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何度でも読み返したいnoteの記録
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#日記

国道沿いで、だいじょうぶ100回

子どものころ、大人気のお歌があった。 「奈美ちゃん、奈美ちゃん、どっこですか〜♪」 先生が歌えば、 「ここでっす、ここでっす、ここにいます〜っ♪」 子どもらは大喜びで、返事をする。 母が歌う。 「良太くん、良太くん、どっこですか〜♪」 弟はいつもどこかにいたけど、それは絶対に、ここではなかった。 ジッとしてられない弟だった。 だまってられない弟だった。 保育園でも、小学校でも、歩道でも、公園でも、どこでも無尽蔵に跳ねまわっていた。軌道がまったく読めないので、

四半世紀目の天気予報

わたしの“火事場の馬鹿力”ならぬ“焼け跡の馬鹿力”の活動限界値は、2週間ではないかということを、以前書いたことがある。 どんなに大変な状況でも、2週間だけなら、苦しさや悲しさをそっちのけにして、がんばれる。2週間を過ぎると、ガクッと落ちるのだ。 何気なく見ていた天気予報に目がとまった。 天気予報にも“2週間天気”というのがある。 2週間後の天気は、晴れるらしいぞい。 活動限界値を超えた先で、晴れた冬の空の下で、自分がどんな風にやっていけてるのか想像できない。遠すぎる

可愛い女を消費しないように

今更ながらBerryz工房にハマっています。ももち可愛い。 ルッキズムはくそ!といつも言っていますが、正直にいうと私も可愛い女の子は好きです。特に、突き抜けたエネルギーの塊みたいな女の子が好き。それこそももちとか。あと、他のアイドルでいうとBABYMETALが大好き。3人とも好きだけど、特にもあちゃん。顔がくるっくる変わって可愛いんだあ。 やっぱり、私はアイドルにパワーで殴りかかられたい。ぎこちなさを愛でて成長を見守るほどの余裕はないから、一発でどかんと惚れさせてほしい。

わたしの写真との向き合い方

昔から、物語を形づくることが好きだった。 * 幼稚園の頃、わたしが砂場で砂を掘っていると、先生がやってきてそっと耳打ちをする。 「この砂をずーっと掘り続けて、硬い地盤も掘ってしまうと、アメリカという別の国につながっているのよ」 その日以来、ひたすら砂場を気の済むまで掘り続けた。卒園するまで必死に掘り続けても、まだ見ぬアメリカにたどりつくことはついに叶わなかった。 * 小学生の頃、学校まで片道30分くらいかけて歩いて通っていた。同じ学区内にいる子たちで指定された時間

傷つきっぱなしで生きたりしない

30代の終わり頃、仕事関係の集まりがあった。懇親会で妙に馴れ馴れしい男性がおり、年齢を聞かれたので正直に答えたら「ウゲッ」と顔を歪め、あからさまに素っ気なくなって別のグループのところへ去っていった。わかりやすい人だな。呆れつつもその場は笑顔でやり過ごし、帰ってから少し泣いた。「お前にはもう女として価値なんてねえよ」と言われたような気がしたのだった。こんな台詞は言われていない。私の想像であり、彼は「ウゲッ」のほかは何も言っていないのだ。理屈ではそうわかっていても、私は傷ついたの

撮りがいのあるギャルに感銘をうけた日

とかく変わったもの、突飛なものはネタにされやすい。 先日の話。成人式の前撮りにいった。前撮りとはいえ、この蒸し暑い時期に振袖とは珍しい。 聞けばおじいちゃんの体調がよろしくないそうだ。元気なうちに振袖姿を見せたいという御家族の心遣い。いい話だ。きっと黒髪で清楚でどこか古風な芳根京子みたいなお嬢さんが、はにかみながら待ってるはずだ。そう思い、ご自宅にうかがった。 芳根はいなかった。代わりと言ってはアレだが気合いの入ったギャルがいた。 撮られることに積極的な子。上のポージ

SNSで死なないで

中学生がヒッチハイクでアメリカ横断を試みて、ツイッター上でちょっとした騒ぎになっていた。ふつうに常識があればありえないほど危険な話だし、そもそも本人のツイッターやInstagramの投稿を遡るとまるで勇気と無謀を履き違えていて、どうしてこんな歪んだ認識をするに至ってしまったのか…とうろたえてしまう。 彼が正しいとか間違っているとか、それは一旦置いておいて(彼がしていることは間違っていると思うのだけれど、どれだけのリスクがあることなのか正常に判断できるだけの経験や知識が中学生

「休暇に語学留学をプラスする」という欲張りで、けれど新しい人生の選択肢 #UK留学Challenge

2019年を通して、3カ国の語学留学へ行ってきた。期間はそれぞれ、1週間、2週間、3週間。合計1ヶ月半ほどだ。 感じたことも学んだことも色々あれど、強烈に感じたことは「みんな、想像していた以上に、身軽に語学留学に来ているなぁ……?」ということ。 もちろんこの感覚は、「私の気持ちと比べて」のものなのだけれど。 参考までに、「私の気持ち」を前提として書き出してみると、私は語学留学への憧れをすごく持っている人間だった。 大学を卒業して、「ふつうに就職」をして、一般企業2社と

絶望的で最高

「どうして星はきらきらしているの?」とバイト先に置いてある本に書いてあった。答えは「ゆらぎ」があるから。空気がゆらいでいるから星が瞬く。それは人間も同じだと思った。 写真家の弟子を辞めた。「なんでもっと早く辞めなかったの?見ていて本当に辛かったよ」と辞めた後に周りの人何人かに言われた。たまにしか会わない、仕事で関わっていた方たちからもそう言われるくらい、側から見ていて色々とヤバかったんだと思う。 100万円の犬を買い逃してしまって辛いという相談メールをラジオに送ったら

自分で自分の幸せを潰す、こと

昨年の成人の日、渋谷区の成人式でスピーチをした。 あれから1年が経つ。 会場にいた若者達との対話が今でも鮮やかな記憶となって蘇り、時に私を鼓舞してくれる。 「ここにいるみなさん全員が生まれた時から与えられている、あるものがあります。さてそれは何でしょうか?」 若者たちにそう問いかけると、会場の中程に座っていた金髪の若者がさっと手をあげて自分の思いを語ってくれた。 一瞬身構えたが、その彼の答えに会場は拍手に包まれた。 彼は何を語ったのか。 あの日のスピ

運命論があるならば

運命の赤い糸が小指に結ばれていて、つたっていけばいつかその人に出会える。そんな迷信はどこで知ったのだろう。 運命とは往々にしてあらかじめ決められていることを指す。もちろん、大人になると大抵のことは「結果」にすぎないこともよくわかる。 でも何かに迷った時に「運命」は「これは決まっていたことだから」と自分を納得させる強制力を持つ。起こるべくして起きた「必然」よりも、「運命」はもっと強く人生に作用するからだ。 *** その日は廊下に漂う空気が変だった。14年経った今でもよく

遺族取材をやめたかったマスコミのひとりとして。

毎日のように、悲惨な交通事故のニュースが目に入る。 母娘が亡くなってしまった池袋の事故のあの後はどうなっただろう(事故7ヶ月後にして書類送検となるらしいです/2019年11月追記) そして、園児たちが巻き込まれる大きな事故もあった。 園長先生による記者会見が、さまざまないびつさを持っていた。そもそも園が会見をしなきゃいけなかったこと。事故当日の詳細を質問された園長先生。なぜ、いまここで、この方がそれに答えなければいけないのか? なんのために? 目的のわかりづらい質問に多く

持てるならば健やかな怒りを

ふっ、と目が覚めてスマホに目をやると朝の5時だった。窓の外はまだ真っ暗で、もったりとしたぬくもりを宿す毛布に顔を埋めて画面をタップする。すると覚えのないメモ帳が開いており「正しい怒りを忘れない」という一文があるではないか。実におだやかでない文言である。 何かの神託や霊言ならかっこいいが、おそらく自分で音声入力したものだろう。私はたまに夢のなかで仕事をしているらしい。そのなかで忘れていた〆切を思い出し、がばりと起き出してはPCをひらいたり、スマホにアイデアを音声入力していたり

エッセイとコラムのちがい

「エッセイって、なんの意味があるんですかね?」 白いお皿にのった鶏肉にナイフをいれながら質問する。テーブルクロスの先に座っているのは、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院の教授を務める柳瀬博一さんだ。 柳瀬さんは編集者として、矢沢永吉の『アー・ユー・ハッピー?』や『小倉昌男 経営学』、『養老孟司のデジタル昆虫図鑑』などヒット作を数多く作ってきた日経BP社の名物編集者だった。 東工大で教鞭をとるのも、ジャーナリストの池上彰さんが東工大の教授になった際に作った『池上彰の教養