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親がいなくなった時、自分は泣けるのだろうか···① (前置き)

最近ふと考えることがあります。
「親がいなくなった時、自分は泣けるのだろうか···」

noteを始めてある程度経った今、そろそろ家族(親)のことを書いてもいいのではないかという気持ちになってきました。

多くの方の「家族」に関する記事を読んでいるうちに何となくそんな気がしてきたのです。
親の存在、切れない縁、親の支え、親の暴力、いつでも唯一の味方、いつでも恐怖·憎しみの対象、親との関係性は人によって千差万別です。

唯一、確かなことは、人生の中で唯一、自分の意思で相手を決められない存在ということです。
俗に言う(いい意味においても悪い意味においても)「親ガチャ」ということですね。

もちろん親も生まれて来る子どもを選ぶことはできませんが、子どももつくるかつくらないかの「選択権」はあります。否が応でも生まれて来なければならない子どもとはそこが大きく異なります。

親からは先天的な影響(遺伝、生まれ持った性格や能力など)と後天的な影響(育児環境、家庭環境など)を受けます。

よく「こんな親のもとで育ったから自分はこういう風になれた」とか、「あんな親のもとで育ったから自分はこうなってしまったんだ」という話を耳にします。

しかし、残念ながらそうした後天的要素が子どもの性格や能力にどの程度の影響を及ぼすか、ついては今の時代においてなお科学的にも全く結論が出ない程の超難題のようです。

つまり、ほとんどが生まれ持っていた性格や能力だけの問題で親の影響はほとんどなかったという可能性も充分、あり得るわけです。

結局、何が言いたいかと言うと、自分の今置かれた環境や性格や能力の大半を親の影響(もちろん、少なからずは必ずあるでしょうが)だと断定してしまうのはやや危険で非生産的な結論ではないかと思うのです。

あくまで今いる土台の中でいかに自分が楽に楽しく生きていけるかを考えることの方が、はるかに重要だと僕は考えています。

なぜ前置きでこんな話をさせてもらったかというと、これから本格的に話していきたい親へ抱く「感情」の問題と、今の自分の置かれた状況を親の責任と結びつける発想とは実は似て非なるものであり、両者ははっきり区別した上で頭を冷静に整理していく必要があると感じたからです。

前置きが随分と長くなりましたが、ここから、「親に対して抱く感情」の部分の話を書いていきたいと思います。親に抱く個々人の感情はこれまた千差万別なのですが、その1つ1つは確かな事実です。

感情ですから自ら蓋をするのも難しいですし、その必要もないと思います。
親に対してどのような感情を持っているかは、同時に、どのように距離を取っていくかにも深く関わっていることです。

その辺りを次回以降の記事で触れていきたいと思います。ひとまず最後まで読んでいただき、ありがとうございました(⁠^⁠^⁠)




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