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「言葉」の使い方次第で、傷つくことがあるかもしれない、という話(摂食障害当事者のご家族や周りの方々への話)

みなさん、こんばんは。今日は「言葉」は、時と場合や相手によっては、傷つけてしまうことがあるかもしれない、ということについて書きたいと思います。

例えば「痩せたね」

一般的には、特に女性に対して使う時には「誉め言葉」と認識されているかもしれません。

しかし、毎日1キロ、いや100グラムの体重の増加を気にしているみなさんにとっては、大雑把に見れば痩せたかもしれないけれど、もし昨日より500グラム太ったとしたら、それは「痩せた」ことにはならないのではないでしょうか。

その状態で「痩せたね」と言われても、もしかしたらそのまま受け取ることは出来ないかもしれません。

摂食障害真っ只中のみなさんは「食べること」や「痩せること」に関する「言葉」には、非常に敏感になっていることと思います。

ここからは、みなさんよりは、むしろみなさんのご家族や周りの方々にお伝えする内容かもしれませんが、

摂食障害真っ只中のみなさんにとっての「食べること」や「痩せること」は、摂食障害と縁もゆかりもない方々からすると、ちょっと想像出来ないレベルの拘り方なので、「一般的」にはそれで傷つくということが理解出来ない、ということで傷ついたり、落ち込んだりすることがあるのです。

「食べること」についても、普段ほとんどまともな食事を摂らない方が、たまたま食べていたりすると、

「食べられるようになったんだね」

などと言葉をかけてあげたくなるかもしれませんが、もしかしたら、何らかの理由で食べなくてはならない、という思いで「必死に」食べている。あるいは、本当は食べたくないのに、申し訳なくて「食べなきゃいけない」と思っているのかもしれません。

それは「食べられるようになった」こととは、まるで意味が違います。

本当は食べたくないのに、食べざるを得ないのかもしれません。

摂食障害当事者のご家族や周りの方々は、日々「食べること」や「痩せること」に振り回されている、という感覚があるかもしれませんので、どうしてもそのことに注目してしまうことと思います。

しかし、摂食障害当事者にとっては、そこは非常にデリケートな問題です。「言葉」をかけてあげることは大切なことですが、時と場合や相手によっては、傷つけてしまうことがあるかもしれない、ということを心の片隅に留めておいていただきたいと思います。


今日もありがとうございました。

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