怖よりも勝るぐらいに苦しい状況に追い込まれてしまえば、ヤツにはそこから抜け出そうとするだけの内的な根拠がなくなってしまう。その獣がボロボロに傷ついた挙句、雑草一つ生えていない荒野に放り出されて、飢えと渇きに衰弱していき、やがて倒れたのなら、そこが最後、ヤツは易々と自分の命を自然の手元へそっと返すに違いないというわけだ。

この獣の最期と似た行動についてはV.E.フランクルのユダヤ人強制収容所体験の記録を参照することができる。

これに対して一つの未来を、彼自身の未来を信ずることのできなかった人間は収容所で滅亡して行った。未来を失うと共に彼はそのよりどころを失い、内的に崩壊し身体的にも心理的にも転落したのであった。このことは一種の危機の形でしばしばかなり急激に起きることもあった。そしてその危機の現われ方はかなり経験のある囚人にはよく知られていた。われわれ各自はこの危険が始めて現れる時を――自分自身に対してよりもむしろ友のために――恐れるのであった。通常これは次のような形で始まった。その当の囚人はある日バラックに寝たままで横たわり、衣類を着替えたり手洗いに行ったり点呼場に行ったりするために動こうとはしなくなるのである。何をしても彼には役立たない。何ものも彼をおどかすことはできない――懇願しても威嚇しても殴打しても――すべては無駄である。彼はまだそこに横たわり、殆んど身動きもしないのである。そしてこの危機を起したのが病気であれば、彼は病舎に運んで行かれるのを拒絶するのであり、あるいは何かして貰うのを拒絶するのである。彼は自己を放棄したのである! 彼自身の糞尿にまみれて彼はそこに横たわり、もはや何ものも彼をわずらわすことはないのである。 

V.E.フランクル『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』霜山徳爾訳、みすず書房、2000、p.179

なぜフランクルは友が自己放棄――消極的な自殺をすることを恐れたのか。それは自分に起こり得る未来を目の当たりにすることであり、また共に生きる者を失うことでもあった。

無人島で独り生まれ育った者には帰るべき故郷もなければ、会いたいと思える家族や友人もいない。しかし、無人島に漂着してしまった者は帰郷を望むだろう。ヤツの未来はそこでしか見えてこず、ヤツの欲望はそこで初めて意味を持つからだ。

フランクルにとって、いやオレたちにとって、他者は単なる生存機械ではなく、自らの生きる意味に関わってくる。苦境から脱した先にあるものだけでなく、苦境を共に生きる友人もまた生きる意味の源泉であったからこそ、フランクルは友が自己放棄することを恐れたのだ。

一方で、必ずしも他者との絆が抵抗力となるわけではなく、憎しみが自殺と変わらない行動へと走らせることもある。ロシア革命時にテロリストとして活動し、作家でもあったロープシンの小説『蒼ざめた馬』には、そのような心境が随所に描かれているぜ。

「だってきみはまるで教区の司祭みたいなことを言うじゃないか」
「まあ、司祭でもいいさ。だが、きみ言ってくれ―—人は愛なしで生きていけるだろうか?」
「もちろん、できるとも」
「どうやっていけるんだ? どうやって?」
「全世界に唾を吐きかけるのさ」
「ジョージ、冗談で聞いているんじゃないんだ」
「いいや、ぼくも冗談でいっているのではない」
「気の毒だなあ、ジョージ、きみは気の毒な男だ……」
わたしは彼と別れをつげた。ふたたび、彼の言ったことを忘れかけている。

ロープシン『蒼ざめた馬』川崎浹訳、岩波現代文庫、2006、p.49

子どもの頃、わたしは愛を、母親の愛撫を知っていた。わたしはむじゃきに人びとを愛し、喜びにみち、生活を愛していた。いま、わたしは誰も愛していない。愛したいとも思わないし、また愛することもできない。世界は呪うべきものとなり、いちどきに、わたしにとって荒涼たる砂漠と化した。すべては虚偽であり、すべては空の空である。

同上、p.118

ロープシンは何人かの要人を暗殺したが、やがてマルクス主義に失望し、亡命先で反共活動を続けるも、ソ連国内におびきだされ、逮捕された。最終的には投身自殺したらしい。(暗殺されたという説もある。)とはいえ、少なくとも憎悪は、あの獣のように従容として死に就くことを意識に許しはしないのだ。

オレが以上の思考実験や引用から引き出そうとしていることは、まず第一にニンゲンは既にニンゲン的な世界を生きてしまっている、ということだな。たとえ一人でいる時だったとしても、ニンゲンは目の前に存在しない他者と共に生きている。いかにニンゲン社会を嫌悪し、隠遁していたとしても、他者を生涯無視し抜くことは難しいとも言える。必ず誰かのことを思い出してしまうはずだ。

本エッセイの目的は「意志の強さ」という概念は虚妄の類であり、それに思い悩む必要などない、という結論を明示することにある。続きはボチボチと書いていくぜ。

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