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道徳の読み物「あずさちゃんごめんね」(中学校:友情、信頼) 創作教材

  • 対象学年:中学校(3年)

  • 内容項目:友情、信頼 (8)友情の尊さを理解して心から信頼できる友達をもち、互いに励まし合い、高め合うとともに、異性についての理解を深め、悩みや葛藤も経験しながら人間関係を深めていくこと。【関連:思いやり、感謝】

  • 教材の種類:創作


あずさちゃんごめんね

 私は高度の難聴を持って生まれてきました。
 そのせいで、補聴器がないと、人の話を聞き取ったり、車の音などの環境音を聞き取ったりすることができません。赤ん坊だった私が、耳元でくしゃみをされても驚かなかったことで、両親は私の耳が聞こえにくいのだと察したのだそうです。
 生まれた時から耳が聞こえにくかったので、両親は私に、難聴の子に向けた教育を積極的に取り入れてくれました。そのおかげで、こうして書き文字に関してはふつうに書くことができますし、手話を介すれば日常のやりとりも支障なく行うことができます。補聴器の性能も良くなっているので、顔を向けてはっきりと発声してもらえば、今では、耳に聞こえてくる音と、目に入ってくるその人の口の動きで、だいたいの言葉は理解できるようになりました。
 しかし、どうしても苦手なことが私にはあります。
 それは、声を出すことです。
 幼い頃に、人の声を充分に聴くことができずに育った私は、今でも発声が明瞭にできません。自分が出している声もほとんど聞こえないので、口からどんな音が出ているのかわかりません。練習は続けていますが、いまだに、「さしすせそ」や「たちつてと」などは苦手です。中でも、「き」や「や」のように、鋭くとがった音はどうしても「ひ」や「ふぁ」のように潰れてしまうらしいのです。
 発音がおかしいこともあって、小学校の高学年の頃、私は軽いいじめを受けていました。「しゃしゅひ」とみんなから呼ばれました。自分の名前を言うときに、私が「さつき」と明瞭に発音できないからです。自分の声を笑われるのが、私は、ものすごくいやでした。

 もう一人、私のクラスにはいじめを受けている子がいました。六年生の春に、関西の小学校から転入してきた女の子です。それがあずさちゃんでした。
 あずさちゃんは、いつも同じ服を着ていて、髪の毛がボサボサで、近くによると、なんだか変なにおいがする女の子でした。みんなの話しているのを聞くと、あずさちゃんの家は貧乏で、三人いる兄妹もみんな、いつ洗濯をしたのかもわからないような着古した服を着ているそうでした。私が言葉でからかわれる一方で、あずさちゃんは「きたない」という理由で毛嫌いされていました。あずさちゃんが触れた机やイスを、「きたない」と言ってみんなで避けるのです。あずさちゃんの近くを通るときに、わざわざ鼻をつまんで顔をしかめる男子もいました。あずさちゃんはそういういじめに合うたびに、「何がおもしろいん?」といじめている人に言い返していました。
 六年生の夏くらいでしょうか。私とあずさちゃんは、いつも一緒にいるようになりました。あずさちゃんと私が友達になったわけではありません。教室でグループを作ったり、班で行動したりするとき、必ずあぶれるのが私とあずさちゃんだったからです。
 帰る方向が同じだったので、帰り道もあずさちゃんと一緒でした。あずさちゃんは、通学路にある公園によく私を連れ込みました。二人で藤棚の下のベンチに座ると、あずさちゃんは私に向かって早口で何かを言って笑いました。補聴器を付けてはいましたが、あまり早口で話されると聞き取ることができません。手話を織り交ぜながら、「もっと、ゆっくり、話して」と言っても、あずさちゃんは笑うばかりで聞き入れてくれませんでした。いっぱい話して満足すると、今度は私に向けて手のひらを差し出し、ゆっくりと「こんどは、さっちゃんの、番や。しゃべり」と言うのです。
 私は上手にしゃべれません。だからずっと黙っていました。どうして私にそんなことをさせようとするのか。きっと、あずさちゃんはクラスのみんなにいじめられている腹いせに、上手にしゃべれない私をからかっているのだと思いました。だから私は、最小限の言葉であずさちゃんの提案を拒否しました。
「いふぁ」
「『いふぁ』てなんや。わからんよ」
「いふぁふぁ」
「『いや』言うてるんか? さっちゃん」
 私が涙をいっぱいにためて強く肯くと、あずさちゃんは自分の口を横にめいっぱい広げて、私の両手をとって、自分の顔に触れさせました。私はぶんぶんと首を振って抵抗しました。触れたくなかったのです。こんなところをクラスの人たちに見られたら、何と言われたものかわかりません。
「いやか? ならちゃんと言わんと」
「いふぁ。いふぁふぁ」
「ほら。ちゃんと」
 執拗にくりかえされるそのやりとりが、私はこれ以上ないほどにいやでした。あずさちゃんは笑っています。私は泣いていました。どうしてこんないじわるをするんだろう。私とあずさちゃんは、互いに居場所がないから一緒にいるのです。そんな弱い二人なのに、どうしてここでもいじめみたいなことが起こってしまうのでしょう。
 私は悲しくて、あずさちゃんが憎くて、しかたがありませんでした。

 二学期が終わる頃まで、あずさちゃんとのそんなやり取りは続きました。いつも私は泣かされます。あずさちゃんは「しっかりせえよ」とえらそうに言って、笑いながら家に帰っていきます。
 ある日、いつものように公園に連れ込まれそうになったときです。私はあずさちゃんの手を振り払って言いました。
「いやだ」
 あずさちゃんの動きが止まりました。びっくりしたような顔で私を見た後、急にニュッと唇を曲げて笑いました。それから私に、「言えるやん」と言いました。
 その日を境に、私はあずさちゃんといっしょに帰るのをやめました。

 あずさちゃんと私に対するいじめは続きました。三学期が終わり、卒業式の後のメッセージカードの交換で、あずさちゃんのカードはみんなに受け取ってもらえませんでした。あずさちゃんにカードを渡す人もいませんでした。私一人です。私はあずさちゃんに、「中学生になったら、優しい人になってね」とメッセージを贈りました。あずさちゃんは私に、「しっかりせえよ!」と書いてきました。
 小学校を卒業するのを待つようにして、あずさちゃんはまたどこかに引っ越していきました。
「じゃあなあ。さっちゃん。しっかりなあ」
 校門を出て向こうの角を曲がるまで、あずさちゃんは、何度も振り返りながら私に手を振っていました。

 中学生になっても、私は相変わらず内気で、ほとんど声を発しない生活を続けていました。大人しく目立たないようにしていれば、楽しいこともないけれど、辛いことも少ないと思ったからです。
 けれども、いくら目立たないようにしたって、消えてしまえるわけではありません。事あるごとに、私はクラスメイトからからかわれていました。本当に必要な時以外ほとんどしゃべらない私のことを、クラスのみんなは、隠れて「くちなし」と呼んでいるようでした。何かの係や動植物の世話などに人が必要な時、「さつきさん、お願いね」と頼まれることも多く、私はそれをいやいやながら引き受けていました。そんなことを繰り返すうちに、いつの間にか、クラス全体が、「面倒事はくちなしにやらせればいい」という雰囲気になっていきました。
 そんな折、文化祭での役割分担を決める話し合いで、ある男子生徒に、私はこんなことを言われました。
「展示会場への呼び込みを、さつきさんにやってもらおう」
 教室内に展示したパネルがうちのクラスの出し物でした。昇降口や廊下に立って、生徒たちを教室に呼び込む役目をやってくれと言うのです。
 もちろん、いやでした。でも、誰も「やめなよ」と言ってくれません。私がいやがるのを知っていて男子生徒は言っているのです。みんなもそれを面白がっているのです。
 黙っている私に、男子生徒が続けて言いました。
「さつきさんって、しゃべれないんだっけ?」
 私は首を横に振りました。しゃべることはできます。けれども、言葉を聞かれたくないのです。笑われたくないのです。
「だまってるなら、了承ってことでいいよね」
 ニヤニヤしたまま、男子生徒が言いました。急に、あずさちゃんの顔が浮かんできました。あの憎らしい笑顔に、同級生の顔が重なって見えました。
 私は喉を震わせて、思い切り息を吐き出しました。
 そして言いました。
「いやだ」

 教室の雰囲気は一変しました。誰も何も言いません。私をからかっていた男子も黙っています。
 こんなにはっきりと、自分の意思を表現したのは、はじめてでした。
「何だよ。さつきさん、ちゃんと意見できるんじゃん」
 驚いた顔のまま、男子生徒が言いました。
 これを機に、クラスメイトの私を見る目は変わりました。今でもいじめられることはあります。けれど、今はもう、「いやだ」と私は言えます。「やめて」と言えます。

 今も脳裏に、あずさちゃんの笑顔が浮かんできます。
 彼女の引っ越して行った先を、私は知りません。電話番号も、メールアドレスも知りません。聞かなかったからです。
 今ならわかります。
 あずさちゃんの笑顔を、きたなくしていたのは私でした。
 あずさちゃん、ごめんね。
 私は、心の中で何度もくりかえします。
 私のこの思いを、どうしたら彼女に伝えられるのでしょうか。

 彼女にとって、私は友達でした。ただ、私がそれに気づかなかっただけなのです。
 今、私は彼女に、両手をついてあやまりたいと思うのです。






※涌井の創作教材です。著作権は放棄しませんが、もし授業でご使用いただく場合はご連絡等は不要です。


「友情、信頼」についての「考えてみよう」はこちら


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