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今日もわたしは、適切に生きられない

今朝も、コーヒーを淹れる。

コーヒーは良い。
そして、ペーパードリップは良い。

お湯を沸かしているあいだに、顔を洗う。
そして、お湯が湧いたら煙草に火をつけて、ゆっくりとドリップする。

わたしの、大切な時間。

何百回、
きっと何千回も、わたしはペーパードリップしている。

サーバーは定期的に割ってしまっているので、もう3代目か4代目になるけれど
いつも同じくらいの大きさのサーバーを買って、たっぷりと落とす。

やかんはもう、10年以上同居をしている。

あゆ、という名前のきりんで
(あゆ、という名前の従姉が買ってくれたから)
上京・大学進学のお祝いで買ってもらったから、もうほんとうに10年以上一緒にいる。

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耳は、10年のあいだにふたつとも取れてしまって、
いまは角だけが残っている。

何度もペーパードリップしているのに、
わたしは今日も、”適量”のお湯が沸かせない。

「これでぴったり!」と、なぜだか自信があった朝
お湯の量は、なんだかぎりぎりの、本当に追加で沸かそうか悩んでしまうくらいの量だった。

その記憶が強かったのか、今日は沸かしすぎてしまった。

おかしいなあ。

何百回も、何千回もペーパードリップしているのに
まだ、お湯の適量がわからない。

それでも、

そんなもんだよなあ、とわたしはひとりで笑う。
全然、適切に生きられていない。
でも、残ったお湯でドリッパーを洗うし、まあいいか。

悪くない。
あんまり、適切でないことにも、もう慣れてしまった。
もう、いちいち悲しくないし、落ち込んだりしない。

そういうもんだよなあ、と思いながら、もう10年近くペーパードリップの暮らしをしている。

かつてわたしが、「余裕のある女のフリ」で続けると決めた、ペーパードリップ。
そういえば全然、「余裕のある女」になれなかったなあ。
やっぱり、笑っちゃうよね。
でも、コーヒーを淹れると元気になるんだ。

まあいいか。

わたしは昨日の残りのコーヒーを飲んだので、今日のコーヒーの味も知らない。
このあと、同居人が飲むのか飲まないのか知らないけれど、
これで、「今日はコーヒーないのか」と、同居人に寂しい思いをさせなくてすむ。
もっとも同居人も、コーヒーがない朝だって「ないのか。ま、いっか」と思っているはずだ。

ま、いっか。

適量がわからなくても、適切な感じの生き方じゃなくても、
今日もそんなふうに、ゆるやかに始まってゆくのが
やっぱり、悪くないと思う。



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