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スタンド バイ ユー

《賢治 Kenji》

 僕は先輩から貰ったコンドームをポケットから取り出し、太郎に見せた。
「えっ、何? おぉ、それは」
 驚く太郎の目の前で、コンドームの封を切り、中から湿った円形のものを取り出した。
 僕も初めて見る避妊具の現物。へぇーこんなに薄いんだと思いながら、それを口にあて、息を吹き込んだ。半透明のコンドームが小さく膨らんだ。
 僕はしゃがみ込み、膨らんだコンドームを目の前の川につけて水を入れた。端を結ぶと、小さな水風船が出来上がる。
「へぇ、これに、ちんこ入れるんだ」
 太郎がコンドームを指先でつまみ、感心したように言う。
「ちんこにかぶせて、女の方に入れるんだよ」
 全てを知っているみたいに僕は言ったけど、それをどこにどう入れるのかは、ネット動画からの知識だけだった。
 夏休みに入ったばかりの七月。僕たちは地元の人たちが三角山と呼ぶ山の中にいた。
 透き通った川の水は、きりっと冷たい。向う岸では緑が揺れて、太陽の光がちらちらと笑う。
 僕と太郎は、先輩から貰った十個のコンドームのうち八個で水風船を作った。残りのニつを一個づつ、それぞれのポケットに大切にしまった。
「これで、エッチできるな」
 太郎がポケットをぽんぽんと叩きながら嬉しそうに言う。
 大量のエロ動画を観た僕たちは、十四歳の、中二のこの夏に童貞を捨てるぞ、と誓い合ったばかりだった。
 僕は八個の水風船をリュックに入れて、太郎と一緒に、また山を登り始めた。

 草が覆い茂る獣道。僕は細い竹の棒で地面を叩きながら歩いた。後ろから、小柄な太郎が息を切らしながら追ってくる。
 僕は小学校のときから野球をやっていて、高校生と間違われるくらい身体が大きい。太郎はクラスで一番のちびっ子だ。
「賢治は何をお願いするの?」
 太郎が背後から、訊いてきた。
「サヤカとやれますように」
 前を見つめ、草を叩きながら答えた。
「じゃ、僕は、マコとやれますように、ってお願いしよっと」
 太郎は、まだ声変わりしていない高い声でそう言って、くっくっくっと変な笑い方をした。

 コンドームをくれた先輩が言っていた。
「うちの高校の野球部には、代々伝わる不思議な話があるんだ。あの三角山のてっぺんにある桜の木の下で夜を明かす。そして日の出を拝みながら願い事をすると、それは必ず叶うんだって」
 小学生のときに入っていたリトルリーグの先輩は、僕の憧れだった。
「昔は、県大会で優勝できますように、って野球部全員であの山に登っていたらしいけど、今は行きたい奴が勝手に行って、野球と関係ない願い事をするんだ」
「先輩も行ったんすか?」
「もちろんよ。俺の願いも叶った。お前も行ってこいよ」
 だから、僕は太郎を誘ってこの山を登ることにしたのだ。互いの家に泊まりに行くと、二人とも親には嘘をついた。二人だけの秘密の冒険を、三角山でしているのだった。
 後ろで、太郎の息がはぁはぁと大きくなる。太郎が喘息持ちで体力もないということだけが、今回の冒険で気がかりなことだった。
「ここで休憩するぞ」
 僕は、太郎の額に浮かぶ汗や息づかいをチェックしながら、時々、草の上に座った。

 水筒の水を二人で飲み、チョコレートや飴を口の中に入れた。甘い匂いが草木の間を漂う。高いところにある木の葉が揺れて、太陽の光が踊る。
「賢治の父さん、まだ、帰ってこないの?」
 何度目かの休憩のとき、太郎が訊いてきた。
「まだだ。女と、どっかに逃げたからな」
 僕の返事に、太郎が申し訳けなさそうな顔をして目を伏せた。
 僕の親父は、春に、女とどこかに行ってしまった。それもPTAの行事で知り合った、僕と同じ中学の一年生女子の母親と。たぶん学校中が知っている、有名なくそ親父だ。
 はっきり言って、僕はあのくそ親父が帰ってこなくても、どこかでのたれ死んでも、どうでも良い。
 ただ、親父の悪口も言わず黙って帰りを待っている母親や、遠くから見た一年生女子の暗い表情を見ると、あのくそには一回帰ってきてもらわないと困る。
 だから‥‥‥。
『くそ親父が帰ってきますように』
 この三角山での僕の願い事は『サヤカと、やれますように』じゃなくて、本当はそれだった。

「三角山に熊はいないけど、野犬や猪はいるらしいから、注意すること」
 先輩にそう言われて、僕と太郎は腰に鈴をつけていた。
 ちりん、ちりん、二人が歩くと鈴の音がする。ばしばし、僕が竹の棒で草を叩く音がする。ちりん、ちりん、鈴の音。はぁはぁと息の音。ちりん、ちりん。ばしばし。
 ときどき、がさがさと草をかき分けるような音がした。きぃきぃというような鳥なのか猿なのか分からない鳴き声もした。太郎が肩をびくっと振るわせて立ち止まる。
 僕はそのたびにリュックに入れたコンドーム水風船を、その音の方に向けて投げた。野球部で鍛えた肩を使った。水風船は、木や地面にぶつかって、パシャっと割れる。耳を澄ませて、何の音も返ってこないのを確かめてから、また僕たちは歩いた。

「やっと、ついたぁ。頂上、到着」
 三角山のてっぺんにある桜の木は大きかった。両手を広げるように、緑の葉がついた枝を縦にも横にも伸ばしていた。
 僕と太郎は木の下に座って、コンビニで買ったおにぎりやパンを食べた。日が暮れると、防寒服を着て、さらに毛布にくるまった。
「すっげぇ、星、落ちてきそう」
 太郎が何度も言い、二人で夜空を見上げたまま眠った。
 
「ゴホッゴホッ」
 太郎の苦しそうな咳で目が覚めた。
 僕に背を向けて、身体を丸めている。
「太郎? 大丈夫か?」
 太郎が僕を見て、大丈夫というように頷いた瞬間、ヒュー、ヒュー、と変な音が太郎の喉から出た。喘息の発作だ。
 僕は慌てて起き上がり、太郎の背中をさすった。太郎が僕のシャツの裾を強く握る。
「薬、持ってきたよな?」
 僕は、太郎のリュックをかき回し、薬が入った吸入器を取り出した。
「ごめん」
 太郎が苦しそうな息の間にそう言って、吸入器をくわえた。
 いや、僕がこんなところに誘ったからだ。ごめん、太郎、ごめん。
 心の中でそう言いながら、太郎の背中をさすった。怖かった。太郎の苦しそうな様子が恐ろしかった。
 太郎は、喘息の発作で夜間の救急外来に行ったことがある。ここは山の中。これ以上酷くなったらどうしたらいいのか、僕には分からない。
 僕のシャツの裾をねじるように握る太郎の手に力が入る。大丈夫だ、大丈夫だ、と言いながら、ただ太郎の背中を撫で続けた。

 太郎の息は、ゆっくりと元に戻った。
 その頃、空が明るくなり始めた。黄、オレンジ、黄金、なんとも形容できない色で、太陽が顔を出した。おはようの太陽は、大きく見えた。
 光に包まれる、という体験は初めてだった。
「願いごとをしないと」
 僕が言うと、隣で太郎がうなずいた。
 僕は太陽を見つめた。
『太郎の喘息を治してください。元気にしてください』
 僕の心から、今の願い事が飛び出た。心の中で何度も繰り返し、そう言った。
 僕は太陽を見つめ続けた。隣にいる太郎も、黙ったまま、たぶん心の中で願い事をつぶやきながら、昇る太陽を見つめていた。
 静かな儀式のようだった。
「もう二度と山なんか登んねぇ」
 山から下りたとき、太郎は疲れた顔でそう言った。そして、最高に楽しかったな、と笑った。

「賢治の父さん、帰ってきたんだ」
 三学期のある日、久しぶりに太郎がウチに遊びに来た。
 太郎はリビングに居た父さんに気づき、僕の部屋に入るなり、嬉しそうにそう言った。
「うん、夏休みのあとにな」
 僕はそれだけ答えた。
 ある日突然、家に戻ってきた父親。両親の間でどんな話し合いが持たれたのかは、僕は知らない。ただ、何事もなかったように両親がしているので、僕も悩んだ末、何もなかったふりをしている。
「太郎、なんかデカくなった?」
 寝転んで二人でゲームを始めると、僕は太郎の変化に気づいた。背中が広くなっている。
「うん。なんだか、夏休み中から急に背が伸びちゃって。身体もさ、丈夫になってきた」
「喘息は?」
「最近、発作もない」
 やっぱりな、僕は思った。
 願いは叶ったんだ。
 あの三角山のてっぺんで、僕は太郎の健康を願った。だから、太郎は元気になって背も伸びた。
 そして、きっと太郎は『賢治の父さんが帰ってきますように』と願ったんだ。だから、僕の父さんは帰ってきた。
 僕たちは二人とも『サヤカとやれますように』とか『マコとやれますように』とか、そんなことは願わなかった。お互いのことを思ったんだ。願ったんだ。たぶん。
 三角山で何をお願いしたのか?
 僕たちは、オッサンになってもジジイになっても、本当のことは言わないだろう。
「お願いしたのに、二人とも童貞だったな」
 そう言って、笑うだけだろう。
 でも、僕は、僕の想像が正解だと思っている。想像は、秘密として、僕がずっと抱きしめていようと思う。
 
 僕は、僕の部屋の床に寝転んで、ゲームをしている幼なじみの背中を、足で突いた。
「エロ動画、観る?」
 太郎が振り向いて、ニヤッと笑った。
「もちろん」
 やっぱり、思ったとおりの返事だった。

《太郎 Taro》

 SNSより抜粋
 タイトル/ 秘密の初恋
 アカウント名/ ily,K

 僕はいつも演じています。
 いつも、僕の横顔を狙っているビデオカメラの存在を感じています。
「好きなタイプの女の子は?」と聞かれて「目の大きい明るい子」と答えるとき、僕は台本を棒読みする役者のようです。
 でも、下手な演技だな、と言われたことはありません。

 僕は、おっちょこちょいで、勉強はそこそこできて、女の子にも何度か告白されたことのある男子中学生です。
 そして、好きな人は、幼なじみで野球をやっている男、Kです。

 このサイトで、匿名の僕が書く『片想いの詩』をずっと読んでくれていた人たちは「男の子が書いてたの?」と、驚いたかもしれません。
 でも、僕が書く恋心と女の子が書く恋心、どこに違いがあるのでしょうか。片想いの切なさ苦しさに違いがあるのでしょうか。

 今回、これを投稿することで、僕は沢山のフォロワーさんを失うかもしれません。それでも良いと思っています。僕は全ての人に好かれようとは思っていません。Kからだけ、好かれれば良いのです。

 僕が現実の世界で、Kのことを好きだと言わないのは、誰かに嫌われるからとかイジメられるのを心配して、ではありません。
 Kとの関係が微妙に変化する、それだけは避けたいからです。

 Kは、僕のことを嫌いにはならないでしょう。僕に対する態度も変えないでしょう。
 でも、今までのように一緒にエロ動画をみたり、肩をくっつけてゲームをしているとき、僕が、僕自身が、Kの中の一瞬の戸惑いの有無を探すことになります。きっと探そうとしてしまいます。辛くてもまあるい心が、辛いうえにとげとげになりそうで、それが嫌なのです。

 この夏、僕とKは、願いが叶うという山に登りました。
 Kは、たぶん『親父が帰ってきますように』と願ったと思います。その願いは叶いました。

『Kに想いが届きますように』
 僕は、そう願うつもりでした。
 でも、できなかった。
 Kの横に座って、横目でKの顔を見ながら、ただひたすら「K、K 」と、彼の名前を心の中で繰り返し叫んでいました。
 朝日を浴びて、輝いていたKの顔。二人だけの時間。幸せすぎて、悲しすぎて、泣きそうになりながら。

「僕の初恋の人だった」
 いつか、ずっと遠いいつか、Kに告げたいと思っています。そんな日が来ることを願って、毎日学校に行ってます。授業中にKの背中を見つめています。片想いだから、それで良いのです。

 匿名だけど、これがはじめての、僕に関する告白です。
 今これを書いているとき、僕の横からビデオカメラが消えているのを、僕は泣きたいほどの開放感の中で感じています。


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 この作品↑と、この作品↓の、
 根っこは同じです。



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