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新装神戸三ノ宮の穴場、じゃなくて孔場

神戸の有名な穴場(矛盾)と言えば、戦後の闇市の名残りとして続いてきた、モトコー(元町高架下商店街)を挙げても間違いではないと思います。再開発の流れを受け、モトコーを歩けるのも今年が最後になるかもしれません。
では穴場ではなく、孔場となると?

穴:底のあるあな。地面のあなや洞窟など。
孔:貫通してるあな。ドーナツのあななど。

ここでヲタククイズです。今から、阪急神戸三ノ宮駅の写真を何枚か掲載します。そこから不自然な鉄骨や鉄板を探してみてください(笑) いや不自然な鉄骨ってなんだよって話ですが、つまりは、米軍の焼夷弾が貫通した痕です。それを探してみてください。

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結構たくさんあるんです。ちなみにお隣、JR三ノ宮駅の橋梁には、米軍機による機銃掃射の痕も残っています。

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歩道橋が隣接しているので、間近に観察できます。鉄板が海側にめくれているということは、山手から銃撃を受けたということでしょうか。戦前からのプラットフォームや駅舎が現役で使われているため、現在でも、神戸空襲のほんのごくごく一端を、想像することができます。

お話変わって去る4月26日、神戸全体に、ちょっとした祝祭ムードが漂いました。阪急の新しい駅ビル、神戸三宮阪急ビル(通称EKIZO)がオープンしたのです。震災で駅ビルが全壊してから、じつに26年ぶりのことです。

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↑線路沿いのスケスケで細長いビルがそれ。地下には超高密度な阪急OASIS(阪急阪神東方系列のスーパーマーケット)が入り、低層部分には店舗、高層部分にはオフィスやホテルが入居します。

さて、このビルのデザインについて割合よく引き出される写真に、フラワーロードの山の手から見たパースがあると思います。

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戦前から長らくサンキタのシンボルであった阪急ビル。庇の先端のタイルの紋様に到るまで、その外観もかなり復元されています。まずはそこまで復元に尽力してくださった阪急や関係者のみなさまに、感謝と尊敬の気持ちがあることをここに書かせてください。

気になるのは新装後、このビルの最大の特徴であった大きなアーチが、2つから1つになっている点です。今回は復元されなかったもう一つのアーチは、かつては阪急の線路の上にかぶさっており、その孔から阪急電車が出入りする光景が見られました。鉄道からデパートへ直結する、阪急らしい、わくわくするデザインです。

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分かり易く言えば例えばこの点を例に出し、今回の復元はまがい物の、悪しき復元である、という意見も存在するようです。建物が建った当時の、関係者や利用者が体験した空間を正確に残す、という歴史的な観点から言えば、確かにそうだと思います。僕も、建築の歴史を扱う末端の学生として、同意です。

もちろん解釈を与えることはできます。後世の人々が新旧の写真を比べることによって、建物のアーチが1つ失われていることに気が付く。そしてそれは震災がきっかけで失われたものであると気が付く。引いてはそれが、この建物が神戸で経験した出来事を記憶しているデザインである、と。

しかしこれは、無いことによって、在ったことを伝えるのは難しいという、ごくごく当たり前のことに気が付くだけで、都合のよい解釈の域を出ることは無さそうです。

いずれにせよ言えることは、震災(もしくは戦災)の悲しい記憶は消したい、と思う被災者は多くとも、被災以前の日常の記憶は、むしろ残しておきたいと感じる人は多いという事です(これは僕の指導教員であった先生の言葉)。今回の復元は、前述した銃弾の痕とは違い、震災それ自体ではなく、震災以前の風景を取り戻すための復元に近いと考えます。その視点で見たとき、この復元が、復元として十分か不十分か。みんさんはどう感じますか?

以上、三ノ宮の孔場からでした。

(20210503)

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↑震災翌日と、阪急ビル新装オープン直前のサンキタ通り。3連アーチから3階出窓までの壁の高さが違う。こういった点からも、厳密な復元では無いことが窺える。

画像を、以下の2つのサイトからお借りしました。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000130.000005181.html
https://www.walkerplus.com/trend/matome/article/215230/image1329765.html


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