譜面をみないこと(1)
ええと、今回の記事はジャズ研換算でいうと、1年生向けではないです。
2年もまだ早いかも。3-4年向けかなあ。
黒本の功罪
2023年日本で行われるセッションでは納浩一さんの「Jazz Standard Bible」がほぼスタンダードなテキストとして使用されています。
これには功罪あります。
いいこと
メリットは楽曲のコード進行が概ね全国統一されたこと。
黒本以前は「青本 =Jazz Standard Handbook」がデファクトスタンダード。しかしこの本は理論的な整合性を重視する傾向があり、曲ごとの細かいコードのバリエーションを無視する傾向がありました。アドリブしやすい反面、正確さには欠けていた。「あれは嘘多いから」みたいな評価でした。
しかし、黒本は比較的実情に即している形だと思います。
また、リアルブックやスタンダード404などに比べても譜面は読みやすい。コードの記載も癖が少ないです。
悪いこと
あまりに便利すぎること。便利さはある種の退化を引き起こすのです。
要するにこの本(1と2)さえあれば、ジャズの大部分ができちゃう、なんて錯覚できちゃうほど便利なわけですよ。
これが弊害でしょうね。
「黒本に記載されずんばスタンダードにあらず」…とまではいいませんが、少なくとも街場のセッションでは黒本にあるかどうかで演奏されるか決まってしまいがちです。
そして、仮に黒本に載ってる曲でも、曲のコード進行は多義的だという共通認識がなくなってしまったこと。
コード進行は本来多義的。いろいろ解釈の余地があるもの。
しかしここまで便利なデファクトスタンダードができたため、どうしても「正解を求める」思考になりがちです。
黒本が便利すぎてか、黒本をみながらの演奏が当たり前になってしまった。
セッションで、黒本を出して「イパネマの娘をやります。黒本の74ページです」なんてのも珍しくなくなってしまいました。
昔のカラオケじゃねーっつーの。
譜面を見ないセッション
今は黒本を譜面台の上にセットして演奏することが全国のジャムセッションでは当たり前の光景になっています。
しかし昔は「セッションでは譜面を出さない」が暗黙の了解になっていました。フロント楽器に関しては特に。
もちろん、知名度の低いジャズオリジナル曲とか、歌伴とかだと譜面を配って見ながら演奏することはあるとしても、ある程度以上のレベルのセッションでは、いわゆるスタンダード曲では極力、楽譜を持ち出さない風潮がありました。多分プロのレベルでは今でもそうです。(アメリカもそうらしいのですが、アメリカでセッションしてないので知らない)
譜面を見てると怒り出すおじさんも、今よりもっと居たと記憶しています。
21世紀の日本では、たまに『譜面禁止セッション』と銘打ったセッションがあります。
「特殊ルール」として明記しているこうしたセッションが、むしろ主流だったという経緯を、若い人は知らないと思いますが知っておいてください。
譜面を見ない理由
黒本を見て演奏するセッションが当たり前の現在です。
少なくともアマチュアセッションにて譜面を見ることを咎める人はいないんじゃないかと思います。
しかし、アドリブソロをとる時には譜面を見ず演奏した方がいいと、私は思います。見てる人に怒りはしませんけど。
少なくとも私個人は定番のスタンダードに関しては極力譜面を見ません。
なぜか。
見ないことに、メリットが大きいからです。
譜面を見ていないモード
おそらくですが、書かれたコード進行を見て演奏する時の脳の状態と、見ないで演奏する時の脳の状態は、ちょっと違うから。
結論から書きますが、コードを見ないで演奏するのは、コード進行、それぞれのコード記号を丸暗記しているのではなく、コンテキスト(文脈)に基づいて演奏しているんだと思う。
譜面を見ない場合、書かれたコードを、32小節なら32小節分まる暗記して、まるで脳内に譜面があるが如くに演奏しているわけではありません。かといって適当に演奏するわけでもないわけです。
譜面がないと演奏できません、という人は、コードを丸暗記しようとしていないか?と思います。
譜面を見ているモード
譜面を見ないと演奏できない人は、書かれてあるコード記号にそってしかフレージングできないことが多いです。
Cm7と書いてあるところでCm7の音を吹いてF7って書いてあるところでF7の音を吹いて…みたいに考えがち。
え?違うの?って思っている人います?
違うんだよ。
このような「フレーズを型にはめる」アドリブ法は、コードアルペジオ的なフレージングについては問題ないかもしれませんが、記載されたコード記号を超えてもう少しゆったりしたメロディメイキングには向いていません。
大きくゆったりとしたメロディメイクを行うためにはコード進行を「文脈=コンテクスト」としてとらえる必要があります。(トーナリティ(調性)もその一つ)
コードを見ながら吹く場合は、コード進行の「コンテクスト」を考えなくても吹けるのは確か。例えば、コードアルペジオとかスケールを用いたフレーズをそこにあてはめて吹けば、「合ってる音を吹く」形にはなります。
たとえば歌伴のフロント楽器で、オブリガートや間奏でソロを吹く場合は、私も譜面を見ます(見ざるをえません)。
その場合、ちょっと「当てはめパズル」みたいなソロになりがちです。
ラリーカーで「ナビゲーター」の指示通りに運転する、みたいな感じ。
でも「合ってる」「合ってない」を重視しすぎると、謝罪会見のコメントみたいなもんで、ボロを出さないだけで、こいつが何を言いたいのかさっぱりわからん、みたいな感じのソロになる。
まとめ
かつてはセッションの時には譜面を見ないことが暗黙の了解でした。
アドリブソロの時に譜面を見ないスタイルは、コードの逐語処理のレベルを脱するきっかけになる可能性がある。
コード進行は「コード」ではなく「コード進行」。コードの「流れ」を覚えましょう。