なっちゃん

生活に、建築を取り入れたい大学院生です。普段は旧日本陸軍の倉庫建築の研究をしています。

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生活に、建築を取り入れたい大学院生です。普段は旧日本陸軍の倉庫建築の研究をしています。

最近の記事

レンガ倉庫研究ノート⑦ありがたき米軍資料

現在、研究においてもっとも注力している作業が、広島被服支廠の、敷地と土地利用の変遷を描き出す作業です。 きっかけは、広島被服支廠が、東京被服廠広島派出所だった時代の、明治39年の営繕資料が図面付きで見つかった事です。 廣島被服支廠の土地利用については、既往研究として石丸紀興氏のものがあり、昭和14年、17年、20年での土地利用が再現されていました。つまり終戦直前の姿です。 一方今回見つかった資料は明治39年。広島派出所の設置が明治38年であることから、本当にごくごく最初

    • レンガ倉庫研究ノート⑥_久しぶりのゼミ

      前回の投稿からかなりの時間が開きました。本来ならば研究室のゼミが開かれた週には必ず研究ノートを投稿すると決めていたのですが、研究室と、自分の事情がかみ合わず、2週分もゼミに参加できていませんでした。(ゼミでの発表は2週間に1度。つまり4週間以上、ゼミが無かった。) スキしてくださってる方々、すみませんでした。 さて、時間が開いてしまったため、書きたいこともたくさんあります。ただまずは、改めての挨拶と2週ぶりのゼミの報告から。 まず、本当に今更なことですが、改めて、県の方針

      • 被服支廠倉庫、スタートラインに立つ!(研究ノート補記)

        歓喜!歓喜!歓喜! 友人がわざわざLINEで教えてくれました(笑) 新聞の記事をそのまま投稿に使うのはマナー違反でしょうが、もう嬉しすぎるのでご勘弁!ひとまずの報告ということで。 (20210516)

        • レンガ倉庫研究ノート⑤_倉庫を分類してみた後編

          前回の稿では、標本として集めた22件の倉庫たちを、形態を元に分類してみました。 そこから得ることができる仮の「私見」(論文のオリジナリティとなる、新たな知見や説)を携えて、研究室のゼミで発表し、指導教員から評価やアドバイスを受けることが理想です。 しかしこの「私見」を立てることがそう簡単ではなく、無理やり新しい私見を見出そうとすると、それは歴史の捏造になってしまいます。自分に都合のよい空想を進めることは、研究にとって禁物です。 今回、僕はそれを犯しました笑 犯してしまった

        レンガ倉庫研究ノート⑦ありがたき米軍資料

          レンガ倉庫研究ノート④_倉庫を分類してみた前編

          書いているうちに長くなったので、2回に分けて投稿します。 4月30日、3度目のゼミ。 旧広島陸軍被服支廠倉庫をきっかけとした、日本陸軍の倉庫建築についての研究。 今回はひとまず、存在を確認した、22基の旧日本陸軍の倉庫について、形態の分類から行ってみます。 すると、研究方針の改善すべき点と、幾つかの気づきが現れました。 まずは方針の改善点から。 これまで、調査対象とする建築物の規準は、 「明治41年から大正12年までの期間に建設された、旧日本陸軍の倉庫建築」 とし

          レンガ倉庫研究ノート④_倉庫を分類してみた前編

          新装神戸三ノ宮の穴場、じゃなくて孔場

          神戸の有名な穴場(矛盾)と言えば、戦後の闇市の名残りとして続いてきた、モトコー(元町高架下商店街)を挙げても間違いではないと思います。再開発の流れを受け、モトコーを歩けるのも今年が最後になるかもしれません。 では穴場ではなく、孔場となると? 穴:底のあるあな。地面のあなや洞窟など。 孔:貫通してるあな。ドーナツのあななど。 ここでヲタククイズです。今から、阪急神戸三ノ宮駅の写真を何枚か掲載します。そこから不自然な鉄骨や鉄板を探してみてください(笑) いや不自然な鉄骨ってな

          新装神戸三ノ宮の穴場、じゃなくて孔場

          とある赤レンガ倉庫の研究ノート③

          4月16日、2度目のゼミ。 前回、被服支廠倉庫を意匠(デザイン)、構造、配置計画の3つの視点から捕えてみることをアドバイスされ、今回はそれらの視点に対して、ひとまず手持ちの資料でどのように調査を進めていけるか、その見通しを発表しました。 結果は、前回同様、可もなく不可もなく(笑)。 研究として王道のコースを進んでいるとのことです。 間違ってはいないようですね。 発表の概要は以下の通り ・配置計画について   →防衛研究所資料を利用し、石丸紀興氏の研究を発展させることか

          とある赤レンガ倉庫の研究ノート③

          とある赤レンガ倉庫の研究ノート②

          4月9日、この日は今年度最初の,、研究室でのゼミがありました。 各学生は、仲間と指導教員を前に、今年度の修士論文、卒業論文、卒業設計のテーマや活動予定について、発表してゆきます。 僕はもちろん、昨年度から調査を行ってきた旧広島陸軍被服支廠倉庫について、その概要、調査内容、活動報告等を行いました。ゼミ全体に見せるのは、これが初めてです。新しい後輩たちもいましたし、少し緊張しました。 とは言え昨年度は1本のみながら学会論文を提出できましたし、調査の蓄積はありました。たどたどし

          とある赤レンガ倉庫の研究ノート②

          「ピンク=女性らしい色」の起源

          ピンク=女性らしい色って、いつから始まったんでしょうか。 世界的(というか欧米?)には1953年。合衆国アイゼンハワー大統領就任式の際、ファーストレディーであるマミー・アイゼンハワーが、ピンクのボールガウンを着て、パーティーに出席したのが、流行の始まりなんだとか。それ以来、ピンクは大統領夫人のシンボルカラーとなり、世界的にもピンク=女性らしい色という認識が広まったらしいです。ちなみに、それ以前は女性らしい色=ブルー、男性らしい色=ピンクだったのだとか。 一方日本では、「桃

          「ピンク=女性らしい色」の起源

          研究ノート①

          4月9日、新年度が始まり、研究室のゼミが行われ、昨年から長らく休止していた大学院での研究活動が再開されると考えていた矢先、今月中にも、大阪府下に緊急事態宣言が発令される予感。 今年度も、研究活動は自宅での作業がメインとなりそうです。 いまさらながら、僕は大阪市内の大学で建築学分野を専攻する、修士2年の者です。今年度は修士論文を提出せねばなりません。研究内容は、建築デザイン・歴史学のなかの、旧日本陸軍の倉庫建築についてです。特に故郷、広島に残る旧陸軍の赤レンガ倉庫、旧廣島陸軍

          研究ノート①

          消える百貨店。とりあえず2つの問題③

          前々回より、2018年に閉店した後、解体が決定している姫路の百貨店ヤマトヤシキについて投稿してきました。今回が最後になります。 百貨店の解体について、僕は2つの問題を指摘してきました。 ・解体した後の敷地用途は決まっていない→負動産は解体されていない。 ・かつての利用者・市民感情の行く先が決まっていない→まちの運営が、お上の決定がただただ実行される昭和式?巨匠従属型経営のまま。 これらの問題に対し、何ができるのでしょうか。 実は以前、広島県呉市の、同じような状況の百貨店

          消える百貨店。とりあえず2つの問題③

          消える百貨店。とりあえず2つの問題②

          昨日、2018年に閉店した後、解体が決定している姫路の百貨店について投稿しました。それの続きです。 前回の記事で、僕は次のように書いていました。 「 しかしながら、仮に僕は解体を受け入れたとして、そこから受け入れられない問題が2つ発生します。 ・解体した後の敷地用途は決まっていない→負動産は解体されていない。 ・かつての利用者・市民感情の行く先が決まっていない→まちの運営が、お上の決定がただただ実行される昭和式?巨匠従属型経営のまま。 」 これはつまり、ハードとソ

          消える百貨店。とりあえず2つの問題②

          消える百貨店。とりあえず2つの問題①

          先月の13日、姫路の百貨店、ヤマトヤシキの解体決定が明らかになりました。建築の設計者は村野藤吾。村野さん設計の有名な建築としては、広島の世界平和記念聖堂、関西なら難波の歌舞伎座の設計者、と言えば通じるでしょうか。とは言え今日の話題は、建築ではなく、百貨店です。 ヤマトヤシキは2018年2月に閉店。ショーウィンドウから商品は消え、代わりに、無情に明るい姫路城のPR写真が掲げられていました。 まず確認事項ですが、僕は広島出身です。なのでヤマトヤシキに対しては何の思い出もありま

          消える百貨店。とりあえず2つの問題①

          旧日銀京都支店に見る、王道を行く秘訣

          昨日、建築家、曾禰達蔵さんの建築についてnoteに書きました。 今日は、曾禰さんの東大時代の同期であり、東京駅や日銀本店(トップの画像です)を設計した、辰野金吾さんの建築について書こうかと思います。 お題になるのはこちら、京都文化博物館別館こと、 旧日本銀行京都支店です! 出会った日は雨天日で、雨雲に赤煉瓦(あかれんが)がとても映えていました。 実は多くの日銀建築は白い石貼りで、煉瓦な日銀はとてもレア! これが他県の日銀のように白い石貼りだったら、雲に溶け込んで写真映えは

          旧日銀京都支店に見る、王道を行く秘訣

          中堅作品、ならではのあじわい。

          明治を代表する建築家の一人、曾禰達蔵(そねたつぞう:1852~1937)さん。 いや、漢字ムズいわ!という方、 気軽に、ソネタツさんと呼んでみてください。 誰も怒りはしません。たぶん。 この方、東大時代の同期に、明治建築3大巨匠と呼ばれる、東京駅や日本銀行の設計者、赤坂離宮の設計者、横浜赤レンガ倉庫の設計者なんかがいたりして、その人たちの陰に隠れがち。 だけど、その人たちが「日本の顔」となるような建築を設計してきたならば、ソネタツさんは、「日本の中堅」と言えるような分野

          中堅作品、ならではのあじわい。

          完成されたタクシー待機所

          こちら、ドイツのヘレンキームゼー城。 僕自身はまだ行けていない場所ですが、いつか行ってみたいと思っています。いかにもヨーロッパの宮殿、といった趣ですが、それ以上に有名なのが、この宮殿、建設途中に王宮が財政破綻し、さらに主であるルートヴィッヒⅡは失脚、その結果、 城内に全く同じ設計の部屋が2つ計画されていたものの、上の写真の部屋は完成し、もう一方の部屋は半完成で工事がストップという状態に。 その結果、同じ設計の部屋の、豪華絢爛な完成版見本と、装飾が加えらていない構造版見本

          完成されたタクシー待機所