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自分不信

自分は人並みに出来る人間だと思っていた。

ちょっとその信仰に陰りが生じた。集団行動が出来ず、アルバイト先でも使えない奴扱いされてしまったからだ。

今度は才能を信じた。
できない分、他の能力が突出していると自惚れた。
僕が信じたのは《絵》だった。ストーリーは斬新だし、絵は頑張れば上手くなるだろうと。だって僕は天才なのだから。

しかし才能もなかった。
練習の効率も悪かったが、客観視出来ていなかったのが大きい。やはりその辺は才能だと思う。才能が無いことを見極められるのも能力の一つだ。自己分析というやつか。

才能がないと悟るのはずっと後のことだった。愚かとしか言いようがない。

諦めて会社員になった。
この頃には自分の要領が悪いことには完全に気づいていた。
案の定仕事は出来なかったが、発達障害認定されるほどだとは思わなかった。
その人曰く、最初からおかしいと思っていたらしい。
見る目があると思う。

要領が悪い以外にも悪いところがあるんだろうか⋯、僕はこの頃にはもう自分を信じることが出来なくなっていた。

おかしいことは自覚している。しかしどこがおかしいのかが分からない。
気づくとしてもずっと後になる。どう頑張っても自覚できないこともあるだろう。というか「自覚している」と確信していることも正確な自己分析かどうかは分からない。他人っからすると「そこじゃねえよ」となる可能性がある。
歪んだ人間がする客観視は歪んでいるのではないか?

僕はもう自分の感性、価値観、立ち居振る舞い、行動といった全てが信用出来ない。自分では客観視しているが、これは客観視している《つもり》というやつだろう。

 noteに記事を投稿して、スキが貰えないと不安になる。
コメントが欲しい。
どこが狂っているのか、どこがズレているのか、どこを改善すべきなのか。

正社員時代、裏で言われていた陰口は「アイツは信用出来ない」ということだったらしい。
要領が悪いのは自覚している。それ以外にも何かあるんだろうか。あるんだろうな。
でないと変人扱いなんてされない。

僕は自分が嫌いだ。

正確に言うと《他人に変人扱いされる自分》《他人と認識がズレている自分の認知性》が嫌いだ。


誰か改善すべきところを教えて欲しい。直せるかどうかは分からないが。

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