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映画『劇場』|やさしさってなんなんだろうと考える

先日Amazon PrimeVideoで『劇場』を観た。
ずっと観ようと思っていて、やっと時間が取れたので一気観。

又吉直樹さんの恋愛小説の映画化作品。
主演は山崎賢人くん、ヒロインは松岡茉優ちゃん。
役作りでひょろっとした体型に髭を伸ばした山崎くんは普段の印象とはまるで別人、年齢よりも大人びて見えていた。
松岡茉優ちゃんの穏やかな声色と笑顔は、純粋無垢で天使のような沙希の役にぴったりだった。
(あとで行定監督のインタビューも読み漁ると、ふたりとも役作りに本気で取り組んだエピソードなんかも知れて感激。)


内容は、
映画の世界とリアルが混同してしまいそうなくらい
現実味もあり、
真夜中に集中して観たこともあり、かなり心をえぐられました。

いろいろなことに葛藤しながら生きていくカップルの様子は
とても他人事とは思えず、
人生や人との関わり方、夢のあり方を考えるきっかけに
今後もなっていくと感じました。

ではこの感動をよりちゃんと残すための脳内整理と
えぐられた心を回復するためにアウトプットをさせていただきたいと思います。

詳しいあらすじは割愛します。(公式サイトや本編、原作を読んでいただければ…!)

出会いから別れまで曖昧な愛情の受け取りを繰り返す

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ふたりの恋は、
街中で永田(山崎賢人)が沙希(松岡茉優)に声をかけることではじまっていく。
明らかに怪しい男に話しかけられているのに放っておけず、
カフェでアイスコーヒーをご馳走してしまうところ、
そして初対面の何者かわからない相手に「うんうん」と話を聞いたり、
ふとした瞬間笑いかけるところからも、
沙希の純粋な心のやさしさが滲み出ていた。

そして永田が沙希の部屋に転がり込み共同生活がはじまってからも、
沙希の永田に接する態度はずっと変わらない。

永田は生活費を一切払わず、家事をすることもなく、(おい!w)
自由に出かけ、帰宅するとお風呂に浸かり、ゲームをしたり、本を読んだりするような毎日を過ごしながら、
お芝居という自分が追い続ける夢と向き合っていた。

沙希は夢を追う永田を応援し、その才能を信じ、肯定し続け、支える。
そして天真爛漫な彼女の笑顔や行動は、永田にとって大きな存在になっていく。

そんな沙希を「心地良い」「尊い」と思いつつも、
「好き」や「ありがとう」と、
愛情表現をするシーンはかなり少ない。

永田は沙希のことを"やさしい"という表現はしていなかった。
「沙希は徹底して俺に甘かった。」
そう思っているのだ。
それも念を押すように二度も語りの台詞の中に出てくる。
「彼女は俺に甘い」というのは、
「俺は彼女にやさしさをもらっている」という感覚ではないのだ。
そこでわたしは思う。やさしさってなんなんだろう。

彼女の存在に無意識に甘え、
弱さを見せれず、壁をつくったままの永田と、

彼氏に本音をさらけ出せずにいながらも、
居心地の良い場所をつくり、
側にいてもらうことで安心を手にしていた沙希。

そんなふたりはがっちりとした依存関係にあったんだろうか。

そしてはっきりとした
「好き」「愛してる」「ずっと一緒にいたい」
という言葉ではなく、
「なんとなく居心地がいい」「一緒にいるのが当たり前」という感覚で
ふたりは繋がっていた気がした。

繊細者同士、でも似ていないふたり

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わたしから見ると、このふたりはド繊細人間同士。
ふたりともピュアで、傷つきやすい心の持ち主。

永田は他者からの刺激にとても敏感で、
それによる心の揺らぎを表現する方法は"怒り"。
そして嬉しい楽しいなどの感情表現は下手。

沙希は人の顔色や態度にとても敏感で、さらに感激家。
プラスの感情は笑いや涙で表に出せるが、
マイナスの感情を表現することは下手なんだろう。

そんなふたりが分かり合い、絆を深めるには、
言葉が必要不可欠だっただろう。

「なにを考えているかわからない」と言われてもなお、
自分の気持ちを誤魔化し、本音を言わないような対応や、

『大切な話がある』というメールに対して
何週間も音沙汰がなく、
急に目の前に現れて「お花見しよう」だなんて
意味がわからなすぎる。

離れるか、どちらかが潰れるしかなかった

悲しいけれどふたりの築き上げた関係性の結果はこれで。

沙希の献身的な支えと、徹底した甘やかし(やさしさ)は
なんだったのだろう。

しかし人と人が一緒にいるために必要な、
本心を見せ合って、歩み寄ること、というのが出来なかったふたりが、
このまま一緒にいるためにはどちらかが潰れてしまう運命だったのかもしれない。
結果沙希が潰れてしまったけれど、
だからこそ別れる決断もできたのだと思う。
潰れたのが永田だったとしたらお互いに離れることも出来なかっただろう。

離れたことにより、自身と沙希の関係性を客観することができて、
最後のシーンに出てくる、芝居(きっと沙希との日々を描いた脚本)ができたんじゃないかと思う。

誰しもラブストーリーの主人公になる

このふたりに限らず恋愛する男女って、
周りが見えなくなって、お互いに依存して、
手離した途端に客観するようになって、
ひとつの物語のように感じるところあるよね。

この作品は主人公とヒロイン以外の人物にフォーカスがあたることはなく、
心情の描写は永田サイドのみで、沙希の本心すら描かれない、
完全に永田主観のストーリーなのだ。

ほかの人間の脳内を覗いたり、心の声を直接聞いたりすることはできない。

そのあたりもリアルだなーと感じる映画でした。

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