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ピアノとわたしの1年間

そろそろだな、と思っていたら今日だった。

本日、2021年1月22日
ピアノ日記の1周年記念日でした。

1年前の今日、
はじめて、SNSに自分のピアノを公開しました。

いままでバンド活動で音源を載せてきたことや、へたくそな弾き語りを載せてみたことはあったけど、「ピアノ1本」っていうのは初めてで。

でも、できないわけがなかったの。

わたしは音楽活動の中で、「朗読+即興ピアノ」のスタイルでライブをしていた時期があったから、あのときのピアノをそのまま弾けばよかった。
それは、わかっていたのに、なんだか身体がズンと重くて、「ひとりじゃむりだよ」って思って
思い立ってから実行まで、何ヶ月も掛かっちゃった。


1年前のわたしの言葉を見て、びっくりだよ。
すごくすごく、勇気を振り絞った。そんな言葉が綴られていた。

昨年から装備を整え、
手順もわかっていたのに
いま一歩踏み出せなかった


このままじゃいけない、と思っていた。
何かを”表現しなくては”と焦っていた。
そして、言葉も失っていた。

もう声は出ないかもしれない
もう、言葉にすることはできないかもしれない
それでも、ピアノの前に座れるならば
日記みたいに、音だけを残す
ということを、してみたかった。

すがるように、ピアノの前に座ったときの感傷を、わたしはもう忘れている。
だけど、この日の言葉が、きちんと刻んでいる。
わたしの言葉だから、わたしにはわかる。
このときの苦しみと勇気が、きちんとにじみ出ている。記録されている。


今日のピアノと1年前のものを比較したら、ずいぶん違っていてびっくりした。
1年前のわたしってば、すごく音が暗くて…
でも、これが当時の「いつも通り」のわたしだった。
昔なじみの友達が聞いたら、「1年前のほうが、まつながらしいよ」と言うかもしれない。

そして、「ずいぶんへたくそだなあ」って思ったの。
毎日ピアノを、1分とか2分だけ弾くことに意味があるのだろうか。
何度か”意味”を感じる節目はあったけど、もうここまできたら何も変わらないんじゃないか。
そんなふうに、何度も何度も思った。


1年越しに、意味は音になって戻ってきた。
1年前のピアノのほうが好きっていうひともいると思うけど、
わたしには、考えて悩んで、歩んだ道筋が見えて
これが良い進化かわからないけれど、ずいぶん遠くまできたなあ、て思ってる。

わたしの望みは、目的地がなくとも変化をすることだったから。
夢をひとつ、叶えた気分です。


続けることには意味がある、と信じたり実感する回数と同じくらい、
「このまま続けて意味あるのかなあ」って思ってきた。

意味を考える前に、手を動かそう。
むりやり歩んできたわたしは、これからも何度だって意味を問うと思う。
迷ってしまうと思う。


でも今日ここに、意味を残す。
1年前のわたしが刻んでくれた音が、教えてくれた。

勇気を振り絞ってくれて、ありがとう。
ここまで、諦めないでくれてありがとう。


目的地はないままだけど、この1年間ピアノと仲良くなれたし、ちょっと好きになれた気がするよ。
ねえ、次はどんな物語を描こうか。
たのしみだね。


※今日のピアノ日記

※いままでのピアノ日記まとめマガジン

※YouTubeにも載せています


※関連記事(音声配信)
うっかりピアノを通して夢のひとつを叶えたはなし


【photo】 amano yasuhiro
https://note.com/hiro_pic09
https://twitter.com/hiro_57p
https://www.instagram.com/hiro.pic09/

たくさんというか、大半の写真を提供してくれたアマノさんにウルトラ感謝を!!!
ひとりじゃここまで来れなかった。
からっぽになったわたしが、物語を紡ぎ続けることができたのは、あなたが切り開いた景色があったからです。
これからもあなたにしがみついてゆきます。





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