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親がいなくなった時、自分は泣けるのだろうか···② (僕と両親の関係性について 1 )



【 前回までのお話 】




今日は僕が母親に対して抱いてきた感情を少しずつ書いていきたいと思います。

中学生の頃、国語の教師がクラスの全生徒に向けてこう言っていました。

「親が亡くなった時に泣けないようなやつは人間じゃないと思う」と。

僕はあれから随分経った今でも、その言葉が頭の隅に常に引っ掛かって離れないのです。
本当にそうなのだろうか。もしそれが真実なのだとしたら僕はもはや人間でさえないのかもしれないなと···。

僕はある程度大きくなってから、母親に対して「お母さん」と呼んだことがありません。もっと言えば喧嘩を除いてまともに顔を合わせて話すということが中学生以降、ここ2、3年に至るまで10年以上、ほぼ一切ありませんでした。いわゆる絶縁状態です。

だから「お母さん」という言葉を聞いても、正直、自分の中でピンとくる存在が今でも僕にはいません。「お母さん ? あぁ、あの人か」という感じです。

母親は一言で言うと、厳しいとか優しいとかではなく、理不尽な人でした。自分が正しいと思ったことや方針はどんなことであっても(例えば僕が正月に祖父母からもらったお年玉を毎年全て奪い取り、生活費に回すという独自のルールなど)譲ることがありません。

その方針に少しでも文句を言おうものなら容赦なく本気のビンタが何度でも飛んできて、「人の家は人の家やろが ! 」と言って力ずくで僕を背負って着の身着のままでマンションの外に放り出し、何百回インターホンを押しても翌朝まで出ることは1回もありませんでした。

当時はスマホなど時間を潰すものは何もありません。着の身着のままで外に出されるため、夏は寝られないほど暑く、冬は凍え死ぬほどの寒さです。

そんな中、泣いてもがいて震えながらマンションの階段で一人夜を明かし、ようやく翌朝鍵を開けてもらい、意識朦朧としながら学校に行ったことが何十回と日常的にありました。

鍵がなければ思い切って友達の家に駆け込み、事情を説明し、泊めてもらえばよかったのですが、それがどこの家でも当たり前に行われているという洗脳を母から植え付けられていたことや勇気が出なかったことからそれもできませんでした。

兄は力ずくで外に出される時に抵抗して柱に頭をぶつけて大出血し、何針も頭を縫う大怪我をしたこともありましたし、僕が外で寝ている様子を偶然目にした上の階に住む◯◯君という子のお父さんが僕の家に乗り込んで来て、僕の親を怒鳴りちらしたこともあったくらい、異常なことが行われていたんですね。これでもまだ氷山の一角に過ぎません。

この時代に児童相談所の虐待窓口がもっと浸透していれば···そんなことを今さら嘆いても仕方のないことですね。

···このエッセイのシリーズ、ちょっとダメだったかもしれません。筆が止まりません。今までずっとずっと蓋をしてきた思いが溢れ出る時って、こんなにスムーズに筆が進むものなのですね。

でも今日はこの辺りでストップしておきます。

また続きを書いていきたいと思いますが、少しでも興味を持っていただければ幸いです(今回に限っては明確な着地点をあえて決めていませんので、自分が納得のいくまで書き切ろうと思います)。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました😊




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