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ある日、夕方の記憶

歩き始めて数分経ったら、チャイムが聞こえてきた。
平日、夕方5時の音。
この平日は、わたしにとって休日で、「散歩にでも行こうかな」と思っていたら、こんな時間になってしまった。
梅雨の湿気も、夏の暑さも得意ではなく、憎らしいと思ってしまうのに、日が長いのはちょっぴりありがたいと思う。
夕方5時でも、明るい世界。
だらりと過ごしてしまった日中の罪悪感は、かんたんに打ち砕かれてしまう。
夏至は、もうすぐだ。

チャイムの音が鳴り終わった頃、ジャージ姿の中学生をすれ違った。
背丈はわたしよりうんと大きいのに、うんと幼い。
同じ人間なのに、ぜんぜん違うと思って、びっくりする。

制服やジャージ姿の子を見ると、なぜだか「わたしが制服やジャージを着ていた頃」を思い出してしまう。

吹奏楽部だったわたしは、ジャージで下校することはなく
自転車通学だったから、友達と歩いて帰った記憶はない。
帰り道の駄菓子屋でジュースを回し飲みして、そこはみんなの帰り道だったから、ぐだぐだとおしゃべりして、店のおばあちゃんに時々怒られた。
あれは、駄菓子屋だったんだっけ。
自動販売機でジュースを買ったことしか、もう覚えていない。

何人かの子たちとすれ違ったそのさきは、中学校だった。
クラリネットの音が聞こえてくる。その次はフルート。
そして、体育館の音。

これは、「体育館の音」としか呼びようがなかった。
体育館シューズが、床に擦れて、キュッとなるあの音。

わたしは、人生で運動が得意だったことは一度もないし、体育の授業だって嫌々やっていたのに、「体育館の音」は不思議と懐かしい。
よく知っている音だ、と思った。

意識をぐいっと、どこかへ引っ張られそうになる。
引っ張られたところで、わたしが中学生に戻れるわけではないし、戻りたいわけでもなかった。
わたしはぎゅっと手を握りしめて、歩き出す。

いまの、わたしの時間が流れている。
今日は、仕事休みの休日で、この先にベンチで少しだけ本を読む予定だ。

フルートの音が近づいて、途絶え
トランペットの音が鳴り響いていた。

歩いていたら、懐かしい音はすべて遠くなり、風と、砂利を踏みしめる音だけが残った。

あのころは、「吹奏楽部に入ろう」と決めていた。

運動は苦手だったし、でも部活というものには憧れていたわたしの唯一の選択肢であり、ピアノを習っていたわたしの、当然の選択肢のように思えた。

子供の頃は無限の未来があった、というように錯覚するけれど
あのことはあのころで、不自由だったのかもしれない。
運動が苦手でも、バレー部に入ったってよかった。
でもあのころは、「苦手なことを楽しむ」だとか、「鍛錬を繰り返し上達する」なんてことを愉快に思えなかったし、敢えて人より劣っているジャンルに挑むことなんてできなかった。

べつに、吹奏楽部じゃなくてもよかったのに。
何を選んだって、よかったのに。

あのころから、ずいぶん時間が経った。
幼き日に抱えていた劣等感の大半を笑い飛ばし、「まあいっか」とけろりと生きられるようにはなったけれど、それ以外は変わっていないのかもしれない。と思う。
成長した部分があり、変わらない部分がある。
それは、放置されたわたしであり、当然の顔をして居座り続けたわたしだった。

吹奏楽部を引退して、中学を卒業して
自分で高校と大学を選んで、就職活動をしないと決めて
懸命に音楽を続け、いくつかの仕事をして
いまでは、懸命じゃない感じでピアノを弾けるようになった。

ずいぶん時間が経ったけれど、わたしは変わらない。
きっと、「何部に入ってもいい」という感覚のまま、選び続けてきたのだと思う。

ほんとうに、何部でもよかったんだよ。

でも時折、「吹奏楽部しかむりだ」とか、「他の部活なんかできるわけない」とか、
あるいは、「わたしには吹奏楽しかない」なんて
勝手に選択肢を狭めて、情けなさに唇を噛んだりしたけれど
それでもぜんぶ、きちんと自分で決めてきたのだと想う。

今日は、ベンチで本を読む。
お気に入りの本を、少しずつ読み進める。
久し振りにペットボトルの紅茶なんか買って、浮かれていた。
長期戦になることも覚悟して、カーディガンも持ってきた。

午後というには遅くなってしまった時間を、そんなふうに過ごす。
そうやって何事も、きちんと選んできたのだ。

いま、そのことをようやく理解したような気がしている。






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