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親がいなくなった時、自分は泣けるのだろうか···④ (僕と両親の関係性について 3 )



【 前回までのお話 】




毎回、重苦しい話ばかりで申し訳ありません。

「家族とは何なのか」という永遠のテーマについて、皆さんと一緒に考えるきっかけになればという願いを込めてこのエッセイを書いています。

母の話はこの辺りで終わりにして、父との関係性についてこれから触れていきたいと思います。

母が「理不尽と暴力の人」だったと書きましたが、父を一言で表すなら「無関心と暴力の人」でした。

僕がある程度大きくなってから「お父さん」と呼んだ記憶がないこと、世間一般に言う「お父さん」と聞いても「お父さん ? あ〜あの人か」くらいにしかピンと来ない点は母親と全く同じです。

つまり「親」、「両親」、「家族」という言葉に対して何の感情もわかず、ただただピンと来ないでその場に立ち尽くすというのが僕の現状です。

僕が生まれて初めて暴力というものの本当の恐ろしさを知ったのはまだ10才にもなっていない頃でした。

神戸に住んでいた僕たちは阪神大震災で家が全壊し住めなくなり、1ヶ月ほど母方の実家、つまり僕の祖父母の家に身を寄せることになりました。
父からすると義理の父母と生活することになったわけです。

父は「誰かに気を遣いながら生活する」というのが極端に嫌いな性格のようで、毎日が地獄のように感じていたのでしょう。

ある日、祖父母含め全員でリビングで談笑していると、父がトイレでも行くようなさりげなさで立ち上がったかと思うと、僕と兄に他の人には気づかれないように耳元で「ちょっと来い」と小さく言いました。

何だろうと思いついていくと父が来客用の広い居間に立って僕たちの体を無理矢理掴んで部屋に投げ飛ばし、襖をしっかりと閉め、電気を消したのです。

何が起こったのか分からないうちに、兄のかすかな悲鳴が聞こえてきました。恐怖に怯える僕に飛んできたのは父の「本気の蹴り」でした。それも何度も何度も延々と。

真っ暗闇なのでもちろん父もこちらをよくは見えていません。要するにどこに当たって大怪我をしても知らないというくらいに理性を失っているのです。

顔面や目や鼻やみぞおちなどを蹴られ僕たちは悲鳴をあげることもできず、ただブルブル震えるばかりです。あまりにも幼い僕たちは抵抗もできるはずがなく、父の気が済んで出て行った後もしばらく呆然と動けませんでした。涙さえ出ませんでした。

リビングに戻ると何もなかったかのように祖父母、母と談笑している父の姿がありました。
散々溜まっていたストレスを息子への暴力で幾分解消できたことで理性を取り戻したのでしょう。

この日以来、僕は怖くて父に一切話しかけることも、話しかけられてうまくリラックスして答えることも、近づくこともできなくなり、人間不信が体に染み付いてしまいました。

あの日起こったことも今日まで身内含め誰にも言えず、祖父母や母などその場にいた人も未だにこのことをおそらく誰も知らないのが今となればとても悔しいです。

これは立派な虐待、いや悪質な傷害事件では ? 

あ、今日もこの辺りでいったんストップしておきます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。また少しずつ続きを書いていきます。




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