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ドレッシングをかけすぎても、ハイチュウをみっつ食べても。

最近、サラダが美味しい。
前世は、草食動物だったんじゃないか、と思うくらい。

味覚が完全に戻ったわけではないので、「味そのものが」という感覚ではなくて、
葉っぱが身体に染みるなあ、としみじみしてしまう。

すべてのものから異臭がする、という史上最悪な状態を少し抜け食べられるものが増えてきた。
何が良いかって、ドレッシングを選べるようになった。
それぞれの味の違いがわかる。
シーザーとか、
キャベツ用ドレッシングのなんか酸っぱい?のとか、
焼肉のタレのフルーツっぽい味とか。
最近の流行りはごまドレッシング。

だから、ドレッシングをたくさんかけちゃう。
味がわかって嬉しいし、でも全体的に味がわかりにくいとなれば、答えはひとつ。量で勝負。
ドレッシングの減る量がやばい。
飲んでたとしたら病気になるんじゃないか。
そんな勢いでかけまくってる。

ああ、からだによくない…
今日もかけすぎだ…

でもさあ、
ドレッシングって、美味しいよね。

もうこれ、味覚のバグ以前の問題として、わたしはずっと「ドレッシングをかけ過ぎたい人生」だったのだと思う。
ドレッシング美味しい。
ときどき、ドレッシングのかかっていない部分があると寂しくなる。
そういうときは、「かけすぎるとよくないし、しょっぱくなるし、このままで我慢しよう」と思って食べていた。

なぜだろう、ドレッシングって身体に悪いイメージがある。
いつから、そんなふうに思っていたんだろう。

いいではないか、と思う。
いま、よくやくそう思う。

ドレッシングくらい、好きなだけかけたって。

「からだに悪いよ」と言われるものはたくさんある。
コーラとか炭酸、カップ麺、スナック菓子。
どれもこれも、たくさん摂取しないように言われながら育った。と思う。
誰に言われたかは、ぜんぜん覚えていないのだけれど。

でも、もういいではないか。
そういう、「全人類対象の良い子ちゃんフォルム」の自分で生きなくても。

必要なカロリーの量はひとそれぞれ違うし、運動量も違う。
毎日カップラーメンとサラダを食べ続ける人と
毎日のおにぎりしか食べない人なら、
どっちが身体に悪いかって、わたしにはよくわからない。
個人差もあるような気がする。

何もかも覚悟のうえ、自分で選んだら良い。

わたしはいま、
塩分過多を覚悟しながら、「美味しい」を選ぶ。
そう決めた。
ここで乱してしまったバランスについては、もう少し元気になってから考えることにする。

「ハイチュウをさ、一気にみっつ食べれるようになったとき、”おとなになったなあ”って思うよね」

まぬけな顔をして語っていたのは、大学時代の君だったと記憶している。
ずいぶんまぬけな顔で、でもどっしりと神妙につぶやいていた。

「それはすごい、おとなだね」
わたしも深く頷いた。

100円と少しで10個前後しか入っていない希少ハイチュウを
身体に悪いと言われているお菓子を
どちらの意味だったかは確認しなかったけれど、たぶんどっちも、だと思う。
もう少し子どものころは、もっとチビチビ食べてたなあ。

おとなになるってことの意味はたくさんあるけど、ひとつは「選ぶ」ってことなんだろう。
善悪を学び、そのうえで何を選択するのか。
そして「責任を取る」ということなんだろう。
自分の代わりに選んでくれる人とか、責任を取ってくれる人から自立すること。

自分で何がしあわせか選んで、それで責任とかバランスを取るよ。
だって誰も、わたしの代わりに「美味しい」って言ってくれないから。
わたしの「美味しい」は、わたしだけのものだから。

だから、もういいよね。
ドレッシングを掛けすぎても、ハイチュウをみっつ食べても。

軽くなったドレシングのボトルを傾けながら、言い聞かせる。
自分のしあわせくらい、きちんと貫き通そう。
それが、わたしの選んだ"しあわせ"なのだ。




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