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読者は少数。エストニアは小さな国だから。

エストニアは人口たった100万人ちょっと。自分の読者はおそらく500人から1000人くらいだと思う。でも自分にとってこれは大変な数です。こうエストニアの作家、メヒス・ヘインサー(写真)は言います。さらに、ある作曲家の例を引いて、その人は客席数17のホールを自分のために建てた、それが彼にとって適切な数だったから、と。

人口の多い国、そして商業が活発でその成果によって何事も計られる場所に住んでいると、これはちょっと理解しにくい感覚かもしれません。さらにヘインサーは次のようにも語っています。

人口が少ないから、作家は自分がいちばん大事だと思うことに集中できます。もっと人口の多いところでは、多くの読者を(たとえ意識していなくても)喜ばそうとするから、ものを書くとき危険が生じます。多くの作家がそのようになります。本当に危険なことだと思います。

いかがでしょう。多くの読者をもつ人は、自分が大事だと思うことに集中できない、それが危険であると。

ちょっと視点を変えて、アーティスト(作家)と聴衆(読者)の関係という側面から見てみると、たとえばコロナ禍の状況では、多くの観客を一箇所に対面で集めることが難しくなっています。数万人が入れるサッカースタジアム、数千人以上が音楽を聞けるアリーナ、数百人レベルで映画を見れるシアター。こういった場所が軒並み、運営の難しさに直面しています。

ここで気づくのは、そもそもなぜそんなに大量の人が一箇所に集って鑑賞しているのかということ。そのイベントや演目が「内容」の面で、それだけの数の聴衆を必要としているから? いろいろ理由はあるでしょうが、考えられる一番大きなものは、数の多さが商業的な成功と直結しているからです。チケット一つとっても、1000人の人に売るのと30000人の人に売るのでは全く事情が変わってきます。

20世紀以降の資本主義社会で事業を考えるとき、数の問題は避けられないものだと思います。そしてその基準値は時代を経るうちに、どんどん上がってきています。10万部、20万部、ときに100万部のベストセラーを目標とする時代に、500人の人に向けて何を伝えるか、という問いは社会的にほとんど意味をなしません。また、それを考えるための想像力も働かないでしょう。

しかし一人の人間が、何かを表現しようとするとき、対象とする相手を10万人に設定するのは難しいことのように思います。いや、5000人でも難しいかもしれません。メヒス・ヘインサーが500〜1000人という数が、自分にとって大変な数だと言っているのは、おそらくそういう意味だと思います。

この先、世界がどのように変わっていくのかわかりませんが、日本が大きな成功を収めた1960年代から1990年くらいまでの高度成長期型の社会、ひたすら発展を求め、財務的成功のみに邁進する思想や方法論は、企業にとっても個人にとっても今後通用しにくくなるかもしれません。

葉っぱの坑夫が3月から新プロジェクト『メヒス・ヘインサー [エストニア] 短編小説集』をはじめるのも、物量がものをいう世界で、少数派に属する作品を、いかに生きたものとして提示できるか、という課題に挑戦したいからです。これまでもアフリカや南米の新世代作家たちの作品を数多く日本語にして紹介してきましたが、東欧圏の作品はさらに(日本では)注目度の低い、そして未知の世界でもあります。

エストニアという国は、最近になって「電子国家」とか「e-redidency(電子居住権)」などで日本でも話題になっていますが、どういう国か、ほとんど知られていないといっていいのではないかと思います。わたし自身、よく知っていたとは言えません。作曲家のアルヴォ・ペルトがエストニア出身、ということくらいだったでしょうか。ただ去年くらいから、中央ヨーロッパではない東欧もふくめた周縁の国々の文学作品に興味をもってきました。そのきっかけも、この地域の20世紀の作曲家、たとえばハンガリーのクルターグとかアルメニアのグルジエフといった人々の音楽を聴いていたことに端を発しています。

中央ヨーロッパから外れたところで、素晴らしい音楽が生まれているとしたら、文学の世界でも同じことが起きているはず。そう思ったわけです。また自分の求めるものは、たくさんの人を集めて人気が集中しているところではなく、数のまばらなところ、集まる人の少ない場所にこそあるのかもしれない、という幻想がありました。

そういう探索の日々の中で出会ったのが、エストニアのメヒス・ヘインサーという作家でした。最初に読んだは、Words Without Bordersという国際文芸翻訳サイトにあった『Death among the Icebergs(氷山に死す)』という短編小説で、これは読みはじめてすぐに面白いと思いました。エストニア語を学ぶためチリからやって来た女の子が、博物館勤務の冴えない中年男に恋をする話で、結末はちょっと悲しいものがあるのですが、生き生きとした描写やユーモアの感覚が冴える印象深い作品です。ヘインサーの多くの小説では、リアルワールドと幻想(幻覚)の世界がスリリングに交差します。ヘインサーはこういった書法について、「自分にとって唯一の世界を見る方法であり、リアルワールドに近づくやり方なのだ」と答えています。

『氷山に死す』が非常によかったので、その後、他の作品で英語に訳されたものはないか探しました。Amazonで『The Butterfly Man & Other Stories(蝶男とその他の物語)』という小さな英語版の本を見つけ、まずそれを買いました。そしてさらにエストニア文学センター、エストニアのカルチャーサイトepfanioで、英語に訳された作品をいくつか見つけました。エストニア文学センターは、今回、作家への許可も代行してくれたところで、それなしにはこの企画は実現しませんでした。

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ヘインサーの作品は、エストニアで著名な短編小説賞を3回も受賞したことで、英語訳だけでなく、多くのヨーロッパ言語に翻訳されています。デンマーク語、フィンランド語、フランス語、ドイツ語、ハンガリー語、イタリア語、ロシア語、スウェーデン語といった言葉に作品が翻訳されているようです。しかし多分、英語に訳された作品が一番多いのではと思います。それは読者層が圧倒的に厚いからです。いまは英語圏の人だけでなく、アジアやアフリカでも英語文学は読まれています。英語で書けば、あるいは英語に翻訳されれば、非常に多くの人の鑑賞の対象になります。

葉っぱの坑夫のこのプロジェクトは、その英語版からの翻訳です。エストニア語から日本語への文芸翻訳者がいない(自分自身も訳せない)、という事情もありますが、数の上ではおそらく、ヘインサーの作品をエストニア語のオリジナルで読む人より、英語で読む人の方が多いのではと想像されるからです。つまりある意味、英語版が、作品の普及版としての役割を果たしているということです。

ヘインサーは作品を書くとき、エストニアの読者のみを想定していると思われます。それは最初のところであげた「500人〜1000人」が自分の読者だと言っているとこころに現れています。しかしそうした「狭い」範囲の人に向けて書かれたもの、そして作家がいちばん大事だと思うことに集中、専心して書いたものが、わたしのようなアジアの片隅に住む、エストニアをよく知らない人間にも印象深く伝わるというのは、ある意味すごいことです。これこそが文学の力なのかもしれません。ここでは英語という媒体となる言葉(作家にとっても読者であるわたしにとっても母語ではない)が、威力を発揮しています。

もし作品がエストニア語のみで読まれていたら、作品のもつ意味はずいぶんと違ってくると思います。エストニア文学センターに、作家への許可の連絡を頼んだ際、ヘインサーから日本語への翻訳と出版について嬉しく思っていること、ありがとうと伝えてほしいというメッセージをもらいました。この作家が多くの言語への翻訳を許可していることから、自分の読者はエストニアの500人くらいの人たちとしながらも、翻訳によって派生する未知の世界の読者の誕生も(驚きつつ)喜んで許しているのです。これは少数の読者を念頭に書くという行為と矛盾するわけではなく、発想の時点で10万人の読者のために作品を書く行為とは、根本が違うと思います。

今回わたしはメヒス・ヘインサーの作品を訳すにあたって、基礎知識としてエストニア語と国や社会の特徴、歴史を勉強することにしました。翻訳者というのは常に、扱う対象の総合的な知識が求められます。背景的な知識として、言語や歴史を知っていることが、テキストを訳すときのヒントになり、テキストの意味を深く汲み取ることで、当てる日本語にニュアンスをもたせることもできます。

言語という意味では、まずエストニア語の発音の特徴を知る必要がありました。ヘインサーの小説には、エストニアの実在の地名や人の名前がたくさん出てきます。たとえば3月末に公開する『沈黙の16年』の主人公は、Aadu Vasselという名前です。アアデュ・ヴァッセル?? 「aa」は北欧の言語でも使われる綴りですが、カタカナではたいてい「アー」と表記されます。「du」はデュでも間違いではないと思いますが、「トゥ」の方が近いかもしれません。エストニア語が専門の研究者・松村一登氏は、dはタテトの音に近いと書いています。Google翻訳にAaduを入れると、日本語テキストの欄には「アードゥ」と出てきますが、音声で聞くと「アートゥ」と聞こえます。Google翻訳の音声は、エストニア語に関してはAIではなく、人が録音した声のようです。Vasselの方もテキストでは「ヴァッセル」と出てきますが、音声を聞くと「ワッセル」に近いです。しかしエストニア語の解説サイトを見ると、Vはv音となっているものが多く、Wもv音になっていました。

アートゥ・ワッセルと最初していたのですが、音声の法則ではv音のようなので、最終的にアートゥ・ヴァッセルに変えることにしました。この小説の中に、Vが入っている地名、エストニア南部の都市Viljandiがあります。ウィキペディア日本語版では「ヴィリャンディ」となっていますが、Google翻訳のテキスト及びGoogleマップでは「ピリヤンティ」になっています。またトリップアドバイザーのサイトでも「ピリヤンティ」でした。ちなみにGoogle翻訳の音声は「ヴィリヤンディ」。

さてどうするか、となります。Vをパピプペポ音で発音することがあるのでしょうか。ルール上は「ヴィリヤンディ」あるいは「ヴィリヤンティ」でいいような気がします。しかしトラベルサイトでも「ピリヤンティ」や「ホテルピリヤンティ」と表記されているということは、こちらの方が普及しているということなのかもしれません。ルールと違っていても、普及している方をつかうという考え方もあります。音声については、このプロジェクトを進めながら、引き続き研究し、改定していくことが必要になりそうです。

言語と関係することで、エストニアの歴史があります。エストニア人が自分たちはエストニア語を話す民族集団なのだ、「エストニア人である」と意識しはじめるようになったのは19世紀中頃である、と『エストニアを知るための59章』(小森宏美編著、明石書店)にありました。えええ、、、そんなに遅いの?と思いますよね。ロシア帝国、ドイツ、ソビエトなどの国の支配下にあった時代が長く、学校でつかわれる言葉や公用語の変遷もめまぐるしいようです。聖書や宗教でつかわれるエストニア語も、ドイツ人を通したものだったりして、エストニア語の制度化が遅れていたようでもあります。つまりエストニア語という言語自体が、独立したものとして近年まで存在しにくかったということでしょう。このあたりのことは、ヘインサーの短編小説集を連載する間に、少しずつ書いていけたらと思っています。

ところでエストニア文学センターの方から、この2月に完成したメヒス・ヘインサーのドキュメンタリー・フィルムがあると教えてもらいました。Docpoindというところの制作で、2月7日に試写会があったようです。予定では3月末からエストニア全土の映画館で上映されることになっていました。しかしエストニアがロックダウンに入ったため、今のところ公開未定となっています。60分の作品で、タイトルは『Pingeväljade aednik』(The gardener of tension fields/張力場の庭師)。エストニアの深い森をヘインサーが旅する模様を追った作品で、旅の間に7つの出逢いがあり、この作家のマジカルな内面が提示されるとのこと。

映画館での上映が延びたことで、ストリーミングでの公開があればいいなあと期待しています。



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