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典型的な大学生

高校生の時に無理やり決めた進路を、大学という、それを突き詰めるための場所に直結させられて、融通の効かない一直線に立っている。

何故だか、周りの大人は(高校生の時に無理やり決めた)進路を信じて疑わない。ずっとその職業に就きたいと夢見ていたくらいに。だから他の選択肢を軽々口に出そうものなら、「君はなぜこの大学に入ったのだ」とでも言われるだろう。

何だかよくわからない資料を配布され、何だかよくわからないことを先生が喋っている。それを数回聞けば単位というものが貰える。仕事だからと仕方なく授業する大人の話は、面白くない。
ついて行きたいと思うほど話が面白い大人もいないし、大人のそんな情熱を見たこともない。一昔前の小説にある大学生と教授の関係生みたいな、志のある人間同士の熱い会話や議論など絶滅危惧種だろう。
ならば少しは偏差値の高い大学へ行けと突っ込まれそうだが、「偏差値の高い人=頭が良い」とどうしても信じられない自分には、頑張って知識を詰め込んで行く大学に魅力を感じることはできない。

ところで典型的な大学生とは、夢も志もないままにとりあえず大学に入って(とりあえず進路や将来の方向性を決定した人も含む)、課題以外の勉強も研究もせず、その魅力に触れる機会もなく方向性を失った大多数の大学生のことである。

何かを得ている実感がないまま、それを繰り返す毎日に絶望し、それをひっくり返す算段も勇気もエネルギーもないから、目の前の娯楽や欲求を満たして紛らわす。そしてこれらを一緒にできる人たちと友情だか、絆だか、居心地のいい関係だかを構築し、行動を共にするようになる。結果人間関係や行動範囲、思想をも硬化させてゆく。

てめえもその一人だろうと言われそうなので言っておくが、自分がまさに典型的な大学生であるからこその問題提起なのだ。これらを変えるべく、払拭すべく、まずは文書でも書いて形にしようというのが今回の目的、意識改善への一歩なのである。

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