見出し画像

バク転の思い出(その1)

1964年、東京オリンピック。僕は中1。日本中が興奮の渦に巻き込まれていた。

「先生、オリンピックの時、学校は休みにならないのですか?」と大勢の前で大真面目に質問して失笑買った奴がいたけど、それは僕だった(汗)。「ウルトラC」の言葉が流行り、僕は体操の技が出ている本を買った。

オリンピックが終わると「バク転やりたい!」と思った。中学で、僕が目にする限りでは誰もバク転する者はいなかった。すると、ある冬の日、背の低い高橋君が「バク転できたぞ!」と言うではないか! 高橋君とは、小学校の時、片手地上回転して僕に差をつけた奴だ。

話を聞くと、何度か失敗したらしいが、その練習場所がコンクリの上と言うのだから驚いた。どれだけ痛い思いをしたのか。見せてもらうと、見事に綺麗なバク転をした。彼は誰の助けも借りず、一人でやり遂げたのだった。高橋君もそうだが僕たちには、なぜか、体育の先生に教えて貰うという発想がなかった。そうこうするうちに、背の高い浜野君もできるようになった。彼も運動神経抜群だった。

「僕もやりたい」「出来るようになりたい」。何日も思い詰めた。人生の中で、あれほど深刻に思い詰めたことはなかった。なにしろ実行するには、後ろ向きに跳ばなければならない。それは大きな恐怖だった。


ある日、夕食の準備をしている母に「ちょっとだけ外に」と言って家を出た。母には見られなかったが、物凄く悲壮な顔をしていたと思う。

物置の裏には雪の吹き溜まりがある。高めの場所を踏み固めて跳ぶ場所にすると、次に、着地点の雪をスコップで柔らかくほぐした。怪我防止に。

しかし、いざとなっても、なかなか決心がつかない。でも、何日も「やらなければ」と思い詰めてきたのだから、もうやるしかない。そう覚悟を決めて思いっきり後ろに跳んだ。

次の瞬間、僕は仰向けに倒れていた。理解できない。なぜうつ伏せでないのか? それに両目の下が物凄く痛い。でも、傍には、ぶつかるようなものは何一つないのだから、理解できない。

ゆっくり立ち上がりながら、冷静になろうとして分かってきたことは、
 ①自分は頭から落下したが少しも回転していなかった。
 ②頭から雪に突っ込み、その勢いで自分の両膝が顔に当たった。
という事だった。

決死の覚悟で後ろに跳んだ。

自分の膝が顔に当たることなど、どう考えても理解できない。再挑戦する勇気はまったく湧かなかった。家に戻ると母が顔を見て「どうしたの?」と聞いてきたが「なんでもない」で済ませた。

うれしいことに、それから間もなくして僕もバク転が出来るようになった。高橋君と並んで「せーの」と声をかけ、側転からバク転の連続を一緒にやって遊んだ。


このバク転失敗事件は鮮明に覚えているのに、初めてバク転が成功した時の事が思い出せない。もしかすると、自力ではなく、高橋君に補助してもらって出来るようになったのかも知れない。この頃、そう考えている。

バク転の先駆者、高橋君は僕の中でいつまでも英雄だ。

(まこと)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?