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レンガ倉庫研究ノート⑦ありがたき米軍資料

現在、研究においてもっとも注力している作業が、広島被服支廠の、敷地と土地利用の変遷を描き出す作業です。

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きっかけは、広島被服支廠が、東京被服廠広島派出所だった時代の、明治39年の営繕資料が図面付きで見つかった事です。

廣島被服支廠の土地利用については、既往研究として石丸紀興氏のものがあり、昭和14年、17年、20年での土地利用が再現されていました。つまり終戦直前の姿です。

一方今回見つかった資料は明治39年。広島派出所の設置が明治38年であることから、本当にごくごく最初期の被服支廠の姿です。つまり、被服支廠のスタート地点とゴール地点の資料が出そろったのです。加えて、その間の期間にあたる敷地規模の変遷、建物の新築・増改築の記録は、図面は残されていないものの、文書記録としては多くが残されています。これによって、間の期間の土地利用の変遷も、ある程度追うことが可能と考えられます。本当にありがたいです。

これらすべての資料は、アジア歴史資料センターで公開されている、防衛省防衛研究所所蔵の資料から発見できたものです。そして防衛研究所の資料は、多くが昭和30年代に、防衛庁の尽力によってアメリカから返還されたものになっています。米軍が接収し、保管していた資料を、今は日本で体系的に利用することができるのです。

思えば、建築学科でも、旧日本軍関係の研究となると、連合国側の資料は欠かせません。高専時代の研究には、オーストラリア戦争記念館の資料が欠かせませんでした。現在も、例えば当時の日本の主要軍事都市地図は、テキサス大学オースティン校の図書館に網羅的に保存されていますし、それらはネットで閲覧&ダウンロードが可能です。しかも無料で超高解像度。国土地理院の空中写真・地図閲覧サービスも、高解像度&戦前戦中の画像となると、多くがアメリカ軍撮影の写真になってきます。お蔭で資料目録で「U.S.ARMY」の文字を見つけると、中身も確認していないのに、やった!掘り出した!と無条件で反応してしまいます。敗戦国なりの楽しみ方です。

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もちろん敗戦国の資料がちりぢりになるのは当然のことでしょうが、日本では目録には存在するのに、研究としての利用が叶わない、という事態に度々遭遇します。悔しいです。日本の(特に地方の)図書館や大学図書館にも、早く「秘仏収蔵庫」から民主的立場へと転換して頂きたいものですが、まあそれを望む人口が少ないのか、難しいでしょう。それに学問人口が少ないことは国民自身の問題でもあります。また仮に声をあげる人が表れても、前例主義と権威の無さで大きな壁が立ちはだかります。だからこそ、この研究を楽しんで、成果を1つでも積み上げたいと思います。少なくとも、今は情報に最も恵まれている時代ですし。(現状に甘んじつつ炭のように燃え続けたい)

(20210621)

↓研究ノート①

↓アジア歴史資料センター

↓テキサス大学図書館 Japan City Plans


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