#最近のもやもやについて(未完更新されます:最新2024.3.20)
はじめに
こんにちは。
なんだかんだ5年間大学生をしたけど卒業しました。
卒業してはじめてのノートです。
大学生のころに必死に書いていたnoteを見ると懐かしさと暇なんだなと思います。
もっと暇を享受すればよかったなと思います。
さて、今回はかれこれ24歳にもなり、色々環境が変わることがあるのでそれに関して書こうと思います。
このもやもやに解決や答えがでているわけではないです。書きたいときに書いているので、時系列が変わるときもあります!
私がもやもやしているだけなので、もしよかったら相談に乗ってください。
気になるもやもやがあったら飛んでください〜。(現在3まで)
もやもや1.年齢の呪縛
ついに”年齢”に関して鯖を読みたくなる年頃になってきました。
このあとのもやもやにもあるように、周りと比較しないように努めてきましたが、自然と目に映るものや外部からの刺激によって吸収してしまうものがあるようです。
24歳になると20代前半と言えるのも最後。
25歳になると世にいうアラサー。
ストレートにいけば社会人として2年目。
きっとこの呪縛は人生のライフステージが関係しているんだなと私は思います。人生80年(100年生きる想定はしてないです)あったときに人間、特に女性にはライフイベントに期限があることです。出産が主に。
私には現時点(2023-12-28 22:09現在)で結婚願望も子供が必ず欲しいなどもない。だからこそ難しい。
自分でも考えようと、ブログを少し見たけど同じ気持ち、現状の人がいる感じで特に答えもない。
参考ブログ:
そうなったときに、十人十色の人生があるのにそこから答えを出そうとするのもまた変なのかもと。もちろん、答えをだす上で参考にはなるはずだけど。
でも、万が一にも適齢期を過ぎたあとで子供がほしいと思ったら?一生独り身で過ごすと仮定したら?もし子供が生まれたら、お金を貯める?結婚する?それとも事実婚?子供を産まなかったら、結婚しなかったら両親が、祖父母が悲しむかな、、?もしもの話はきりがないし、ライフイベントに合わせての準備を優先順位つけてこなすとしても、不確定要素が多くてリスクが高い気もする。リスクが多いとか考えている時点でやはりそこまで執着はないのかも?
一人で考えていると色々派生してわけがわからなくなる。
きっと物事はシンプルで、結婚したい相手がいるなら、結婚するし、その人との間に子供を望むなら準備しよう。そのくらいのことなのかもしれない。
でも私含め誰もが後悔したくないと思うだろうし、妥協もそれなりにしたくないと思うなかで、子供を望むとなると他人が介入してくるし、自分が生み出した重責と考えると不安が残るし悩みが生まれるのかもしれない。
やはりまだ私には早いのかもしれないと思いながら年を重ねています。
この議論に自分の中で決着をつけたい。
もやもや2.他人との比較
私のなかで、”誰かとの比較”は結構キーポイントだと思っています。
比べることによって人よりも優れている部分や、なにかを顕示・誇示できる一方で、劣等感や、喪失感を得ることもあります。
前までは比べることを意識的にしていて、自分を追い込むことが好きだったときもありました。追い込んでまだまだできると思っていたんですね。
でもまだまだなんてありませんでした。得たものは大きかったし、成長したと自分のなかでは思います。けどあまりに力任せで、体力の限界がきてしまいました。
だから今は、他人=自分と全く関係のない人、ある人も含め、比較しないように意識しています。
ただ、表裏一体で、他人と比較しないことで生まれる、不安感、孤独感みたいなのはあります。それはしょうがないと割り切れるか、そうでないかは選択に影響しそうだと思っています。
でも、自分で選択するか、誰かに選択してもらうかで後悔の仕方を自責にするか他責に向けるか変わるような気がします。
そう考えると、やはり他者からの意見は参考にしつつ(比較ではなく)、自分なりの意見・経験則をもって行動できるようにいたい。
ここまでは(2023-12-28 22:09現在)
もやもや3.私、子供苦手説(特に人を選ぶ)
これは本当に人を選ぶ。子供は至極当然のことをしているので、全く悪くないが、私が感じてしまっているという話です。
特に女性ならだれもが、”子供”を好きでいると思われているような気がします。
もやもや1にこれも影響すると感じています。
私が幼い頃から、特に赤ちゃんを可愛いと思った記憶がない、そもそも、私自身、真の一人っ子なのではと思うくらい、一人っ子なのです。兄弟もいなければ、いとこもいなく、自分より小さい存在に出会うことがありませんでした。
苦手説が加速したのではと思う出来事は、中学生の頃に、職業体験で幼稚園に行ったときに、何をするにしてもあまりに手に負えなかったことです。
意思疎通もできず、行動の理解ができない。(当たり前)このときの私はせっかく来たなら、多少なりとも好かれたいなとは思っていたはずだけれど、私の思考の範疇許を容易に超えてきて、もちろん理性があるので行動では示さないけど、感情としてはキャパオーバーになってしまい、好きには向かなかったのだと思います。
そこから、小さい存在に出会うことなく、今に至る。
先日、苦手であるという事実を突きつけられたような感覚になり、赤ちゃんのように泣きたくなった(実際目は潤っていた)ことがあった。(精神不安定な時期だったのもある)
某遊園地に遊びに行ったとき、連れとアトラクションに並んでいたら、目の前に赤ちゃんを抱えているお父さんとその家族がいた。連れは子供が好き(少なくとも私より断然)。その連れと赤ちゃんが目が合い、無条件に微笑み、手を振っていた。遊園地だからなのか?みんな誰にでも手を振りたくなるのか?など自分を納得させたかったが、きっと違う。連れは、どこでも目が合った子供に手を振るだろう。
私の脳みそにはない発想。手を振って、泣かれた日には、その瞬間目の前がグレーに見えるだろう。どんなに勇気を振り絞って、手を振ったか、泣かせた後の周りの目、、、。こんな気持ちになっている自分。子供を受け入れられない自分。連れはきっと、こういう家族像を理想としており、今の私には、それを提供できるとは到底思えず、叶えてあげられないんだろうなと。明らかに連れと私には価値観の差がある。そんなことを考えていたら、久しぶりに動機がして喋るのも無理になった。
改めてなぜ、苦手なのか参考にサイトや子供が苦手で出産している人のnoteを読んでみた。
子供のいる人生に対しての好奇心と産んでみたら好きになるとのこと。
結婚いいかもしれないが、やはり今は出産には異常な恐怖感と子供を育てられるとは思えない。リソース、気持ち、自分の精神・健康、パートナー含め。
きっと私には、心の余裕がないし、やりたいことがまだ達成できていないのだろう。
ただ、もし子供ができたのなら、自分の親がいるときがいいなと思う。色々聞けるから、、、
ここまでは(2024-3-20 2:36現在)
もやもや4.人間ひとりの無力さ
少し幼いときは、一人で暮らしたいだとか、自分はなんでもできると思っていた。
もやもや5.深夜になると謎に考え込んでしまう
もやもや6.他者との関わり方
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