それぞれの春 ①

 春が苦手だ。昔から。出会いと別れの季節…というが、先ず、そのどちらも苦手。学生時代はクラス替えなどで前後左右の景色が変わるのもストレスだった。
 進学を繰り返す度、ひたすら挫折を経験したのも原因ではある。
 就職氷河期真っ只中に社会へ出てからも、長らく毎年更新の有期雇用者だったため、翌年仕事があるのか、路頭に迷うのか、何ヶ月も前から不安で倒れそうだった。
 希望を胸いっぱいに抱いて羽ばたこうと将来を夢見て飛び出せるはずの若く活気のある時代に、〝生きる〟ということの重圧に押しつぶされるような生き方をずっとしていた。
【若い時の苦労は買ってでもせよ】という言葉がある。【若い頃の苦労は自分を鍛え、必ず成長に繋がる。苦労を経験せず楽に立ちまわれば、将来自分のためにはならない。】という意味だとあるが、当時はそんな風に考えられなかった。自らの身に起きている苦労は、ひとつひとつがあまりに辛く、苦し過ぎて、いずれも先の見通しがまるで立たなかったからだ。
 しかし、若い時に苦労をしたお陰で、今が一番幸せなのかも知れないと、ここ数年ようやく考えられるようになっていた。ずっと辛く苦しかった分、良いことが今、沢山ある。もう苦しいことはそんなに多くないはずだ。若いうちに充分苦労したのだから、あとは良いことばかりで、今、幸せを感じていられるのは、過去の苦労に対するご褒美なのだ、と…。これからは何があっても何とかなる気がしたし、ちょっとやそっとのことでは動じない自信まで備わった。年と共に神経質さが緩和され、良い具合に鈍感になってきたことを自覚しながら、それも善しと捉えていた。
 色々と甘かったのだろうか。
 幸せ過ぎたのだろうか。
 高々三、四年なのに、これで過去の苦労に対する功徳は帳消しなのだろうか…。
 久しぶりに迎える、鬱々とした春だった。
 元気であっても、毎年酷い花粉症に苦しめられるので、逃げられるなら逃げたい季節が春。しかし今年は、花粉症が例年よりマシに感じられるくらい、日々の精神状態が悪かった。
 毎朝、起きるのが辛くなった。元々朝には弱いが、激務に追われるように出勤していた時期を経てみると、仕事は楽しくて仕方なくなっていた。バタバタと走り回って準備をしたとしても、行く先には楽しいことが待っている。そんな気持ちで毎日仕事に出かけていたのだった。
 それが今は、通常より必要以上に早く目覚めるくせに、仕事に行かなければならないのだと思うと、気が重くなる。目覚めるなり、霞がかった悩みが目の前を漂い、本当に布団から出ないとやばい!という時間になって初めて慌てる。義務的に朝のルーティーンを熟すことで、何とか出勤準備を整え、バイクに跨り、電車に乗り、学校までの道のりを歩いて到着する頃には、大分平常心を取り戻す。行けば仕事は山のようにあるので、勤務時間いっぱい走り回る。しかし時間を削減されているので、終わらせることなく就業時間が訪れる。仕事を放置して帰らなくてはならない。残業する意味がわからないからだ。
 今までは、五時を知らせる童謡のメロディが合図であり、残業するにしても、それがひと段落の目安となっていたが、切り替え時が判らない。児童の最終下校時刻を前に、これからが動き時…とばかりに賑わい始める職員室から逃れるように、荷物を纏めて外へ出る。それがものすごいジレンマになった。
 仕事が落ち着き、転職先が決まれば、学校を去るつもりにしている。管理職には、ごたごたが解決する見通しが立たないと解った時点で伝えており、定年退職で勇退した前校長は、「それで良いと思う」と応援の姿勢まで見せてくれた。自分が居なくなる学校がどうなろうと関係ない…という様子ではなく、現実的に考えて、今回の急な不利益変更が人道的な誠意ある措置ではないということを充分に理解しての言葉だったと捉えている。
 最初に現状を伝えた教頭は、今年度校長に昇格した。司書の窮状を理解しつつも、今年度は仕事を続けてほしいと言う。しかし生活に差し障る結果が伴うことに自らの力が及ばないのは承知しているため、転職が決まった折には全力で送り出すと理解を示してくれた。
 すべてはタイミング次第なのかと思う。どの時点で転職が決まるかにも因るが、決まったところで、今の仕事を何処で切り捨てれば良いのわからなかった。
 仕事は追い駆けてくる。
 子どもの姿がちらつく。
 転職の見通しが立たない。
 年度末に転職先が決まり、てっきり今は新天地にいるのかと思っていたらしい友人達から、疑問符のメールが届く。説明が難しかった。
 あのときあっさり切り捨てれば良かったのではないか…とは全く思っていない。責任感だとか、そういうカッコいい言葉で一括りに出来るような誠実なものではない気がする。そんなものが核としてあるなら、どんなに生活苦に陥っても、この一年は職務を全うすべきなのではないかと思うからだ。
 しかし一方で、それに殉じたところで、翌年の状況が好転する予想はゼロに近いという意識が大きく働く。このままではいけない、と。

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