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消える百貨店。とりあえず2つの問題①

先月の13日、姫路の百貨店、ヤマトヤシキの解体決定が明らかになりました。建築の設計者は村野藤吾。村野さん設計の有名な建築としては、広島の世界平和記念聖堂、関西なら難波の歌舞伎座の設計者、と言えば通じるでしょうか。とは言え今日の話題は、建築ではなく、百貨店です。

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ヤマトヤシキは2018年2月に閉店。ショーウィンドウから商品は消え、代わりに、無情に明るい姫路城のPR写真が掲げられていました。

まず確認事項ですが、僕は広島出身です。なのでヤマトヤシキに対しては何の思い出もありません。ありませんが、僕も幼少期には家族でよくデパートに行っていたもので、大きなそごうの建物を車内から見上げて、町に来たな~と感じた高揚感はよく覚えていますし、アルパーク1階のメリーゴーランドで何度も遊んだことも記憶しています。祖父母はお菓子をよく買ってくれました。

そして大人になった(?)僕はwikipediaでヤマトヤシキの来歴を読んでいき、紆余曲折あり、企業としての変革は幾度と行われつつも、やはり、時代に即して百貨店は存在し続けてきたのだな、と感じます。つまり、今はもう、複数の百貨店が成立する時代では無いから、と。解体は時代に即しているって、正直、気が付かれている方も多いと思います。

しかしながら、仮に僕は解体を受け入れたとして、そこから受け入れられない問題が2つ発生します。

・解体した後の敷地用途は決まっていない→負動産は解体されていない。
・かつての利用者・市民感情の行く先が決まっていない→まちの運営が、
 お上の決定がただただ実行される昭和式?巨匠従属型経営のまま。

もう全国津々浦々だけに、耳にタコができてイカが生えるほど聞く問題ですが、このハードとソフトの問題をクリアしない限り、まちも百貨店の二の舞になると思うのです。まちに世界遺産や有名観光地があることはラッキーだけど、それを市民が生かす成熟度がないと、今後意味がないわけで。

ここからタコとイカに火を入れて行きたいと思います。

が、思ったより長くなって来そうなので、続きは次回とさせてください。あしからず。

(20210413)

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