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ある一人の男の夢と挫折_4

ロケーションコーディネートの会社を辞める3、4日前、その年の夏に僕が担当した、モーターショー用映像のプロデューサーから、突然電話がかかってきました。
話すと、どうやら来年前半に、映像制作の案件があり、それを担当できるフリーの制作を探している、との事。
運命的な奇遇さで、僕は今月末でちょうど会社を辞める所なので、その案件を担当できる、と返答しました。
そして、フリーになってからの半年間は、そのプロデューサーの案件で、ゲームのオープニング映像の制作、自動車メーカーの開発用映像の制作等に携わり、結婚もして、収入と支出がちょうど同じ位で貯金も減らなくなり、割と順風満帆のスタートを切ったかのように思われました。
しかし、人生、うまくいく事がそう長く続く訳はありません。
半年が経った頃、そのプロデューサーからの案件は途絶え、僕は仕事がなくなってしまいました。
とりあえず日銭を稼ぐために、倉庫作業等をしていたのですが、どうせ仕事がないなら、ずっとやりたかった、自分の映画の脚本を書こうと思い立ち、映画の学校の同期の友達と一緒に、脚本開発を始めました。
毎週、友達の家の近くのファミレスに集まり、脚本会議をし、僕がそれを元に脚本を書き、また会議をし、という感じで、割と楽しく開発を進めていきました。
また、同じ頃、映画の学校の先生から、フリーランスになったのなら、夏に、広島で、映画の学校のOBが映画を撮るから、それに参加してみてはどうか、と言われ、その映画のプロデューサーと面談し、制作進行として、映画に参加する事になりました。
僕にとっては、初めての長編映画への参加です。それもプロのスタッフに混じって。
2週間程度の間、広島の、監督が住んでいるマンションに合宿形式で寝泊まりし、撮影をします。
最初は、制作担当の上司の、埼玉の家に泊まり、準備をした後、広島へ、10時間近くのドライブです。
僕はとてもワクワクしていました。
最初の数日は準備で、買い出し等をし、いよいよ撮影です。
僕の役割は、キャスト、スタッフの車での送迎、撮影現場での食事の準備、野外撮影での人止め、車止め、その他諸々の雑務です。
朝は4時位に起きて準備をし、1日中撮影で動き回り、ヘトヘトになって夜寝ます。
夜に次の日の撮影の打ち合わせをするのですが、みんな寝てないため、打ち合わせでつい居眠りをしてしまい、起きているのがしゃべっているプロデューサーのみ、みたいな事もありました(笑)
大変な事もいっぱいありましたが、終わってみると、とても楽しく、充実した日々でした。
そして、撮影が終わってしばらく経った頃、広島の撮影で助監督だった人から、今度映画の撮影があり、そのサード助監督をやる人間を探している。演出志望なら、やってみなか、と言われ、僕は即やります!と答えます。
その撮影のあり得ない程のハードさを知るのは、少し後の事です。
33才の秋の事でした。


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