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ボタンで繋げて

トラ君
 

 神さまありがとう。

 無宗教の私も思わず十字架に頭を下げたくなる幸運だ。
 私は一年前からトラ君に思いを寄せている。学年で三番目くらいに背が高くて、でも一番大きいあの男子よりも細身で色白だ。一番元気のある男子グループにいることが多いが、そこに属している男子たちの中で一番冷静で知性的な、「おとな」って感じの男の子。
 そんな彼が五年生になってから二回目の席替えで、左斜め前に来てくれた。(くじ引きなので、その結果に彼の意思はないのだが。)
 好きになってから今まで、席替えの前夜には、都合よく呼び出せる神さまに向かって膝立ちになり、左右の手の指の全てを交互に結んで祈っていた。
 私の学級では、男子の列と女子の列がそれぞれ交互に並ぶ形をとっているので、私の祈りが届かなかった席替えの度にトラ君が他の女子に取られてしまわないか不安だった。
 今回も隣の席になることは叶わなかったが、同じ班になることはできた。
 私はというと、教室の右後ろのかどっこに座ることになった。教室の入り口から一番遠い席でもあるので不便だなあ、と思っていたことすら忘れかけていた。
 そのくらいうれしいことだった。

 彼の魅力の一つは、フットワークが軽いことだ。この前だって学級日誌を職員室に運ぶ途中に声をかけたら、一緒に運んでくれた。
 そうやって一緒にいるときに、青い運動着の袖をこすり合わせて「いいに匂いする?」って嗅がせてくれたり、しりとりで「る攻め」をしてきたり、カップルを冷やかしたりするときの彼がとても好きだ。
 しかし、どうやら彼の「フッ軽」の時間を楽しみにしている女子は少なくないことが分かってきた。

 それは、先月のクラスマッチで判明した。
 クラスマッチと言っておきながら学年で集まっていたので、おかしさを感じた。しかし、いつもの六倍の人数が集まったので、さすがに興奮を抑えきれない。
 そのときは学年でクラス対抗の男女別バスケットボール大会を行った。
 トラ君はバスケットボールを習っていて、学年で一番上手らしい。私のクラスの男子たちが自慢げに話していたので、トラ君の活躍を見る絶好のチャンスだと思った。
 皆で汗をかきながらクラスの勝利を応援した。残念ながら女子チームは初戦で敗退してしまったが、男子たちが全力で悔しがって「絶対優勝してやるから見とけよ!」と息巻いていた。頑張ってよかったと思える良いクラスだ。
 その宣言通り、男子チームは決勝へと駒を進めた。
 一番の盛り上がりを見せる決勝戦でも、運動が苦手な男子に向けてトラ君はパスを出していた。皆で協力して勝ちたいから全員にボールを渡していることは誰にでも予想できただろう。私のように「好きな人」という先入観がない人でも、その優しさに魅了されたはずだ。
 さらにかっこいいのが、運動が苦手な人がボールをとられてしまったときに、信じられないスピードで追いつき、瞬く間にとり返してしまうことだ。「気にすんなよ~!」と笑いかける彼の笑顔に胸が高鳴る。しばらく寝不足の日々が続きそうだと思った。
 トラ君が相手五人を後ろ目に決めた「だぶるくらっち」には会場全体が湧いた。     
 男子チームの優勝には応援していた他のクラスも喜び、なんだか誇らしい気持ちになった。
 そこで四方八方の女子たちが「トラ君すごいね~!」と騒いでいたのを内心とても焦りながら聞いていたが、案の定あの日から「トラ君のフッ軽」を狙う女子は急増してしまった。

 そんなことがあり、トラ君争奪戦はその激しさを増し、私はその最前線で戦うことになった。
 といっても誰も大胆な行動はしないまま、ついに来週から夏休みが始まってしまう。会う約束はできていないが、トラ君はバスケットボールの練習で忙しいらしいので安心できる。

夏休み

 
 私は校長先生のお話がどれだけ長くてもしっかり聞くと決めている。それはせっかく長い文章を作った校長先生が報われてほしいと思うからだ。
 案外共感してくれる人が多いのは、校長先生が私たちにとってマスコットキャラクター的な存在だからだろう。ほどよく丸い体型で、奇麗な白髪を携えており、なかなか可愛いのだ。
 しかし、夏休み初日の今日、校長先生のお話は一切思い出せなかった。多分、昨日の夜に夏休みの宿題を頑張りすぎたのだろう。
 
 着替えと朝食、洗顔を終えて向かうのは、すぐそこの神社で行うラジオ体操である。毎年参加が義務付けられていて、私の地区の一年生から六年生までが全員集まる。
 私は夏の朝にしか嗅ぐことができない、なんとなくカブトムシを連想させるような湿度を含んだあの匂いが好きだ。だから毎日欠かさず行く。

 ラジオ体操カードに六年生の地区長さんからシールを張ってもらって家に帰った。そしてすぐにランドセルに筆記用具と夏休みの宿題、水筒、タオルなどを詰め込む。
 今年の夏休みは毎日図書館に行って勉強をすると決めたのだ。理由は特にない。強いて言えば、涼しいし、バスケットボールの練習を見ることができるかもしれないからだ。
 三十分ほどかかる道のりを、木陰や電柱の影を踏みながら進み、学校の図書館に着いた。
 この広い図書館には私の他に二、三人しか座っていなくて、不思議な感じがした。
 この図書館は涼しいが、一時間もいれば寒くなる。冷房が強すぎるのだ。
 だから、グラウンドに面した窓際に座ってちょうどよい温度を獲得するのが私流の夏の図書館利用方法である。
 勉強を始めて二時間ほど経ったところで、右後ろから私を呼ぶ声が聞こえた。トラ君だ。

「隣いい?」
「うん」

 興奮で胸が爆発しそうだ。夏休みの、しかも人のほとんどいない図書館で出会えるなんて、こんなに幸せなことがあっていいのだろうか。
 それにしても、トラ君はどうして図書館に来ているのだろう。バスケットボールの練習には行かないのだろうか。

「毎日あるわけじゃないよ。たまたま休みだっただけ。午後から友達と遊ぶからさ、図書館で勉強しようと思ってきたんだ。お前も勉強?」
「うん。私は毎日勉強しに来ようと思ってさ。」
「へえ~やっぱ真面目だな。そうだ、俺も暇な日は毎日来ようかな。ゲームばっかりやってるとお母さんに怒られるからさ、お前が嫌じゃないなら一緒に勉強しない?」
「来てくれたら嬉しい!一人でやるのも寂しいからさ、一緒に勉強したいな。」

 夢でも見ているのだろうか。人生最大の動揺を必死に隠しながら返事をした。「そっか!」と私に見せる笑顔が、夏休み中は私だけのものだ。

 それから十三時くらいにトラ君は手を振りながら帰っていった。その直前、「次は多分七日に行けるはず!」と教えてくれたことが本当に嬉しい。これであと三日待てばまた会えるのだ。
 私も帰宅し、いつも通りすごし、布団に潜る。特別になりそうなこの夏休みでトラ君としたいことを妄想しているうちに眠りについてしまった。

夏祭り

 夏休みのちょうど折り返しにあたる今日。
 私はトラ君と一緒にお祭りに行きたい。
 私たちの町は、『外から観光客が来るほど大きくないが、町民自体が多いので豪華に見える祭り』を毎年開催している。
 多分、トラ君も彼の友達と行きたいだろうから、少しの間だけでいい。
 日も暮れる前、十七時まででいいから一緒に行きたい。

 そんな野望を胸に今日も図書館へ来た。
 トラ君と図書館で会うようになってから何度か、トラ君の方が早く来ている日もあった。図書館のドアを開けた瞬間、トラ君を発見すると世界が輝きだす。この感覚がとても好きだ。
 トラ君も同じ気持ちだったらなあ。

「トラ君。今度のあのお祭りさ、一緒に行かない?」
「いいけど、バスケのやつらと行く約束してるんだよね。夕方の間しか無理だけど、行こうか。」

 この夏休みを通して、大分距離感の近い会話ができるようになった。夏休み前までの私なら、こんなにスムーズに誘うことはできていなかっただろう。
 それはそうと良かった。予想通り、夕方の間しか会うことはできないが、『お祭りで会える』こと自体が素晴らしいイベントだ。

 
 今日のお祭りは十五時にトラ君と合う約束である。あと十分。
 すると、前方からトラ君が歩いてきた。バスケットボール用の半ズボンで、白いシャツの上に水色のパーカーを羽織っている。サンダルの上に見える足首は、靴下の形に日焼けしていて、かわいい。

「まだ早いのにもう来てたのか。俺のおじいちゃんが出店やるからさ、手伝ってたんだよ。もう売り始めてるとこもあるから行ってみようぜ。」

 彼と歩く神社の参道は、その建造物の朱色が溶け出して、この世のものとは思えないほど美しく感じた。
 このまま一緒に、違う世界へ連れて行ってくれそうなほど、トラ君の笑顔は美しい。

 そうしてしばらく食べ歩きをして、神社の奥の方のベンチに二人して腰掛けた。トラ君は平気そうだが、普段から運動していない私はすっかり疲れてしまった。
 しばらくあれが美味しかったね~とか、今日はそんなに暑くないね~とか話した後、なんとなく黙りこくった。
 普段は意識しないヒグラシの鳴き声がなんだかロマンチックに感じた。
 やっぱりトラ君は色々な変化を経験させてくれる。

「そろそろ行くわ。今日楽しかったよ。ありがと。」
「こちらこそありがとうね。また図書館で会おうね。」

 進展はなかったが、十分いい思い出をつくることができた。それに、関係性の進展がなかっただけで、心の距離はグンっと近づいた気がする。

 それから、例のようにトラ君と図書館で勉強をする日々を送っていた。
 私たちは真面目に宿題を進めていたので、夏休みの一週間前には全ての宿題が終わり、雑談をするだけの日も増えた。
 そんな日々がとても楽しくて幸せだった。
 もうすぐ夏休みが終わってしまうが、全く寂しくない。
 学校に行けばまたトラ君に会えるからだ。

六年生へ

 もう五年生の一月になってしまって、児童会の役員の引継ぎが行われる時期だ。 
 あの夢のような夏休みが終わった後、トラ君との親密度はかなり上がっていた。それは、学校生活の色々なところで実感できた。
 「おはよう」と「ばいばい」を言うようになったし、授業中もわざわざ後ろを向いて話しかけてくれるようになった。

 さて、そんな学校生活の中で、一つの変化が起きた。
 いつものようにトラ君の「フッ軽」に乗じて、一緒にごみステーションまで歩いていた時である。
 
「俺さ、先生に放送委員会の委員長やれって言われたんだよね。」
「そうなんだ!すごいな~。引き受けるの?」
「その予定。六年生の人に聞いたら『放送室が秘密基地っぽいし、掃除とか朝読書さぼれる』って言ってたんだよね。悪くないなって思って。」
「へえ~。」
「それでさ。」
「うん?」
「もしよかったら副委員長やってくれない?」

 急な提案で情けない声が出てしまった。確かに、やらなければならない仕事が増えるのは面倒くさいと思ったが、それよりもトラ君が誘ってくれたことを断るなんてもったいないことはできるはずがない。
 一秒だけ悩んで答えは決まった。

「やる!でも、私でいいの?」

 これはちょっとだけ思ったことである。異性じゃないといけないという決まりはないのだから、バスケの人を誘えばよかったのではないか。

「おお!ありがとう!いや、むしろお前とやりたかったんだよ。なんか他の人と違う雰囲気があるっていうか…」
「そっか。なんか嬉しい!」

 
 さて、時計の針を進めて、現在は六年生の5月。
 進級や役員の引継ぎがひと段落して、ゴールデンウイークを楽しんだところだ。
 ようやく放送委員会のやり方が板についてきた。そして、この役職はとても楽しいものだということが分かった。

 放送委員会の当番の日の一日の流れを説明しよう。
 まず、私たちの学校は朝読書と言う活動がある。その時間の開始と終了を告げる校内放送をしなければならない。だから、ずっと放送室で遊ぶことができる。
 朝の会までに戻らないといけないのは少し大変だが、それを差し引いてもプラスになるくらいの優越感というか、特別感がある。
 そして、給食の時間にも仕事がある。給食中に他の委員会の役員の人たちが連絡事項を放送するのだ。たくさんの人が来ることに加えて、給食当番もさぼれるのでこれもまた楽しい。
 給食後の休み時間を終えると、掃除の時間が始まる。この時間は本当は放送室の掃除をしなければならないが、そんなことは初めの三日くらいしかやらなかった。
 最後の仕事は、下校の時間を告げる放送だ。放課後に放送室という『秘密基地』で過ごせるという点が素晴らしい。

 私の学校の放送室はT字路の分かれ道の、図書館の反対側にある。放送室側の通路の先には、放送室と職員用の会議室しかないので一日を通して誰も来ない。
 マイクで喋る用の音響設備のある部屋と、音量や放送する場所を指定する制御マシンがある部屋の二部屋に分かれている。そして、大きなガラスで仕切られているので、向こうの部屋の様子がよくわかる。
 制御室にはいつからあるかわからない、おそらく先輩の方々が置いていった本がたくさんある。そして、グラウンドを見渡せる西向きの窓があるのが嬉しい。

 本来は金曜日が役員の当番日だったが、私たち役員の権限で無理やり当番日を増やした。具体的には毎日の放課後と、月曜日、水曜日の掃除の当番を役員のものにした。

輝く日々

 それからというもの、毎日が楽しかった。
 朝は今まで早く学校に行くようになったし、トラ君といる時間も格段に増えた。
 最近の二人のブームは、初めて放送室に来た時から置いてあったクイズの本を読むことである。それでお互いに問題を出し合うのだが、三十項目くらいにちょっとえっちなクイズがあるので、それだけなんとなく避けていた。
 ここでの流行は直ぐに変わる。
 ある時は、壁一面に書いてある落書きを端から端まで眺めてみた。これは、過去の役員が放送室で付き合い始めたことや、日々のメモ書きに使われていたり、交換日記にような役割を担っていたことが分かってなかなか面白かった。
 ある時は、しりとりが流行った。二人でやるには寂しいので、お互いの共通の友人を二、三人呼んで遊んでいた。本当は関係者以外立ち入り禁止の放送室だが、いまさらそんなルールを守っても仕方がない。
 一度、「す攻め」が流行った。いや、攻めるというよりも、「す」で始まって「す」で終わる言葉を言い続ける遊びだった。探すと案外たくさんあるので、ぜひ考えてみてほしい。
 その遊びの中で、一度だけトラ君が「好きです」と言ったことがある。ちょっと耳が赤くなっているトラ君を皆で冷やかしていたが、私も動揺を隠せていなかったと思う。これは一生忘れたくないエピソードに登録された。
 
 さあ、時を進めて現在は六年生の夏休みの二週間前である。役員になった当時と比べて私たちの仕事は三倍くらいになっていた。
 私たちはすっかり仲良くなり、私たちの関係性について様々な噂が流れるようにもなった。
 
 ある日の朝、トラ君が少しそわそわしているように感じた。
 なんだかいつもより、マイク室と制御室を挟んで、マイクを通して会話することが多いように思っただけで、特に大きな変化はなかった。
 これをやって二人の会話が流れたこともあるので、制御室にいる私は最新の注意を払った。
 
 やはり様子が変だ。いつもは手をくるくるしたり、頭の上にもっていったりする「ぼでぃらんげーじ」が多いトラ君が、手をおなかの前で組んでいる。その様子を言葉にすると、「もじもじ」している。
 どうかしたのか聞いてみてもはぐらかされてしまう。

 そうしてる間に、いつも通りの下校時刻がやってくる。私たちは二人で役員権限でもって帰りの会を抜け出して歩いていた。

 私はトラ君といるときの沈黙が好きだ。しかし、今日の沈黙はなんだか違う感じだ。なんだか、ドキドキする。
 
 「トラ君が私に告白してくれるかもしれない」

 そんな根拠のない希望を抱いてしまう雰囲気を、彼はまとっていた。
 制御室の窓から、暑い西日とヒグラシの鳴き替えがいつもより存在感を消している。私の鼓動と、同様している頭の中が、それらの情報の侵入を防いでいる。

 トラ君はマイク室に入る前、
「向こうのマイクさ、ボタンで繋げといて」
と言った。

 私は告白されることを確信して、こちらのマイクと向こうのマイクを繋げるボタンを押した。

『去年の夏休みで一緒に勉強した時からさ、お前だけ特別な感じがしてたんだ。だから、祭り誘ってくれた時もめっちゃ嬉しかったし、副委員長引き受けてくれた時もめっちゃ嬉しかったんだよね。』

 私は、もっと前から今日を待ってたよ。

『うん。』
『こうやって一緒に過ごしてる時間がめっちゃ幸せだ。』
『私もだよ。』

『付き合ってください。』
『お願いします。』

プロローグ

 あれから五年経った今、私たちは高校二年生になった。
 
 あの後、私たちの関係性は瞬く間に広まったが、案外温かい感じで迎えられた。もっと、女子たちからの妬み、嫉みが激しいものだと勝手に思っていたから意外だった。

 あとから知ったが、トラ君は五年生の冬ころには私を好きになっていたらしく、約半年の間を両思いで過ごしていたのだそうだ。

 トラ君がけっこう意気地なしで、恥ずかしがり屋さんなのが意外に思えたが、今はそれが当たり前である、

 中学に入って、何回か別れた。そしてその度に復縁をした。
 大体はトラ君がバスケ部の女子と仲良くしていることに腹を立てた私のわがままが原因である。こんな私を何度も拾い上げてくれるなんて、やっぱりトラ君は優しい。

 高校はお互いに違うところに通っているが、頻繁に会うようにしている。
 そして何度も話題に上がるのが、小学校の放送室での思い出だ。これは二人にとって忘れられない思い出であり、二人を結び付けてくれた宝物だ。

 会えない時にはスマホで通話ボタンを押す。
 その度に、あの放送室で赤く光るあのボタンを思い出す。

 あのボタンを押した瞬間が忘れられない。

 

 お願い神さま。
 これからもずっと、彼と私をボタンで繋げて。


#創作大賞2023

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