「不安でいたかった」

今日も、ドラゴンボールGTを見ていた。
同居人とごはんを食べるときの大半は、ドラゴンボールGTを見ている。

今日は、久し振りにベジータが出てきた。

ベジータが、悟空と出会ったときからのことを振り返っていた。
自分より格下の存在である悟空を「おまえは強い」と最終的には認めることとなるけれど、自身の強さを追い求めることを、辞めなかった。
彼は、サイヤ人の誇り高き王子なのだ!

そんなベジータは、一度だけ故意に、悪者に取り憑かれ、悪の心に支配される。
そのときのベジータには、奥さんも子供もいた。
不器用ながらも、家族を大切にしていた。
それなのに、悪の心に支配され、地球を攻撃する。

「俺は地球に来て、家族を持ってしまった。それも悪くないと思えてしまった」というベジータは、その結果、強さに対する探究心が薄れてしまうことに恐怖を感じたのだという。
「もう一度、強さだけを追い求めていた頃に戻りたかった」
そして、家族への愛を捨て、悪の心を手に入れた。

「わかるなあ」、と頷いた。
それ以上の言葉がなかった。
ベジータがしたことを「正しい」と真正面から肯定するわけではない。
行動の善悪とは別に、気持ちを理解できる。

そしてわたしは、このメモを見つけた。

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生き方、についてはずっと考えている。
仕事をしていたときも、仕事を辞めてからも。

仕事は、「お金をもらえるからやっていた」のであって、「業務内容が比較的性に合っていた」と思う。
でも、「ライフワークと呼べない業務だけをする人」になるのが怖くて、何かを仕掛けようと必死だった。
それが、原動力だった。

いま、無職で家にいる時間が増えた。
同居人も家にいる時間が増えて、必死にふたりの時間を構築した。

「なにもしなくてごめんね」と、お互いに言い合ったりする。

それは「何もしていない自分」への罪悪感だった。
そしてわたしたちは、お互いが何をしているか、あまり興味がなかった。
そもそも「ひとり暮らし」のふたりがうっかり同居を続けている状態に過ぎない。
それぞれ得意な家事、料理は同居人、掃除と洗濯はわたし、あとは気づいたほうとか気になったほうがやる、というルールだけど
別に、ごはんを作ってくれるから同居をしているわけじゃないし、毎日ごはんが出てくるのはありがたいけど、なければ自分でなんとかする。
同居人だって、そもそも掃除をすることに興味がないので、わたしが掃除をちょっとサボったって、気にならない。

そして相手が「何者であっても」、いまさらどうってことはない。
ゲームばっかりしても、寝てばかりいても
べつに、自分の人生に、特に影響はない。
そういう意味で、わたしたちは他人だった。

「いいよ、別に」とわたしたちは言う。
好きなことをすればいいと言うならば、何もしないのも自由だ。
そしてわたしたちは、互いに甘い。
「今日は何もしなかった」とか「寝過ぎちゃった」と言うならば、「よく休めてよかったね」という。

何もしていないのに肯定されることは、すごく有り難い。
動けないときに、お皿を下げてもらえるのも、すごく有り難い。
何もしなくても、満たされてゆく…
過不足のない暮らし。

それだけで満たされるのが、怖かった。
だから、「不安でいたい」という気持ちでわたしは表現をしたし、
ベジータは、悪に心を売ったのだと思う。

がむしゃらで、突っ走っていないと、自分を認められない。
その頃に戻りたい。
その頃の自分と比べると、いまの自分なんて、と思う気持ち。

いやでも、「しあわせになること」の重要性についても、よくわかっている。
20代の頃は「とにかく手足を必死に、一生懸命動かしていれば正義」だった。
バンドマンだったので、結果とか目標とか、そういうのはさておき、ライブさえやっていれば、満たされていたような気持ちになっていた。
苦しければ苦しいほど、正しいような気がしてしまっていた。

必死だったけど、どこにも行けなかった。
目標がないので、当然だ。

そんな暮らしを20代のうちにしていたことについて、後悔はないし、「先にやっといてよかった」と思っている。

必死に頑張っているときは、満たされる。
その感情は否定しないけど、苦しさが強まるほど「正しい」ということはない。

たぶん、何かを追い求めたいだけだった。
苦しくも楽しい「一生懸命の世界」に、適切に足を突っ込んでいたかった。
いまの願いを言語化するなら、そんな感じだと思う。

悪魔に魂を売らなくてもいい。
肯定されることで満たされることも、きちんと受け止めるべきだ。
満たされてしまうから、「一生懸命になれない」というのは、たぶん違うお皿に乗っている料理の話だ。

暮らしの安全と、
わたしが何かに一生懸命取り組む、というのは
きちんと両立できる。

少しずつ「何に頑張りたいか」を、紐解けるようになってきた。
少しずつ、少しずつ
混ざり合うように、気づいたら色が変わっているように
誰かと話したり、ちょっとだけ頑張ってみたり、手を動かしてみたり

ベジータは今日も、家族を愛している。
悟空が、自分より強いことも認めている。
でも、「自分がどこまで強くなれるか」の探究心を、決して捨てない。
有事の際は、絶対に家族を守る。
わたしはベジータを尊敬している。

愛が、わたしを強くするだろうか。
家族、という縛りは苦手だけれど。
友達からの愛には、報いる生き方をしたい。
もう少しだけ、紐解いた感情と事象と、向き合っていきたいと思っている。




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