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ジャコビニ彗星の日

昼間に、こんなツイートを見つけた。

ユーミンのツイートだ。

ユーミンのツイート、と普通に書いたけれど
そもそもこれが、すごいことなのだと、どうして忘れていたんだろう。

わたしとユーミンの出会いは、中学生のころで、始めてCDを買ったのは中学2年生のとき。
ゲオで選んだのは、ベスト盤「ノイエムジーク」。

同年代の人に激しく頷いて欲しいんだけど、ポケットビスケッツが大好きだった。(いまでも大好きだ。胸を張れる)
人生で始めて買ったCDは、「レッドエンジェル」か「イエローイエローハッピー」だったと思う。
ポケビが、ユーミンとコラボしていたのをキッカケに、わたしは少しずつユーミンの沼へと流れてゆくことになる。

中学生のころのユーミンは、「ポケビとコラボしていたすごい歌手」で、「春よ、来い」のひとだった。それくらいだった。
それでもわたしはずっとノイエムジークを聞き、CDを集め続けた。

思い返してみれば、恋人に振られたあの日まで、
それまでは熱心にユーミンを聞いたことはなかった。
それでも、ユーミンはずっとそばにいた。

君に預けし 我が心は
今でも返事を待っています
どれほど月日が流れても
ずっと ずっと待っています

松任谷由実 "春よ、来い"

まだ好きだった。
ぜんぜん嫌いになれなかった。
あなたがいない人生を歩むことが怖かった。
怖かった、だから捨てられた。

でもわたしはわたしで、心の半分をあなたに預けるように
勝手に愛を貫いて生きてゆけばいいのだと、救われたことを覚えている。

「春よ、来い」が「有名で良い曲」で「ウリナリで演奏されていた曲」から
「わたしのことを歌ってくれている曲」に昇華したのは
出会ってから10年以上経ってからだった。

ユーミンの愛は、狂気だ。
わたしは、ルージュの伝言も残していないし、別れた恋人のベッドの下に真珠のピアスを落としていない。
なにより、別れた恋人と会うために今の彼女と友達になろうともしていないから、まだマシだ。と思って救われたりもした。

ユーミンは善い。
おとなになればなるほど善い。
ユーミンは恋を失ったとき、その瞬間のさめざめと悲しい気持ちを、決して歌わない。
ユーミンはいつも、戦う女たちの味方だった。

「ジャコビニ彗星の日」という曲に、いつ出会ったかは覚えていない。
自分の買ったCDに入っていたーーーというような記憶でもない。
でも、母と聞いた。車の中で聞いた。
もしかしたら、図書館で借りたCDをカセットテープに録音して、一緒に聞いたのかもしれない。

72年、10月9日。

正確には「ななじゅうにねん〜〜〜じゅうがつここのかァ〜〜〜」と、信じられないメロディーラインで紡がれるその歌詞を、わたしはいまでも覚えている。
母と一緒に車に乗っていた、というのは高校生までの記憶で
確かわたしは、2006年に大学入学で上京している。
ということは、当時も2000年〜2005年くらいだったと思うと、72年というのはずいぶんとむかしの出来事だった。
わたしは今日も、ジャコビニ彗星がなんだったのかを知らない。
現実味がないというか、実在していたのだろうか。それすらもわからない。
シベリアからも見えなかった流星群のことを、わたしはどこか遠い世界の出来事だと思っている。

でも、不思議と忘れずに今日まできた。
だから、ユーミンが「ジャコビニ彗星の日」と言ったとき、心臓をぎゅっと掴まれたようだった。
シベリアからも見えなかったはずの彗星は、わたしの瞼の裏に青く焼き付いている。

ジャコビニ彗星の日から、50年。
わたしがこの曲と出会って、20年近く経ったいま
テレビでしか見られなかったユーミンのことを、Twitterで見ることができる。
ユーミンが使っているYAMAHAの電子ピアノと、
その上に置かれた水が、みょうに人間味と親近感を沸き立たせていた。

2022年10月9日
ユーミンが生きている世界に、わたしも生きている。
わたしは今日も、ユーミンの歌と声を聞いている。
そして、ユーミンを敬愛するおとなのひとりになれた。
そのことを、どうしたって嬉しく思う。



※now playing

※読むユーミン




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