見出し画像

まさかのわたしたち

たまに、母親と電話をする。
母は、わたしの上京後「電話をかけて繋がらなかったら不安になるから」と言って、自分から電話をかけてくることはない。
気が向いたとき、わたしが電話をかける。
ほんとうに、思い出したときに。

このあいだ電話したときに、わたしの近況の話になった。
なんでそんな話になったか覚えていないのだけれど、日々の暮らしの話。
同居人とは、うまくやっているよ、とわたしは言った。

「案外、生活に於いては”大らかな人”だったんだよね」

母親は、同居人のことを「繊細そうな子」だと言った。
確かに、そういう一面も持ち合わせているのだけど、最近よくよく観察してみたら、彼の繊細さや苛烈さは、ある一定の方向にのみ働いて、”生活”の面に於いては、あまり発揮されないようだった。
気を使っているのかな、としばらく観察したけれど、そうではないらしい。
もちろん、気も使ってくれているのだろうけど。

「動物の絵がついたタオルでも、使わせてくれるよ」
実は、前の恋人はそうじゃなかった。
わたしが18歳から使っている、キノコに顔がついたゴミ箱も、好かれていなかった。
同居人は、そういうのは全然気にしない。
「それは、いいね」
あんまりいろいろ、気にしない人がラクがいいよ、と母も頷いた。

「でもさあ、」とわたしは切々と語りかけた。
「まさかの、”わたしのほうが、マメな人”だったんだよねえ」

ずぼらなにんげんだ、と自分のことを思っていた。
いまでも、思っている。
でも、ゴミの日を忘れないのはわたしだし、部屋の掃除をきっちりするのもわたし、洗濯物とか洗い物が溜まっていると、許せなくなってしまうのもわたし。
わたしは自分で、自分のことをそんなふうに思っていなかった。
わたしこそが底辺だ、と思っていた。

「そういえばさ、」と母は言った。
「由美子ちゃんも、そう言っていたよ」と、母の親友(わたしのふたりめの母親)の名前を挙げた。
「由美子ちゃんもさ、結婚したあとに、”まさかの自分のほうが健康体だった”て言ってた」

母とわたしが知る由美子ちゃんは、病弱というか、あんまり身体の強くないイメージだった。
いまでもそうなのだと思うんだけど、でも確かに、手紙には「あゆちゃん」(旦那さんのことを、わたしたちは影でそう呼んでいる。魚の鮎に似ているから、という理由だったと思う)の、具合の悪さについて綴られていた。

わたしは、由美子ちゃんがそう語る様子を思い出して、声をあげて笑ってしまった。
まさかのね、と身を乗り出して語る、由美子ちゃん。

「なにそれ、たしかに」
「笑っちゃうよねえ」と、わたしたちは、また笑った。

由美子ちゃんはここにいなかったけど、三人で笑っている気分になった。

もちろん、わかっている。
同居人は確かに”大らかな人”だったかもしれないけど、気も使ってくれているし、わたしのほうが気にしない部分もある。
部屋の電気を消さない、とか、やかんを定位置に戻さない、とか。
ただ、そういうことのバランスの話だ。

それでもやっぱり、好きな柄のタオルを使わせてくれることは嬉しいし、わたしの好きなタイミングで洗濯をすることを許してくれたり、料理をしている後ろでワイパーを持って駆け回っていても何も言わないでくれることは、本当に有り難い。

でもやっぱり、笑ってしまう。
このわたしがね、と思ってしまう。

いまでも時折、この話を思い出す。
妄想の世界で、母親と由美子ちゃんと、三人で笑うわたし。
その絵面が、わたしをとてつもなく勇ましくさせる。
「このわたしがね」なんて言ってしまう、三人の女たち。
「笑っちゃうよね」と言う姿が、ほんとうに目に浮かぶ。

人生って、やっぱりおもしろいな、と思う。
同居人よりマメに家事をするわたし、
病弱な旦那さんを支える、由美子ちゃん
そんなわたしたちに、出会えると思っていなかった。

いまでも掃除をしていると、耳の奥でふたりの母親の笑い声が響いてきて、わたしを勇敢な気持ちにさせてくれている。




スタバに行きます。500円以上のサポートで、ご希望の方には郵便でお手紙のお届けも◎