見出し画像

ちょす

「ちょす」という北海道弁がある。これは、触ったり、いじったりする意味で、例えば、「これは大事だからって言ったのに、お前、ちょしたんじゃない?」、「ぼく、ちょしてないよ!」という具合に使う。



■孫に触られた

数年前のことだが、小学3年の孫(男)が遊びに来ていたときのことだ。すれ違いざまに孫が僕の股間をサッと触ったのでびっくりした。振り返って顔を見るとニマニマしている。

そこで、「あ~、こら~、何するんだ~」と笑いながら、仕返しに孫をに追いかけ回した。接近戦になると、互いに自分の「もの」をガードしながら相手の「あれ」を触りにいって、じゃれあった。(笑)

そんなじゃれ合いはすぐに終わったのだが、「まったく何てことしてくるんだ」と声を出して笑っている時、ふと、昔の場面が蘇ってきた。

そうだ。学校時代、そんな奴がいた!」と。

確かに、この孫と同じように、すれ違いざまに股間をさりげなく触ってくる奴がいたことを思い出したのだ。何人もいた。もう、完璧に忘れていたことだったので、ある意味、思い出したことに感動した。

そんな風に、不意打ち的に触られたときに使った言葉が、「やめろ。勝手にちょすなよ!」だった(笑)。

もしかすると、いや、きっと、どこの学校でも、男同士、すれ違いざまに触ったり触られたり、挨拶代わりのようにいたずらする場面があったのではないだろうか? そして今、これは女性には聞けないが、学校時代の女子同士でも、似たような悪ふざけをし合っていたのではないだろうか、と勝手に想像している自分がいるのだが、果たしてどうだろう?

■ボノボの社交術

話は変わるが、随分以前に、人間に最も違いと言われているボノボ(Bonobo)のドキュメンタリー番組を見たことがある。別名ピグミーチンパンジーとも言われてチンパンジーによく似ているのだが、チンパンジーより遥かに穏やかな性格で争いごとが少ないらしい。そして、このドキュメンタリーでは、ボノボが他のグループと出会って緊張が高まった時の対処法として、互いの性器に触れ合うシーンがあった。

孫とじゃれ合って、学校時代の場面と、このドキュメンタリーを思い出したのだった。


■笑顔の女子高生たちの場合

高校時代の帰り道、親友と本町の商店街を歩いていた時、向こうから「花園高校」の女子高生4人が歩いてきた。小学校の時に講堂の隣にあった「花園高校」は、その頃、南が丘に移転していたのだが、そこの女子高生たちだった。

こんな感じで4人いた。

僕たちは二人並んで店側を歩いている。団子状態の女子たちはお喋りしながらで歩いてくる。そのまますれ違う程、歩道の幅は広くはないので、どちらかが、あるいは、お互いに譲る配慮が必要だった。

しかし、どんどん近づいてくる女子高生たちにその気配はまったくない。誰かが車道におりることもせず、あくまで歩道をやってくる。しかも、笑顔のままこっちを向いて。だからと言って、彼女たちには、今でいう「ヤンキー」な感じなど微塵もなく、むしろ、清楚で可愛い子ばかりだった。

店ギリギリに歩いている僕が、心配になって親友の顔を覗くと、「俺、このまま行く」と笑った。そして、親友は勇敢にも直進し続けた。女子高生たちも一歩も譲らず直進してきた。可愛い笑顔のままで。


果たして、親友は女子高生の中を堂々と通り抜けた!

通り抜けた彼の顔は偉業を成し遂げたかのように高揚していたので、僕は「やったね!」と褒め称えた。すると彼は、ニマニマした驚きの表情でこう言った。

「やられた! 掴まれた!」

女子の群れを通り抜けたときにやられたのだった。(大笑)

このような場面では北海道弁の「ちょす」は使わない。「掴む」とは区別されている。


■おばちゃんたちの場合

余談だが、満員電車で通勤していた頃のある日、僕は後ろから押される体を弓状にしながら、必死につり革につかまっていた。前の座席には、比較的おばちゃんに近い女性の二人組。

とある駅について、二人が降りようとするので、これまた必死に体を捌いて道を開けてあげると、通りすがりに一人が僕の股間を握った。OMG!


参考までに、こうした場面でも北海道弁の「ちょす」は使わない。「握る」とは区別されている。(大笑)


孫のいたずらから、笑える出来事を思い出した。

(まこと)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?