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[私小説]天使はいずこへ 2.

 高校生の頃、彼は常に白紙の遺書をブレザーの胸ポケットにしたためていた。それは内向的な若者にありがちなポーズにすぎなかったかもしれないが、少なくとも、彼は友人たちに遺書の存在を仄めかしたりするような真似はしなかった。それどころか、ウッカリと胸ポケットから落としてしまったときには、誰かに目撃されることを恐れる犯罪者にでもなったかのように、友人たちの好奇の目に晒されまいと、這いつくばるようにして拾いあげたことがある。呻き声をあげまいと歯ぎしりしている以上、自分が苦悩している事実を周囲に知られるのは仕方がない。だが、死を想っていることまで知られたくはなかった。それは友人たちに対する思いやりというより、淫靡な事柄を隠蔽するかのような羞恥を伴っていた。

 彼にとって恋をすることは罰を受けることに近かった。恋愛というものは、彼にしてみれば、天災か何かでしかなく、今にも堰を破りそうな洪水を鎮めるべく、その対処に全神経をとがらせねばならない。片時も休ませてくれず、しかも報われるところが何もない。ただただ辛いばかりだったが、それでいて、その辛さを糧に感傷を貪るところがあった。相手の視線一つ、身振り一つ、発声の調子一つからただならぬ深読みをし、そこから自身に対する相手の根本的な無関心を少しでも感じ取ろうものなら、それだけでその日は落ち込んでしまう。ところが、その落ち込みにはある種の暗い快楽があって、それがかえって狂おしい気持ちを生きながらえさせるのだ。彼は自分の命を粗末にする空想によく耽った。自身の境遇が惨めであればあるほど、物も食わずに痩せ衰え、全身を殴打され、そのような自分の死を想えば想うほど、心中に湧く情念がより激しく燃え盛っていき、いかなる状況にあっても、恋慕の情が存続することを実証できる機会を強く待ち望んだ。《ストイシスム、一つの秘蹟しかもたぬ宗教——その秘蹟とはすなわち自殺!》とボードレールが書いていたが、彼にはその次第がよく頷けるのだった。

 このようなマゾヒズムにおいて肉体的な欲望はいささかも湧いてこなかった。意中の女性と偶然視線が合った時、彼女を見ていたことを悟られまいとこちらから視線を外す前に、向こうが視線をそらすかどうかでその日の気分が決まるぐらいである。相手の体に触れるのは恐ろしいことで、「裸」はもちろん、手をつなぐことすら想像したことさえない。それどころか自慰の欲求もなかった。一〇代の肉体らしく、放っておくと、勝手に勃起することがあるので、仕方なしに数か月に一度処理するだけだった。しかし、これほど猥褻で充実した性的幻想もないのではないか? 彼の過剰な自意識においてはあらゆる事柄が女と結びつけられるのだから。

 とにもかくにも目覚めている間は意識しないでいられる時間がなく、そのために彼は幼き頃を思い出すかのように身体を動かすことに熱中した。肉体的な苦痛だけが鎮痛剤のように精神の疲労を癒やしてくれた。思春期真っ盛りで、清廉潔白というものを豪も信じていない同級生たちからは、猥談に加わらず、表現に性的なニュアンスを一滴でも垂らすことをよしとしなかった彼のことを同性愛者とからかう向きもあったが、彼がある女子生徒Oに懸想していること自体は周知されていた。

 それにしても一体なぜ彼はここまで情熱を持ち続けられたのか。毎朝の礼拝で読まされる聖書の記述に感化され、姦淫を罪と捉えていたわけではなく、ただ彼にとって女性との間にある空間は聖域化されており、それを侵すことが容易でなかっただけに過ぎない。飢餓が粗末な食い物にすら異常な魅力を与えるように、精神的な紐帯を求めるあまり、聖域はますます魅惑的に輝き、その眩しさがために侵しがたく、進むことも退くこともできなくなった窮った状況で、彼は彼自身を供物として捧げるしかできることがなかったのである。自己に対する異常な監視者となっていた彼にとって、殉教の情熱の中にいささかの瑕瑾も見出されてはならなかった。そのためか、彼は自身の内に見出される小さな不実や怯惰に傷ついた。なんとなれば、それは彼の愛する相手の聖性をも傷つけるものであり得た。苦悩の嵐を受け止める器は頑健かつ清浄でなければならない…それは彼の愛の深さを証明するのと同時に、恋する相手の素晴らしさを顕彰するものであった。

 それでいつまでもグズグズと想いの丈を伝えなかったのか? そんなことはなかった。勝気な同級生に唆され、教室棟と食堂の間にある中庭にOを呼び出し、突然に告白したことがあるが、お互いの素性を知らぬも同然の間柄だったので、当然ながら相手は面食らうばかりで、結果はうまくいかなかった。断られたことはもちろんそれなりにショックではあったし、唆してきた同級生がまるで見世物でも終わったかのように関心を失った態度を示したことに傷つき、ルームメイトたちが寝静まった夜中に独りで泣いたりもしたが、彼としては成否云々よりも、自身の境遇を知ってもらうことの方が重要だった。自分は苦悩の嵐の中で遭難している、その救助を切実に期待している、救助されずとも構わないが、貴女のために僕は絶望的に苦しんでいる。そのことを知って欲しかった。見捨てられて死ぬ覚悟はある。だが、遭難していることすら知られないのは耐え難い。その耐え難さが冒頭で説明したところの羞恥と結びついていた。「独りで耐え抜くこと」の崇高さを追求しながら、どこかでそれを見世物にしたがっていることになるのだから。

 そんなわけで、彼が初めてスコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』を読んだときなどは、片思いが昂じて、意中の女を神格化してしまう男の話に大変共感したのだった。その視線の羽ばたきは相手の現実の姿を飛び越えてしまっているため、主人公ギャツビーが長い月日をかけて造形した女神のイメージと、少しでも食い違う振る舞いを女がしでかしてしまうと、ギャツビーは失望してしまうのである。彼は失望まではしなかったが、Oの内面のことをよく知らなかった。そのことを象徴する些細な事件が起こったことがある。Oが大学進学の推薦を勝ち取ったために、受験勉強に勤しむ同級生を見下すような傲慢な態度をとっているのを横目に見たとき、彼は自身が彼女の性格に少しも関心を抱いてなかった事実に驚愕した。彼女の言動は気狂いじみた彼の修業に見合わない、思春期特有の鼻に衝く振舞いだったと言える。だが、彼は驚愕こそしたものの、相も変わらず情熱が収まることはなかった。結局、彼にとってOの性格は重要ではなかったのだ。では彼は何に執着していたのか? それは微笑だった。あの微笑が見られるのであれば、たとえ悪魔のそれであっても別にかまわなかった。

 普段、一言も口をきかず、眉根を顰めているばかりの彼に、Oがとても愛想よくしてくれたことがあった。彼女自ら微笑みながら話しかけてきて、体調などを気遣うものだったと思うが、ともかくも数分程度の出来事である。その夜、彼は夢の中で至福の体験をした。内容は、和気藹々と会話するという、とるに足らない幻想であったが、喜びの体験そのものは真実である。目を覚ました時には幸福の余韻のあまり、人間は死に甲斐とでも呼べそうな陶酔に浸ることができるのかと感じ入った。肉体が自らの内に見出すあの歓喜以上の快楽だった。「オレはセンチメンタルになっているに違いない」と彼はある程度自覚的していたが、それにしてもこれほどの喜びに見舞われることを感傷と呼んでいいのかは分からなかった。

 また生理的な限界に直面したこともある。それはちょうど受験期間中で、勉強のために静まりかえっていた教室でのことだ。勉強など当然手につくわけもなく、その静けさは瞑想の時間を呼び込むのに適していたから、彼はいつも通りに物思いに耽ろうとした。ところが脳が極度に疲弊していたのか、普段胸中に渦巻いている情熱を突然どこにも感じられなくなったことに気付いた。彼はひどく狼狽した。異国で迷子にでもなった気分だった。それも一晩眠ったら回復したので、彼は自身の感情が何ら神聖なものでもなく、脳内の物質が演じる何かでしかないことを思い知ったのだが、思い知ったところで、彼が微笑に執着することをやめられるわけではなかった。

 こうして彼の中で「天使」の問題が明確になってきた。無邪気に愛しあうということ、それができる者たちが彼には不思議で仕方なかった。愛することは信じられた。というより、それしか信じられなかった。しかし、自分もまた愛されることがある——これだけはどうしても信じられなかったのだ。恋人を得られるかどうか、が問題なのではない。愛する者への微笑が、「彼を」愛する者としての微笑が、嵐の後の森に降り注ぐ薄明のように自身に向けられることが信じられなかった。天使は存在する。間違いなく。しかし、いつぞや覚えた予感通り、自分は嵐の中で突っ立ったまま絶望するしかない…。そういう思いが彼の中に募っていった。

 文学に傾倒する前の彼が初めて綴った文章がある。

  火刑

初めてあの女を見たとき、
脳髄に火のついたガソリンをぶち撒けられた気がした
女の仕草の一つ一つが
俺の目玉に噛み付いてくるのだ
それは官能が見せる幻想だった
ああ、火炎よ! 俺はもう死にそうだ!
いっそのこと俺を飲みつくし、何もかも浄化してくれ

もはや息も絶え絶えな俺の体の内側では
先ほどから死が絶叫じみた産声を上げていた
内臓は太陽そのものだった
俺は、苦悶と歓喜に混乱するあまり、情動に粟立つ肌を剥ぎ、
あふれでる灼熱の血に全身を焦がした
哀願しながら存在に媚びた 頭蓋をダイナマイトで爆破した
だが、相も変わらず、頭の後ろで愛がささやいている
だから、俺はあの女のことばかり考えてしまうのだ
ガソリンが足りない!
消し炭になった自分を見て、腹の底から笑ってやれ!

俺は気違いの大道芸人
演目は忍ぶ恋、観客はいらぬ
この芸に種も仕掛けもあるものか
独り静かに魂を貪るだけだ

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