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重訳?? プアな行為ではなかった!

重訳とは間接翻訳、つまりオリジナルテキストから直接目的の言葉に訳すのではなく、一度別の言語に訳されたものを通して、目的とする言語に翻訳すること指します。通常の直接翻訳でさえ、原著より劣るとか、忠実度を疑われがちな日本では、重訳の地位はこれまでとても低かったのではないかと思われます。

最近ベトナムの研究者の論文を読む機会があり、重訳に対して新たな視点を得ました。神戸大学大学院博士課程のグェン・タン・タムさんの「異文化対照法としての重訳」という論文です。グェン・タン・タムさんによると、1990年代以前のベトナムにおける日本文学の翻訳は、英語やロシア語などを介したものが9割だったそう。つまり日本文学がベトナムに伝わるために、重訳が一定の役割を果たしていたということです。

グェン・タン・タムさんはこの論文の中で、20世紀初頭、西洋の書籍の日本語訳が、中国語へと重訳され、中国の近代化に重要な役割を果たしたこと、また歴史上、西洋人は重訳を通して非西洋人についての情報を共有してきたことが、重訳の果たした役割としてあげられていました。

また重訳であっても、二つ以上の媒体となる(間に挟まる)翻訳テキストを使用した場合は、文化的な面では、直接翻訳が二視点(原文の文化Aと目的となる言語の文化Bの二つ)によって解釈が進むのに対し、三つ(以上)の文化的視点(媒体となる翻訳AとB、目的となる言語のC)が用いられることを指摘しています。グェン・タン・タムさんはそれを「三視点の重訳」と呼んでいました。これはわたし自身経験があるので、あとで詳しく書きます。

この三視点に、原文を参照して原文の言語の視点を加えれば、文化的な面では、さらに強力な翻訳になりそうです。

グェン・タン・タムさんの論文を読む前から、重訳にはもともと関心がありました。それはドイツ語やスペイン語で書かれた作品を、英語翻訳から日本語に訳した経験があることで、行為としての正当性や文化的な意味について少なからず考えてきたからです。

葉っぱの坑夫で最初に重訳作品を出版したのは、2005年の『ヤールー川はながれる』だったと思います。著者はミロク・リーという朝鮮半島出身の作家でしたが、オリジナルの言語はドイツ語でした。それはこの作家が1920年、大学生だったときにドイツに亡命し、故郷に帰ることなくそこで没しているからです。原著は1947年にドイツのR. Piper社から出版されましたが、わたしが出会った英語版は、1986年のアメリカ/韓国の共同出版版でした。

この英語版なしには、ミロク・リーの作品にふれることはおそらくなかったと思われ、英語訳に対して感謝と尊敬の念を強くもったことを覚えています。ドイツ語で"Der Yalu fliesst"、英語で"The Yaru Flows"、日本語のタイトルはそのまま『ヤールー川はながれる』としました。日本語ではヤールー川は、鴨縁江(おうりょくこう)なのでその方がわかりやすかったかもしれません。それを原語に近い呼び名「ヤールー」としたのは、この本が朝鮮人によってドイツ語で書かれたものだ、ということを表したかったからです。

重訳ということでいうと、この翻訳の中ではいくつか面白いことがありました。東アジアの文化を知っていれば説明なしにわかることが、この本では丁寧に説明されています。それは元がドイツ語で書かれ、ドイツ人に読まれる本だったからです。たとえば子ども時代の話の中で、習字のときにつかう墨と筆とか。墨をするための道具について長々と説明しなくとも、日本語なら硯(すずり)の一言で済んでしまいます。「黒い砥石のへこんだ所に少量の水を入れ、インク棒(ink stick)で前後にこすると水がだんだんとろりとしてくる」のようなことが英語版では書かれています。

また英語版でpieman(パイ売り)となっているものが何なのか、だいぶ考えました。朝鮮半島の屋台料理を調べていて、これはチヂミ売りのことかなと。ドイツ語や英語では、硯や墨、チヂミなど西洋の人には違う言い方(パイ売りとか、書道をcalligraphyと言うなど)や説明が必要になってくる場合も、日本語にする場合は、そこを通さずに訳すことができます。それは朝鮮半島と日本の文化の背景がとても近いから。重訳であっても、原語と目的とする訳語の文化が近いと、こういうことが起きます。

つまり翻訳というのは、ある言葉を別の言葉に置き換えるだけの行為ではないということ。

アメリカ出身で日本語で詩を書いているアーサー・ビナードさんは、次のように書いています。

翻訳というのは、言葉を置き換える作業に思われがちだが、実際は原文の言葉といっしょに、その向こうにある事物と人物と、起こり得るすべての現象を点検して飲み込み、もう一つの言語の中でそれらを再現しなければならない。(「出世ミミズ」より)

「起こり得るすべての現象を点検して飲み込み」という所は、特に重要だと思います。言葉A --> 言葉Bではなく、言葉Aで表わされている事実や現象をイメージし、その範囲を特定し、別の言葉Bで言う、再現するということ。そこでは想像力や知識がフルにつかわれるはずです。

日本では翻訳に関して、原語(原文)に忠実に、というのが基本姿勢になってきたように思います。間違ってはいないと思いますが、この「忠実に」というのは何を指すのか、どのように原文を扱えば忠実になるのか、は議論がわかれるかもしれません。

傾向として、英語の場合、原文のいいまわし(その言語のもっている表現形式など)を忠実に再現して訳すと、もたもたした説明くさい、長々とした文章になることがあります。翻訳ものは読みにくい、と言われる原因の一つかもしれません。小川高義さんの日本語訳の英語小説を読んで、原文からは離れているように見えるけれど、表している内容の「実体」は同じだなと感じたことがあります。結果としてその本の原著を読んだときのイメージと似た感覚をもちました。

また前述のアーサー・ビナードさんの英語から日本語への詩の訳を見たときも、原文に書いてないことが(少なくとも言葉の上では)日本語としてたくさん書かれていて驚いたことがあります。こういう翻訳というものもあるのだな、と感心しました。ビナードさんは日本語から英語、英語から日本語と両方の翻訳が自在にできるようで、そのような人の裁量範囲は、一方のみの翻訳者より広いのかもしれません。ビナードさんのような裁量幅の広い翻訳を「原文に忠実」と言うか言わないか。

文の中で表されていること(事実関係や状況)が、最も適した形で目的の言語の中で「再現」されているのであれば、それも忠実な翻訳なのかもしれません。ただ、文学作品の場合、文章表現において、「このくどくどとした、曲がりくねったような原文のスタイルが特徴なのに、翻訳にはそれが表わされていない」といった批判が出ることもあるかもしれませんが。そのようなケースでは、翻訳の際、別の工夫やアイディアが必要になってくるでしょう。

「三視点の重訳」について。わたし自身の経験でこれに近いのが、オラシオ・キローガの『Cuentos de la selva』を翻訳したことです。オリジナル言語は、キローガがウルグアイ人であるため、スペイン語でした。スペイン語から直接翻訳する能力はなかったので、英語の訳書を底本にしました。その際、2種類の訳書を手元に置きました。一つはアーサー・リヴィングストーンによる「South American Jangle Tales」(1922年)、もう一つはジェフ・ソリーリャによる「Jangle Tales」(2012年)です。また、スペイン語の原典も参照できるよう手元に置いておきました。

リヴィングストーンの翻訳とソリーリャの翻訳の一番違うところは、ソリーリャが南米原産の動物名も含め、原文に沿った英語に徹しているのに対し、リヴィングストーンの方は、アメリカの子どもたちに理解しやすいように多少アレンジしているところです。たとえば動物名ではハナグマをアライグマにしたり、ドラド(dorado)という魚を「shiner」(スペイン語でdoradoは金色を表わす言葉だからでしょう)と命名したりしています。

リヴィングストーンの英文は、童話としてとてもおもしろく、ソリーリャ(この人は名前からスペイン語系でしょう)のシンプルな英文より、(翻訳をするわたしにとって)魅力がありました。かなり迷いましたが、底本とするのはリヴィングストーンの訳とし、キローガのスペイン語のテキストも参照しながら、動物名などは原文に忠実に、またソリーリャの訳を参照しながら、原文にないリヴィングストーンの創作的な部分は削るなどして日本語版を仕上げました。

二つの英語訳を比べながら日本語にしていく作業は、面倒ではありましたが、なかなか面白く、いろいろ発見があったと記憶しています。この作品はウェブで公開され、その後紙の本とKindle本になりました。日本語のタイトルは『南米ジャングル童話集』です。

これ以外にも、「文学カルチェラタン」というプロジェクトをウェブでやったとき、重訳によって、南米各国の若手作家の短編小説やノンフィクションをたくさん訳しました。これはのちに『南米新世代作家コンピレーション』(1)(2)としてブック化され、葉っぱの坑夫の本としては人気のあるタイトルになりました。オリジナル言語は、スペイン語とポルトガル語。イギリスの文芸誌GRANTAや、NEW YORKERに掲載された英語テキストをもとに日本語にしました。

このとき訳した南米の作家たちは、20代から30代で、どの人も英語がそれなりに使えました。それで作家たちと直接メールのやりとりが始まりました。彼らはおそらく英訳されたテキストを、自分でもチェックしていたと思われます。○○さんの英語訳は素晴らしい、とほめる作家もいたくらいです。

アルゼンチン、ブラジル、チリ、コロンビアといった南米の若手の作家たちは、基本的に、日本語に訳されることを喜んでおり、英語誌に発表されたもの以外で英訳されている作品のテキストを送ってくれたりもしました。このように作家自身が、媒体となる翻訳を理解している場合、重訳であっても、大きな障害はないように思います。

もう一つ、変わった体験としては、パラグアイの作家ハビエル・ビベロスの俳句集『En Una Baldosa』の日本語訳があります。オリジナルテキストはスペイン語ですが、俳句であることから、スペイン語があまりできないわたしでも、ある程度読むことができたのです。というか、幼稚園程度のスペイン語ながら、『En Una Baldosa』の最初の一つ二つ、三つと読んでいくうちに、すっかり彼の俳句に夢中になってしまったのです。

キーになるのは彼が英語が使えたことでした。当時30代だったビベロスは、アクラ(ガーナ)で2年ほど仕事をしていたことがあり、英語でコミュニケーションが充分とれました。わたしがスペイン語の俳句を、辞書を引き引き日本語にし、ピンとこないもの、よく理解できないものについて質問すると、ハビエルが丁寧に英語で説明してくれたのです。この俳句集には、スペイン語以外に、現地語であるグアラニー語のものもありました。それも含めて、そしてパラグアイの生活やパラグアイ人の考え方なども教わりながら、一句一句、丁寧に、楽しみながら訳したことを覚えています。貴重な体験でした。

タイトルの『En Una Baldosa』をどう訳すか、というときは、彼も一緒になってアイディアを考えてくれました。日本語にすると「一枚のタイル(敷石)の上で」という意味です。ハビエルによると、これはサッカーの盛んなパラグアイでよくつかわれる表現で、ごく狭い場所(1枚のタイル)の上で超絶技巧を披露するイメージとのことでした。たとえばジダン選手のプレイのような、と言って動画まで送ってくれました。

日本語に置き換えるとき、タイルではなく「枡」がいいんじゃないかと思いつきました。マス目の枡です。そこで「一枡のなかで」という案を(枡の説明をして)ハビエルに伝えたところ、「踊る」という言葉が出てきました。小さなスペースで(限られた言葉数で)、最大の効果を見せるという表現法に、「踊る」はぴったりだと思いました。狭い場所で男女が絡み合って踊るタンゴのようなイメージです。タイトルは最終的に『一枡のなかで踊れば』となりました。

この俳句集は重訳ではありませんが、スペイン語を底本にしながらも、英語による解釈の助けを借りたという意味で、重訳的な翻訳と言えます。

世界にはたくさんの言語があり、様々な言語によって作品が書かれています。しかし英語やフランス語、スペイン語といった主要言語ではないものは、訳者が少ないため翻訳されないことが多いのです。幸いそういったマイナーな言語の作品も、英語に翻訳されるケースはあります。英語で読める人は、そういった作品に出会えることが増えます。そこから一歩進んで、その英語を媒体言語として、それぞれの国や地域の言語に翻訳が進めば、文化的にはとても意味のあることではないかと思います。

最近、エストニアなど中央ヨーロッパから外れた小さな国の作品を読んでいます。英語に翻訳されたものです。そこで描かれる世界は、他のヨーロッパの国や南米、アジアなどとは違った感じがします。日本で読まれない理由、本にならない理由が、言葉の壁であるのなら、重訳によってそこを超えていく試みはあっていいと思います。

英語を媒体言語にして、英語圏以外の地域の作品をいろいろ読み、よい作品を日本語で紹介するプロジェクトを、来年はやってみたいと思っています。


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