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書けないときに、していること。

書きたくないなあ、と思うときがある。
そりゃあ、ある。

書きたくて毎日書いてんだ
なんて言ってるけど、そうじゃないときもある。
わたしってば、だいたいそういうひとだ。

花が好きなのに、花の水換えが面倒なときもある。
塗られた爪を見るのを愛しているのに、マニキュアに手が伸びないときとか
わたしはたいてい億劫で、天の邪鬼なのだ。

だから、自分の「ホンネ」ってやつは、ていねいに取り扱ってあげなければいけない。
「ほんとうのじぶん」って言葉は、昔からちょっと苦手だ。
書きたいわたしも、書きたくない夜も本音で、どちらも偽物じゃないって、わかっているからだ。

書きたくない夜が訪れても、動じることは少なくなった。
もう書きたくなくなってしまったのだろうか、とか
もう二度と書けないんじゃないか、とか
思わなくはないけれど、やっぱり「書きたくないなーもうむりだー」ってたまに思うくらいが、わたしにとっては正常だと、気づいている。

3ヶ月間ほどエッセイの毎日更新をお休みして、
11月は毎日書こう、と思ってパソコンの前に座っている。

言ってしまえば、8月からの3ヶ月間は「書けない状態のとき」と「書きたくないとき」は書かなかったので、
「書きたくないのに書こうとする」には、どうすればいいんだっけ。
どうしていたんだっけ。
シャワーを浴びながら、考える。

とりあえずシャワーを浴びる
散歩をする
アニメを見る
掃除をする

いろいろあったけれど、そうだ。
ひとことで言えば、これに尽きるんだった。

「書きたくないときには、書かない」

それでも無理して「書きたい」と願えば、そのようにする。
でも、その願いすらも遠ざかったとき、わたしは決して頑張らなかった。
家事をして、アニメを見て、それでもだめなら眠っていた。
「ああだめ、今日は店じまい!」と強い意思で、ベッドに逃げ込む。

あとは頼むよ、信じているよ、なんて言えば聞こえはいいけれど
実際のところ「もうむりかもしれない…」みたいな弱気さや、「いやもう知らん!一生むりかもな!とにかく知らん!」と荒ぶってみたりしながら、
一応、目覚ましをかけて眠ってみた。
起きて作業して、日常に戻れる時間を設定して

だいたい起きると、すっきりしている。
腹が立たなくなったわけではないし、問題が解決したわけでも、すべてを許せるわけでもないけれど
少しだけ、どうでもいいことだ、と思えるようになる。
もしかしたらわたしは、「ほんとうにどうでもよくないこと」は、自分で解決できる範囲でしか抱えないのかもしれない。
他人の問題にもあまり興味を持てない、冷たいやつなのかもしれないけれど。
ほんとうに多くのことが、どうでもよくなってしまう。
大事なことだけ残っている、と信じて。

たぶん、書くことは大事なんだろう。
だから、また書いて
逃げて、また書いて

そうしているうちに、ばきばきのカサブタみたいなのが剥がれていって
やっぱり、たくさんのことをこぼしてしまっている、だけなのかもしれないけれど。

書いたことは、残っているから。
また会えるよね。



【photo】 amano yasuhiro
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