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重訳論ふたたび。周縁国、小国の文芸翻訳。

いまアウグス・ガイリというエストニアの作家の『トーマス・ニペルナーティ』という長編小説を読んでいます。Googleで作家の名前(カタカナで)を検索しても何も出てこないので、ほとんど(というか全く)日本では知られていない人だと思います。(August Gailit: 1891年〜1960年)
写真: ガイリ(女性の右隣)とエストニアの文学グループSiuruのメンバー

この本の原著はエストニア語で書かれていますが、わたしが読んでいるのは英語版。アマゾンで探しても、英語版以外のものは見つかりませんでした。出版が1928年なので、そしてエストニア語は、世界的に見ても話者の少ないマイナーな言語なので、まあそんなものかなとは思いますが。

この英語版(ペーパーバック版、kindle版)は2018年の出版で、Dedalus Booksというイギリスの出版社が出しています。3年前と比較的最近の出版なのです。最初に原典が出版された後、1931年にドイツ語版が出たようですが、当時、英語版があったのかどうかは定かではありません。おそらくなかったのでは。

ただこの小説は『ニペルナーティ』というタイトルで1983年に映画化されており、主人公のトーマス・ニペルナーティの存在の特異さから、アウグス・ガイリの作品の中で最も知られた作品のようです。

ところでこのイギリスの出版社はなんでまた、今頃この本を翻訳出版したのだろう、という疑問をもちました。何かきっかけでも? そこでDedalus Booksについて少し調べてみました。Wikipedia英語版によると、ヨーロッパ文学に特化した出版活動をしているようで、独自のジャンル(シュールレアリズム的な、あるいは奇怪な出来事、歪んだ現実感などを合わせもった知的なフィクション)を開拓しているようです。ヨーロッパ的なという説明があり、それはイギリスから見た(国外の)ヨーロッパということなのか。

エストニア文学はこれまでほとんど日本語になっていません(本稿の下に注釈あり)。去年、河出書房新社から、アンドルス・キヴィラフク著『蛇の言葉を話した男』という小説が出版されたのが、(少なくとも近年では)初めてではないでしょうか。384 頁という大部の本で、価格も3960円と知られていない作家という意味では、誰もがすぐに手を出せない敷居の高さがあります。でもアマゾンでは複数の高評価のレビューがありました。

YouTubeでこの本をめぐるトークショーを見たのですが、そこに出席していたエストニア出身で日本文学研究者の松浦マルギスさんは、「エストニア語と文化が今も残っているのは奇跡に近い、これからも残っていくかどうかわからないという危機感がある」というようなことを話していました。それはエストニアが歴史的に複数の大国の支配下に長くあったことや、人口が130万人程度(そのうちエストニア語話者は88万人強)と小さな国で、いわゆるヨーロッパの周縁国(peripheral countries)に分類され、GDPも300億ドル程度くらい(ドイツが4兆1200億ドルであるのに対して)と、非常にミニマムな属性をもつことからくるのでしょう。

話者が100万人に満たないというのは、日本のような1億人以上の人が同じ言葉を話している国から見ると、ちょっと想像を超えているところがあります。わたしの読んでいる『トーマス・ニペルナーティ』がアマゾンでは英語版しかない、というのも、商業的見地からは理解できます。

しかしエストニアの作家は、エストニア語で小説を書いており、さきほどの『蛇の言葉を話した男』も原典はエストニア語です。ただ河出書房新社の日本語訳は、フランス語からの翻訳とのことで、いわゆる重訳になっています。エストニア語 → 日本語の、それも文芸翻訳ができる人で、さらにはこの作品に適した人を見つけるとなると、至難の業だと思います。

日本では一般に重訳に対する(また重訳という行為に対しても)評価が低いですが、こういった話者の少ない小国の言語の作品を訳す場合は、重訳かどうかにこだわらず、一番適した方法をとるのが良いように思います。重訳になることが理由で出版をあきらめるより、重訳であっても、最善の翻訳をして作品を紹介する道筋をつくり、あとに繋げることが大切かなと。

葉っぱの坑夫も、エストニア語が原典の短編小説集を今、本にしようと準備しているところですが(英語からの翻訳により)、以前にもそれ以外の言語で重訳の作品を出版してきた経験があり、それぞれ意味はあったと感じています。また作家たちも日本語に訳されること、自分の作品が紹介される機会をもったこと自体を喜んでくれることが多かったです。

重訳については以前、noteに書いたことがあるので以下に紹介します。ベトナムにおける日本文学のほとんどが、1990年代以前はロシア語などを介したもので、それが後の日本文学紹介の先駆けとなったことなど書いています。

またエストニアの作家メヒス・ヘインサーの作品を、英語を通して翻訳したときのことを書いた投稿もあるので、それも。

さて、最初に書いたアウグス・ガイリの『トーマス・ニペルナーティ』について。

この作品と出会ったのは、上記のメヒス・ヘインサーを介してでした。ある紹介文の中で、ヘインサーが卒論のテーマにアウグス・ガイリを選んでいたのを読んだのです。それでどんな作家なのか、どんな作品を書いているかを調べてみました。そこで見つけたのが、英語版の『Toomas Nipernaadi』でした。しかもkindle版が出ていたので(出版年が新しいからでしょう)、サンプルをDLしてまずは読み、興味をもったので購入しました。

半分くらいまで読んだところですが、途中から俄然面白くなってきました。エストニア文学センターのこの小説の紹介記事によると、トーマス・ニペルナーティという特異な主人公を題材に、7つの独立した短編小説を連ねた、連作形式の長編小説ということのようです。

この主人公のどこが特異なのか、というとまず生まれながらの風来坊(どこからともなく現れてはどこへともなく去っていく人のこと/ Wikipedia)、あるいは放浪者であること。といっても実は、家はあって、妻も子供もいて(ネタバレ:第4章までには一言も出てこない)、ただ春になると一人ふらりとツィターを抱えて家を出て、森や草原、湿地帯をさまよい歩き、初雪が降る頃に家に帰る、、、といった趣味の、あるいは擬似ノマドのようです。放浪はそうして暮らすことが楽しいから。草原や沼地や森を気ままに歩き、農園や牧場などを見つければ、何か仕事はないかと尋ねて数日間、そこに滞在したり。

ここまでの、わたしが目にした四つの話には、必ず一人か二人、森や沼地に住む若い娘が出てきて、ニペルナーティと接触します。そしてたいてい、この男(young man、boy、ladなどと出てくるのでおそらくそこそこ若いのでは。20代〜30代前半くらい?)に心を奪われてしまいます。それは話がうまく(たくさんの嘘を交えて)、田舎暮らしの狭い世界に住む娘たちに、外の風景や未来への希望を見せたり、示したりしてくれるから。

といってニペルナーティはペテン師ではないようです。娘たちをたぶらかして何かしよう、というわけではなく、また娘たちと交流しているときは、真心で接しているように見え、純真さや誠実な態度に嘘はないようです。ただし家や家庭があることは口にしません。プラプラと気ままに行動するところは、おそらく天然のもので、人と一緒でないときも行動様式は同じなので、見せかけのものではないようです。

突然の嵐の到来に感嘆し、天気や風景の変化、森の中の鳥たちの歌声に敏感に反応し、木々や草花の美しさに感動し、と悪い人間には見えません。ただ嘘は平気でつくし(言った後すぐに、嘘をついてしまったと謝ることも)、真剣な言い争いになれば、刃物のように鋭い舌をつかい、見事な言葉遣いとその論法で相手を圧倒します。つまりただの善人ではない、ということ。

宮沢賢治のお話に出てくる、たとえば『虔十公園林』の主人公のような純真さを目一杯持ちつつ、悪魔のような舌を必要であれば使える人物。

  朝方になってやっと、空に明かりが見えはじめると、男は歌うのをやめ、ほんの一瞬、目を閉じた。しかし眠りは短く、浅く、次の瞬間には立ち上がっていた。そして森へ走っていくと、木々の1本1本の前で足を止め、花々を一つ一つ点検し、目にした虫を手のひらに乗せ、もがくところを笑いながら観察した。それに飽きると、木の下の苔の上にすわって、耳を澄ませ、口をぽかんと開け、陶酔で目をかすませた。そして太陽が地平線の上に現れると、筏(いかだ)の方に戻っていった。

『トーマス・ニペルナーティ』より第1章「いかだ乗り」

 虔十(けんじふ)はいつも繩(なは)の帯をしめてわらって杜(もり)の中や畑の間をゆっくりあるいてゐるのでした。
 雨の中の青い藪(やぶ)を見てはよろこんで目をパチパチさせ青ぞらをどこまでも翔(か)けて行く鷹(たか)を見付けてははねあがって手をたゝいてみんなに知らせました。(略)
 風がどうと吹いてぶなの葉がチラチラ光るときなどは虔十はもううれしくてうれしくてひとりでに笑へて仕方ないのを、無理やり大きく口をあき、はあはあ息だけついてごまかしながらいつまでもいつまでもそのぶなの木を見上げて立ってゐるのでした。

『虔十公園林』(青空文庫より)

ニペルナーティと虔十はかなり違いますが、自然に対する感性とか、純真さなど、どこか共通するところがあって、『トーマス・ニペルナーティ』を読んでいるとき、虔十のことを思い出したのです。

『トーマス・ニペルナーティ』は人が普通にもっている価値観や先入観を、奇妙なやり方で揺さぶるところがあり、また一般的な善悪や白黒の判断をからかうような側面をもっています。また人間が生きる上で大切な「自由」というものがどういうものなのか、その正体はと、この人を見ていると考えさせられるところがあります。

そのような意味で、この小説は面白く、エストニア語を読めない自分が英語版を手にすることができてラッキーでした。もし英語版がなければ、触れることの叶わない世界です。エストニアの小説には、(ヘインサーの小説もそうですが)エストニアの自然の風景、気候天候がよく表されていて、それも魅力の一つです。エストニアはフィンランドなど北欧の国に近く、北ヨーロッパに位置しています。『トーマス・ニペルナーティ』の中でも「白夜」という章が出てきます。湿地帯や沼地がたくさんあることで知られ、それを表す言葉も豊富なようです。英訳でもwetland、bog、marsh、swampなどたくさんの用語が出てきますが、その違いはどこにあるのか、日本語にするとそれぞれどういう訳が当てはまるのか、今のところまだよくわかっていません。

未知の作家の小説であること、未知の国の気候や天候や風景を感じながら読むこと、時代的にも20世紀とはいえ、今から100年近く前に書かれたものであること、文化的背景や土地の名前、人の名前も聞きなれないものが多い(読み方がわからない)こと、と知らないことばかりの中を手探りで進んでいくような読書ですが、物語の普遍性により、ストーリーテリングの見事さのおかげで、また主人公の一風変わったキャラクターのために、楽しんで読み終えることができそうです。

そして次に考えること。は、これを次のプロジェクトにしたらどうだろう、ということになります。もしそうなると、エストニアの小説を去年から続けて訳すことになり、またメヒス・ヘインサーの作品同様、今回も英語を通した重訳による翻訳になると思います。

以前に葉っぱの坑夫の本に対して、「重訳と知っていれば、本を買わなかった」と言われたことがあり、重訳については日々、考えることが多いです。しかしフランス語からの重訳である『蛇の言葉を話した男』と同様、エストニア語 → 日本語の文芸翻訳をできる人が、日本にはおそらくいない(あるいはほとんどいない)状況の中では、選択肢は限られています。ここ半世紀とかそれ以上、エストニア語から日本語への文学作品の出版がなかったとするなら、それを専門とする翻訳者は仕事がゼロだったということになります。

ところで『トーマス・ニペルナーティ』の英語訳者は、<エストニア語が母語>の妻と<英語が母語>の夫という二人で、共同作業による翻訳です。なるほど、これは最強の組み合わせかもしれません。ふと思ったのは、1928年にエストニア語で書かれた小説が、2018年に出版されたということは、原典に忠実(誠実)に訳されていたとしても、やはり訳語のテキストには今の英語の言語感覚やボキャブラリーが色濃く出ているはずです(実際、読んだ感じで言うと、現代の英語です)。つまりそれによって、小説が読みやすくなっている可能性があるということ。そしてもし葉っぱの坑夫がこの本を、英語訳をつうじて日本語に翻訳したとしたら、やはりそこには今の日本語の言語感覚が反映されるはずです。結果、オリジナルは100年近く前の文章だったとしても、今の読者に適合しやすくなるのでは、そしてそれは悪いことではないのかも、と思います。そうやって過去の作品は、文学に限らず、伝わってきたのですから。

最近、モーツァルトのピアノソナタを新旧のピアニストの演奏で聴き比べる機会がありました。10番(K.330)の第1楽章をクララ・ハスキル(1895〜1960年)、ウラディミール・ホロヴィッツ(1903〜1989年)、パウル・バドゥラ=スコダ(1927〜2019年)、フリードリヒ・グルダ(1930〜2000年)、ダニエル・バレンボイム(1942年〜)、内田光子(1948年〜)、クリスティアン・ツィマーマン(1956年〜)、ファジル・サイ(1970年〜)、ラン・ラン(1982年〜)、エリック・ルー(1997年〜)などの演奏で聴いてみました。1783年に作曲されたハ長調の軽快爽快な曲、聴いたのは冒頭部分のみですが(ライブ演奏の収録、レコードと音源はいろいろです)。

いやー、ちょっと驚きましたね。昔の人の演奏は、一見(一聴?)ヘタです。本当にヘタかどうかは別にして、パッと聴いた感じでいうと音のムラが大きく、緩急の付け方が極端だったり不安定だったり、音自体がきたなく聞こえることもあり、ときにちょっとうるさい感じも。録音技術の問題もあるかもしれませんが。今(最近)の人の演奏は音の粒が揃っていて、どの人も音の流れにムラがなくきれいです。良くも悪くもコントールが効いています。一言でいうと聞きやすい。演奏の面白さ、独自性、芸術性といった点でいうと別の見え方があるかもしれませんが、昔の人の演奏は耳に馴染みにくいように感じました。これって、文学作品でも、昔の作品の古い言葉遣いなどが、ときに読みにくく感じられることと似てないでしょうか。

古典作品の現代語訳というのは文学の世界でよくあること。それによってより広い層に作品が読まれます。それと似たようなことが、翻訳によっても起きているのかな、と。特に古い作品を新しい時代の人が翻訳した場合には。重訳というのも、そういう作品の伝達手段における一つの事象として捉えることができるように思いました。

*アマゾンで「エストニア文学 小説」で検索すると、ヤーン・クロス著『狂人と呼ばれた男―あるエストニア貴族の愛と反逆』(1995年)と、フィンランドの作家ではありますが、エストニアが舞台の小説ソフィ・オクサネン著『粛清』が見つかりました。後者の言語はフィンランド語で、翻訳は英語からのようです。またヤーン・クロスの本も、訳者の経歴から見て、英語からの翻訳と思われます。


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