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中学時代

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2023年7月の記事一覧

ちょす

ちょす

「ちょす」という北海道弁がある。これは、触ったり、いじったりする意味で、例えば、「これは大事だからって言ったのに、お前、ちょしたんじゃない?」、「ぼく、ちょしてないよ!」という具合に使う。

■孫に触られた

数年前のことだが、小学3年の孫(男)が遊びに来ていたときのことだ。すれ違いざまに孫が僕の股間をサッと触ったのでびっくりした。振り返って顔を見るとニマニマしている。

そこで、「あ~、こら~、

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僕の中の冒険(1)

僕の中の冒険(1)

流氷祭りで紋別を訪問したら、是非ガリンコ号に乗ってね。網走経由で紋別に入る人は、網走のオーロラとどっちにしようかと悩むかもしれませんが、それはご自分で判断を。ちなみに、因みにですが、紋別のガリンコ号は1987年(昭和62年)就航で、網走のオーロラは1991年(平成3年)就航なので、紋別の方が早かったことをお知らせします。流氷祭りもそうだったけど(笑)。

まあ、こんな風に網走と張り合う了見の狭い自

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僕の中の冒険(2)女スパーマン

僕の中の冒険(2)女スパーマン

流氷遊びはちょっとした冒険だった。しかも、ちょっとブログで書けない部分があるから尚更だ。

小学校の「階段飛び」は結構なチャレンジだった。中学の時の「バク転の練習」は死ぬような気持ちだったので、僕の中の冒険としては最上位に来るだろう。そして、今回の「飛び降り」も同じくらい勇気が必要だった。

野球場には季節に関係なく遊びに行った。ただブラブラ歩き回っているだけで楽しかった。

冬になると、野球場正

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バク転の思い出(その2)

バク転の思い出(その2)

バク転がどうにか出来るようになった頃、家の前の雪道を歩く母を見つけ「みて!」と言ってバク転を披露した。母は「あらっ!」を笑みを浮かべたが、本当に驚いた顔ではなかったので、僕のバク転があまり美しくなかったのだと察した。バク転が低かったのだ。

好きな人に自慢したい。できるだけさりげなく。そして失敗するのは男の常。まず、母への自慢は失敗。

■技工室前の廊下で自滅

(既に「思い出せない💦」でざっと

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「四十年の歩み」から

「四十年の歩み」から

紋別中学校の曽根秀彰校長先生が新たな資料「四十年の歩み」を捜し、その中の写真のページを送って下さいました。開校が昭和22年ですから、「四十年の歩み」は昭和62年(1987年)に編纂されたと思います。以下は、その中の写真です。

■卒業当時の校舎

いやいやいやいや、嬉しいです。私の卒業アルバムには校舎中央部の写真のみですが、この写真はその両翼迄出ているのでうれしいです! 

●北玄関

上の写真の

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バク転の思い出(その1)

バク転の思い出(その1)

1964年、東京オリンピック。僕は中1。日本中が興奮の渦に巻き込まれていた。

「先生、オリンピックの時、学校は休みにならないのですか?」と大勢の前で大真面目に質問して失笑買った奴がいたけど、それは僕だった(汗)。「ウルトラC」の言葉が流行り、僕は体操の技が出ている本を買った。

オリンピックが終わると「バク転やりたい!」と思った。中学で、僕が目にする限りでは誰もバク転する者はいなかった。すると、

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