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似てないよ。兄ちゃんにだって、似ていない。

兄、というひとがいる。

同じ父親と母親から生まれた。らしい。
そういえば、事実かどうか確かめたことはない。
兄とわたしの血を比べれば、「同じ両親ですね」とわかったりするものだろうか。

わたしたち兄妹は、あまり似ていないと思う。
顔の系統は、ふたりとも母似。だとは思う。
時折、写真に映る自分の顔が兄に似ていて、「うへえっ」と思うことがある。

同じものを食べて、同じ空間を共有した。というような濃さ、のようなものを感じることもない。
ただ、兄がロックマンをやっているのを横目で見ながら、カービィもゴエモンも一緒にやった。
テイルズもゼルダも、兄に教えてもらった。

決して不仲でも不幸でもなかったけれど、家族の記憶と呼べるようなものはあまりない。
でも、兄妹の記憶は確かに存在している。
わたしたちは血の濃さとは別に、兄妹として共有した記憶がある。

この、外出が憚れるようなご時世、という状況さえ除けば、兄は長期休暇のたびに実家に帰っている。
父のところ、母のところにそれぞれ泊まって、お土産も持ってゆくらしい。

わたしは、自分が病気だという事情を除いたとしても、実家にはほとんど帰らない。
父のところにも、母のところにも、祖母が亡くなったのを最後に帰っていない。
父方の祖母が亡くなったのは、もう10年ほど前になるだろうか。
父にはそれから、会っていない。

「親が生きているなら大切にするべきだ」と何百回も言われた。
あさごはんは食べるべきだ、というまっとうさで。
わたしは大きく違えたり、欠けたり、不出来であるというようなレッテルを貼られた気分に、何度も陥った。
自分は、まっとうでも、正しくもないのかもしれない。
それでも10年間いろいろ考えて、納得して、それが例え言い訳染みた答えだとしても、これからも特に会うつもりはない。

わたしは兄の、まっとうさのようなものを尊敬している。
羨ましくはないけれど。

たったひとりの兄が、定期的に実家に帰っているという事実に安堵している。
兄が帰ってるなら、別にいーや。と思える。

べつに兄が帰っていなかったとしても、自分が定期的に実家に帰るような人間かと言われたら、絶対にそうではない。
そうなるべきだとも、なりたいとも思わない。
でも、兄の存在のお陰でずいぶんと気はラクだ。と思う。
有り難い、と思う。

わたしたちは、兄妹なのに似ていない。
似ているところを数えたけれど、あまりなかった。
ふたりとも人間と呼ばれる種族で、おそらく同じ父と母から生まれてきた。
同じところは、これくらいだった。
これは、”似ているところ”ではない。
ただの事実に過ぎない。
でも、他の共通点はなかった。

ゲームは一緒にやったけれど、兄のほうがずっと上手い。
そして、いま一緒に遊べるゲームはいくつか存在するけれど、好きなゲームというのは異なっている。

家にきて「好きなYouTubeつけていいよ」と言ったけれど、我が家の趣味とはまったく被らなかった。
たしか、"きまぐれクック"だけが共通点だった。でもこれは、わたしが好きなんじゃなくて、同居人が好きなチャンネルだ。

兄は食べることが好きで、そのためなら料理もするし、早起きもする。
わたしは食べることにあまり興味がなくて、料理や買い物が必要ならば食べないし、ぎりぎりまで寝ていたい。

「正社員になりたい」と言って、同じ職場で長く働いている兄と
アルバイトを転々としているわたしは、やっぱり似ているようには思えない。
必要なものとか、大事なものがきっと違う。

そもそも、
兄は男で、わたしは女。
兄は第一子で、わたしは末っ子。
兄はB型で、わたしはO型。
蟹座で、射手座。
たぶん占いをしたって、同じ項目見ることは一度もない。

そりゃあ当然、似ていないよなあ。

この10年間で何度か、自分のことを「兄と違って実家にも帰らないどうしようもない娘」だと思ったりしていた。
ときどき、誰かのまっとうさに射抜かれていた。
だって「実家にも帰らないし、あさごはんも食べないし、就職もしないし」なんて並べられたら、なんだか勝ち目がなかった。
何に勝ち目がないかって、常識に対して。

それはそれで、どこかの誰かから見たら事実ではあるでしょうけれど
別に兄のまっとうさと、自分の気ままさを天秤にかける必要はないのだ。
いま確かに、そう思っている。
ほんとうに信じられないくらい、同じ両親から生まれた人間であること以外の共通点がない。

同じ家で暮らしたのだって17年。
もう、別々に暮らして同じくらい経とうとしているんだから。

なーんだ、悩んでソンしちゃった。
ばからしい。
兄妹だって比べるのは、ばからしい。

兄妹だってこんなに似ていないのだから
誰かと比べるなんていうのは
もっともっとばからしいなあ。などと思う。

「誰かと比べてこうなりたい」というのが夢ならば、それは咎めないけれど。
比べて焦ったって仕方がない。
誰かと比べて足りないものを数えて、言い訳にしてるだけだって、気づいている。
そして「自分の足りないもの」とか、「自分が定めたゴールの位置」から目をそむけているだけだって

だからほんとうは、わたしの中の問題だって。
気づいている。






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