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ねぎを刻んだだけ

のそのそと部屋を出ると、こんもりと緑に盛られたお皿を見つけた。

深夜3時。
同居人は、さっきわたしが部屋にこもる前に、ネギを握りしめていた。

部屋から出たとき、それは刻まれてお皿に盛られていた。
細かく刻んだベーコンと一緒に、お皿にいた。
それだけで食べても美味しそうだし、なんだかすてきな「炒飯の素」にも見えた。

「すてきだね」と、わたしは言った。
おなかがすいているとか、すぐに食べたいわけじゃないけど
刻まれたきれいな緑と、散らばっているベーコンは、なんだかきれいだった。
そして、「気づくとキッチンに立っている」姿は、なんだか立派だなあと思う。
わたしはどれだけ暇だって、お料理のためにキッチンに立つことはない。

「こんなの、ネギ刻んだだけだよ」
「ベーコンは切っただけ?」
「そういうこと」と、同居人は事もなげに答えた。

餃子を炒めたフライパンの、その油がもったいなかったから、ネギを炒めたんだと、熱弁された。
料理をしないわたしは、油をもったいない、なんて思ったことがなかったので、そういうことを言われると、びっくりしてしまう。
ときどき、言われるんだけど、
いつも、びっくりしちゃう。

ほんとうに、本人からしたら「ネギを刻んだだけ」なんだろうけど
油を無駄にするのが、「もったいなかっただけ」なんだろうけど
お料理に興味が持てないわたしからしたら、それだけでなんだか、すごいなあ、尊いなあ。と、感心してしまう。

同居人は、わたしが毎日noteを書いているのも、「えらいね」って褒めてくれるけど
わたしは毎日、「書いてるだけ」なんだけどなあ、とぼんやり思う。
もちろん、それなりの手間とか労力はかかるけど
料理をするよりは、よっぽどいいかな、と思う。

そのひとにとって、当たり前のことを、「〜〜〜しただけ」みたいに言うことがあるけれど
それってもしかしたら、ものすごくすてきなことかもしれないね。

わたしに料理は当たり前じゃないし、
noteを書くことは同居人には当たり前じゃないし
だから、お互いが眩しくて
でも、自分では「たいしたことないよ」って謙遜したりして。

まあ、たまには褒めてあげてもいいよね。
「しただけ」って、それだけでえらい日があってもいいよね。

お料理しただけ、掃除しただけ、
わたしたちは得意な作業を分担しているけれど
おかげで苦手なことはやらなくていいし、
「いつもありがとう」って言うけれど、
たまには、えらそうな顔をして「えらいでしょ」って
ちょっと、ふんぞり返ってみてもいいかな。そういう日があっても。

〜〜〜しただけ、なんて
何かと比べて、誰かと比べて、
ちょっと身軽な、何かを持っていること。

わたしにとっては当たり前かもしれないけど
本当は特別な「できること」を
心のプロフィール欄に貼ってみようかな、なんて。思っている。





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