堀 潤 JUN HORI

ジャーナリスト/NPO法人「8bitNews」代表、1977年生まれ。2001年NHK…

堀 潤 JUN HORI

ジャーナリスト/NPO法人「8bitNews」代表、1977年生まれ。2001年NHK入局。報道番組キャスターなど担当。2012年渡米し、UCLA客員研究員、「8bitNews」設立。現在TOKYO MX「堀潤モーニングFLAG」、ABEMA「Abema Prime」等

マガジン

  • #わたこと。〈note編〉

    この世界には、まだことばになっていないものがある。 見えているようで、見えていない陽炎のような世界。 ことばになるなら、見つけてみたい。 もやもやだらけのわたしの心を少しだけ楽にしてくれるのは、きっとことばだから。 わたこと。は、そんな思いで立ち上げた「わたしをことばにする研究所」が運営するオウンドメディアです。 https://watakotopress.com/ 世の中にある、すてきなもの、心を惹きつける人々にはどんなことばがあるのだろう。わたしが感じる魅力の中には、きっと確かなことば眠っているはず。 お気に入りのパン屋さんにも、なぜか心和らぐ静かなうつわ屋さんにも・・・きっと。 わたこと。では、ため息がでるような心揺さぶられる出会いを、秘密にしておきたくなるような感動を一つ一つ丁寧にことばにしていきます。 素敵な「ことば」があふれる世界がずっと続きますように。

  • #わたしは分断を許さない

    最近こんなツイートをして、たくさんの方々から反響がありました。 「誰もあなたの権利を奪わない。あなたは怯える必要はない。あなたもわたしを敵だと思わなくていい。あなたは、あなたのままでいい。わたしは、わたしのままでいい。互いに認めあう。だから時には補い合う。一緒につくることを考える。一緒に少し先の未来を語る。罵りあわない。やさしい毎日を創る。」 何だか世の中ギスギスしているなぁと思ったからです。でも、それはきっと一人一人に迷いや不安が沢山あるからなのかなとも思ったり。 このマガジンでは、分断ではなく、互いの違いを知り、傷口にガーゼをあてるような優しい活動をしている現場に焦点をあて、僕が実際に取材し、見聞きした事実を皆さんにシェアします。

最近の記事

  • 固定された記事

自分で自分の幸せを潰す、こと

昨年の成人の日、渋谷区の成人式でスピーチをした。 あれから1年が経つ。 会場にいた若者達との対話が今でも鮮やかな記憶となって蘇り、時に私を鼓舞してくれる。 「ここにいるみなさん全員が生まれた時から与えられている、あるものがあります。さてそれは何でしょうか?」 若者たちにそう問いかけると、会場の中程に座っていた金髪の若者がさっと手をあげて自分の思いを語ってくれた。 一瞬身構えたが、その彼の答えに会場は拍手に包まれた。 彼は何を語ったのか。 あの日のスピ

    • 朝鮮学校のいまと子どもの権利の報道をめぐって、堀の見解

      本日、「堀潤モーニングFLAG」朝鮮学校報道を問う有志の会、早尾貴紀さん、(東京経済大学教員)、山本かほりさん(愛知県立大学教員)、板垣竜太(同志社大学教員)さんが、番組内容に関しての公開質問状をSNSで発信されていました。内容を拝見したところ、私が語った内容が一言も引用されず、誤った内容になっておりましたので、訂正させていただき、併せて私の見解を述べたいと思います。 公開質問状の中で、このような一文がありました。 SNSで拡散された番組の切り抜き動画や、番組をご覧になっ

      • 始まりの先にあるもの

        いつ頃からそう思うようになったのかは、よく覚えていないのだけど 僕は「始まるとき」から「終わり」を考えるような生き方を続けてきた。 始まってしまったものには、必ず終わりが来る。 終わりが来ると、寂しさよりも期待の方がそれを上回る。 なぜなら、始まりをまた始められるからだ。 長く続くことは「申し訳ないこと」と、言葉を置き換え、自分への理解を促すことも少なくない。 「わたし」がそこに居座ることで、誰かの居場所を奪うことになると思っている。 勝手なことを言って! と、苦

        • 再生

          映画「わたしは分断を許さない」予告

          シリア、パレスチナ、朝鮮半島、香港、福島、沖縄… ジャーナリスト堀 潤が出会い、寄り添い、伝えた、 人々の「生の声」とは——— 堀 潤は「真実を見極めるためには、主語を小さくする必要がある」という。香港では“人権、自由、民主”を守る為に立ち上がった若者と出会い、ヨルダンの難民キャンプではシリアで拘束された父との再会を願い、いつか医者になり多くの命を救いたいと話す少女に出会う。美容師の深谷さんは福島の原発事故により、いまだに自宅へ戻ることが許されず、震災以来ハサミを握っていない。久保田さんは、震災後に息子を共に水戸から沖縄へ移住し、普天間から辺野古への新基地移設に対して反対運動を行う人々と出会った。彼女は「声をあげること」を通して、未来の為に“わたしたち”ができるのはなにかを見つけていく。 国内外の様々な社会課題の現場で深まる「分断」。ジャーナリスト堀 潤が、分断の真相に身を切る思いで迫っていく。 3月7日より全国劇場で順次公開。 https://bundan2020.com/ ********************** 片方の手は握手のために取っておかねば。 相手が誰であっても。 岩井俊二 やっかみに近い気持ちにさえなった。堀潤氏の厳しい着眼力と、何よりもすさまじい取材エネルギーに対してである。特に福島や沖縄問題では、私自身の捉え方の甘さを痛感させたれた。 田原総一朗 ジャーナリスト 難民も、福島原発の被災者も、香港で中国政府と戦う若者も遠くのニュースの中の誰かではなく、私の大切な友人や家族と変わりない一つの命であり人生なんだ、ということをその命に重さの大小も優劣もない、ということを考えさせてくれたのは堀潤さんでした。 新聞記者の役を演じる時参考にお話を聞かせて頂いたのですが、「より良い世界があるなら見てみたい、そう思って活動をしている」と仰っていた言葉が忘れられません。 玄理 俳優 無知と先入観が、分断の裂け目をつくりだす。 人間はモノガタル動物。 そして、人間は一人 一人がモノガタリの結晶だ! この映画は、分断された一人一人が、主人公。 彼らのモノガタリに向き合って下さい。 あなた自身が、分断されたモノガタリの主人公に、ならないためにも。 別所哲也 俳優 「遠い国のことなんてどうでもいい」という言葉の本質は、物理的な距離ではなく「自分とは違う」ものへの心の隔たりである。その隔絶を乗り越えるための第一歩を踏み出させてくれる映画です。 安田純平 ジャーナリスト 客観性という鎧を脱ぎ捨てる。どこに寄り添い身を置くかで、世界の見え方が変わってくる。当事者意識を欠落させた、デジタル時代のメディア状況に対峙する勇気ある冒険。 堀潤が目指す新しいジャーナリズムの輪郭が明確に見えてきた。 大友啓史 映画監督 ガザから福島、ピョンヤンから沖縄、ロスからヨルダンなど、国境を超越し、無関係に思える地域と地域を結びつけ、僕たちの持つステレオタイプを瓦解させ、現場に生きる人々の体温を伝えてくれる・・・堀潤は貴重な、貴重なジャーナリストだ! 舩橋淳 映画作家 視点はひとつだけじゃない。正義もひとつだけじゃない。分断を防ぐには、そのことを深く理解するしかない。 乙武洋匡 作家 わかりやすく切り取られた映像は世界の分断を加速する。だが、堀はそれを許さない。対立する群の中間に立ち、その両側へレンズを向ける。ここに映し出されているのは、離れていく世界を繋ぎとめようとする堀の覚悟そのものなのだ。 浅生鴨 作家 妻の故郷は、福島の相馬。 生まれ育った海辺の一軒家は、今はもうない。 我が家にも、「小さな主語」の物語が幾つかあった。 山田ルイ53世 漫才師・作家 分断がガラスでいうヒビだとしたらここには沢山の誰かの心がバキバキとヒビ割れている音する。 メディアが小さすぎて拾わない音。その音は仕方のない犠牲だというやつがいる。おれはそれを許さない。 村本大輔 お笑い芸人 ウーマンラッシュアワー ジャーナリズムとは何か…東日本大震災後、大きな決断とともに堀潤が探し続けた答えが、ここにある。ニュースが伝えない現場の声をリアルタイムに発信し続けること、それこそが彼が追い求めてきた「メディアとしての使命」なのだ。 フィフィ タレント 社会の病みを癒す第一歩は情報収集。理解も解決も知識から始まるから。 この映画で、ずば抜けた取材力を持つ堀潤が分断の現場に私たちを誘う。 体を張る上、心まで張ってしまう名ジャーナリスト堀潤についていこう。 パックン お笑い芸人 マジックショーだ、これは!ウサギではなく、新聞記事をマジックハットに入れて出てきたのは、ニュースの裏側。世界共通のローカルな物語や政治問題、紛争の背景といったリアルな現場だった。マジシャン堀潤さんの命がけの取材も。発見がたくさん!ぜひ〜 マシュー タレント・ライター 人を思う優しさを持って生きて欲しいと、不条理のただ中の、難民の子どもたちに、思う。あらゆる分断を埋める果てしない作業が、その優しさに支えられていることを、映画の視点が苦しくも温かく、語りかけてくるから。 松永晴子 NGO 国境なき子どもたち ヨルダン現地事業総括 正しい事は安全な事ではないって言葉にふるえる。怖い。 安全でいたい。でも正しくもありたい。 どちらかしか取れないんだろうか。本当にそうなんだろうか。 何故安全で正しいができないんだろうか。 正しくないは安全で、正しいは危険。 なんでそうなるんだろうか。 面倒くささに揚げ足を取られる毎日が少し変わった。 やついいちろう 芸人・DJ・俳優 現場に足を運び、その大気の震えに全身を晒す。心が揺れるように、レンズが揺れる。 何度も再会を重ねることで、だんだんと、大きな主語の仮面は剥がれ落ち、尊厳を持ったひとりの人間が浮かび上がる。分断を生む、想像力の空白を埋めるドキュメント。 佐藤慧 フォトジャーナリスト・ライター 海の向こう、私たちのすぐ隣、ばらばらのピースのような出来事が、見進めるごとにつながっていく。この映画を通して私たちが「出会う」人々それぞれが問いかける。遠くの痛みが他人事ならば、近くの悲しみにも気づけないのだ、と。 安田菜津紀 フォトジャーナリスト カメラは分断の現場に生きる人たちを映し、その声を伝える。修復への特効薬は示されない。それでも「分断を許さない」と誓い、諦めない。ストレートな題名と映像で、視聴者にもそう訴える。 古田大輔 ジャーナリスト・メディアコラボ代表 「わたしは人間を諦めない」 それでも人間を信じ抜くんだという 堀さんの決意が伝わった。 澤田智洋 コピーライター 見ているのに見えていない現実、できることなら見たくない残酷。 テレビとネットのハイブリッド・堀潤が実現した究極のジャーナリズム映画は、 私たちが生きる時代の真実を容赦なく突きつけ、優しく問いかける 長野智子 キャスター 私も歩き回ってきた世界の「紛争地」の映像。でも既視感はない。それは現場に立った堀潤の、「わたし」を主語にしての、分断を迫る力に対する「許さない」決意のなせるもの。敬服。 豊田直巳 フォトジャーナリスト 取材行為に価値がない、誰も頼んでいない、との認定が「自己責任論」だ。「大き過ぎる主語」を嬉々として受け入れる我々の国民性は奇異である。 「受け取り手を失った真実はどこに行くのだろう」堀潤さんの叫びが全編に響き渡る。 初沢亜利 写真家 涙を流しながら人に寄り添い、話を聞くジャーナリスト堀さんの意志。 この映画を見終わった後に流れた私の涙は、どんな涙だっただろう?色々な感情が残った。知らないことが多すぎて、知ろうとしなかったことも多すぎた。日本のことでさえも。この映画にでてきた多くの場所で、毎年あの桜のように綺麗な花が見れることを。 キセキミチコ 写真家 この映画を見終えたわたしはもう何日も、内側から溢れてくる言葉にならない想いを、ただただ飲み込んでいます。どんな言葉も軽すぎて、言葉が見つからない。 わたしのように 、何も感じていないのではなく、何と言っていいのか分からず黙っている人が他にもいるのではないかと思います。 でも、なかった事になってしまう。何も言わなければ。 現実に起こっている事を、危険に身を預けてまで伝えてくれる人がいます。知ったあと、わたしは何をすることができるのでしょうか。わたしには、見守ることしかできないのでしょうか。言葉にすることすらこんなに難しいというのに、分かりあうのに一体どんな方法があるのでしょうか。 そんな疑問ばかりが湧いてきてわたしが立ちすくんでいる間に、世の中はどんどん、どんどん進んでいってしまう。「大きな声」を持つ者のみによって決定されていくのをただ黙って見つめる、そんな事にならないようにするには、わたしたちはどうすればいいのでしょうか。 七咲友梨 写真家 世界のあらゆる出来事を身近に感じられるかは、ひとりひとりの「私」の感受性にかかっている。 世界で一番ちいさな主語、「私」。平壌の学生が「戦争は人に酷いです」と言う。 そうだ。基地でも原発でも香港の問題でもなんでも同じだ。 人に酷いことをしてはならない。それを私の尊敬する友人、堀潤は伝えているのだろう。 ワタナベアニ 写真家 原発事故の後、避難という行動をめぐり人々は3つに割れた。「賠償がいっぱいもらえて、あんたらはいいね」――強制避難区域の被害者が避難先での住民の言葉に怯える。子どもを守ろうと沖縄に「自主的」母子避難をし、夫婦が離婚する。他方、お金がなくてそのふがいなさのせいで、子や孫を一時避難もさせられなかったと自分を責める人すらも。 放射能を恐れる思いにも、避難できないのならここで生きるしかないと覚悟する心細さや生活苦に背を向け、再稼働の邪魔だとばかりに幕を引き被害救済を打ち切る政府と東電。 分断を仕掛ける側の不純な動機が強まればそれだけ、それに立ち向かう私たちの力も鍛えられ強くなる。 中島孝 「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟原告団長 この作品は世界の分断を憂いたものではない。個との無対話を憂いたものである。 「私達は」「我々は」メディアは主語を大きくして、本来そこに居るはずの個人をぼかす。 だが本質は常に個との対話にある、という当たり前の事実をこの作品は問う。珠玉の傑作。 古谷経衡 文筆家 真実は一つ。どんな時も人は生きようとする。そこに国籍、人種、性別の境界線はない。 河合薫 健康社会学者 わたしたちは「わたしたち」をつくる。その「わたしたち」は”違う”ひつようがある。 じゃないとわたしたちは「わたしたち」になれないからだ。 だから「かれら」をつくる。 「かれら」は「わたしたち」と”違う”のだ。 ”違う”のだからわたしたちは「わたしたち」だけをかんがえていればいい。 「かれら」が”違う”ことをもっとさがそう。 そうすれば「わたしたち」はもっとつよくなれる。 そうして「かれら」が「やつら」になる。 「やつら」なんてじゃまだ。 「やつら」なんていないほうがいい。 根絶やしにしてもいいかも。 「かれら」も「わたしたち」をつくりはじめる。 伊勢崎賢治 ジャズトランペッター・東京外国語大学教授 堀さんが何と戦っているのか、やっとわかった。僕たちはすぐ、知らずに決めつけたり、安易な結論に逃げたりしてしまう。 「分断」は、問題の現場じゃなくて、そんな僕たちの弱さの中で起きていたんだ。 若新雄純 ㈱NEWYOUTH代表・慶應大学特任准教授 「わたしは分断を許さない」見終わった!涙してみました。 誰かの「幸せ」の反対側には「不幸」が存在している。 人の不幸の上に成り立つ幸せを癒すには、幸せを少し手放し、 みんなの物にする「優しさ」って本当に重要だなと改めてこの映画をみて 再認識しました。 最後の桜のシーンを見た時に「自然は分け隔てなく人を感動させる凄い物だな」と。 そんな分断の間に咲く花のような物を我々は作っていかないといけないなと。 本当に素晴らしい作品でした。 高橋賢次 恵比寿新聞編集長

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        記事

          疑いと信頼、その境界線で僕は思った

          僕は、決して心が強い方ではないから、すぐにいじけてみたり、悲観的になったり、殻に閉じこもってみたり、どうせ自分なんてと卑下してみたりしてその場から立ち去ったりと、そんなに簡単ではない感情を常に抱きかかえてだましだまし生きてきた。 「意外ですね」 と言われることが多いのだけど、飲み会やパーティーは大の苦手で、「すみません、次があるので」などとあたふたしたそぶりを見せて、誰よりも先に会場から立ち去ることも少なくない。 誰かに悟られることなく、いつでもその場を抜け

          疑いと信頼、その境界線で僕は思った

          視線の先に、いつかの僕と君が立っている

          僕の心の中には、消えてしまいそうでいつまでも消えない、引っ掻き傷のようなものが、いくつも、いくつも刻み込まれている。 ざらっとしたあの時の感情が忘れられない。 「ものを大切にしない子ですね」 校長先生は穏やかな口調でそう言い残して仕事に戻っていった。 大阪の学校から横浜の学校に転校するときに、僕は前の学校で履いていた白い紐付きの上履きを、自分の下駄箱に置いたままにした。横浜には持って行かなかった。 忘れていたからではない。リセットしたかったからだ。 肩掛けカバンに

          視線の先に、いつかの僕と君が立っている

          優しい時代にしていきたい

          優しい時代にしていきたい

          25年前に言えなかったこと

          前原先生へ お久しぶりです。岩崎中学校でお世話になった堀 潤です。卒業してから何度か年賀状ではやりとりさせていただきましたが、その後、連絡を差し上げることなくすっかり時間が過ぎてしまいました。申し訳ありませんでした。 最近、前原先生のことをよく思い出します。 中学2年の秋、大阪から横浜に引っ越してきました。大阪といっても、猿と滝がウリの箕面という場所です。僕が住んでいたマンションも田んぼに囲まれた新興団地。詰襟(つめえり)の学生服に肩掛けカバン、ヘルメットをかぶって自転

          25年前に言えなかったこと

          友達のレシピ

          大切な友人の一人、批評家の宇野常寛さん。歳は僕と一つ違いだったかと思うが、恩人だ。 出会いは今から7年前、2011年の暮れだった。 当時まだNHK職員だった僕は、Eテレで新たに始まる「ニッポンのジレンマ」という若手論客を集めた討論番組の立ち上げに司会者として関わった。 宇野常寛 飯田泰之 開沼 博 荻上チキ 澁谷知美 駒崎弘樹 萱野稔人 水無田気流 城 繁幸 齋藤ウィリアム 初回の放送のゲストたちだ。 3時間番組にも関わらず収録は6時間近く続き、深夜になった。それで

          友達のレシピ

          20181231

          年末年始は国内外の取材で全然時間が取れず、1年を総括する暇もなくきょうを迎えてしまいました。 この後8時から仕事納めの年越し生討論番組。放送前の走り書きですが皆さんに伝えたく、書きました。 今年は海外では韓国平昌パラリンピックの取材に始まり、米国、中国、東南アジア、欧州と現場を訪ね歩きました。いつか行かなくてはいけないと思っていた、平壌へも。 国内では災害関連取材が特に多く、北海道や東北から中四国、九州地方まで東京との往復が続きました。高江、辺野古など沖縄へも。 テー

          20181231

          あなたへ

          「避難者は、どこへ行っても避難者扱い。私たちに安住の地はないのでしょうか。」 深谷敬子さん、74歳。 原発事故がおきるまで、彼女は美容師だった。 自宅を改装してつくった店。近隣の町からやってくる馴染みの客の髪を切りながら、ああでもないこうでもないと談笑するのが彼女の幸せだった。 あの日、福島県富岡町夜ノ森の自宅から突然着の身着のまま避難を迫られた。地震と津波、そして原発の異常。大熊町の避難所は人々でごった返していた。 刻々と状況が悪化する中、放射能の危機から逃れるた

          あなたが疲れ果てた時、私は。

          12年間勤めたNHKを退職して5年が経ちました。 退職直後は「喧嘩して出て行ったんですか?」「ニュース番組から《きょうの料理》に担当が変わるのが嫌だったのですか?」など色々と聞かれることも多かったのですが、そうではありません。 喧嘩なんては現場にいれば日常茶飯事、上司と部下がぶつかり合わない環境の方が不健全。新人の頃から言うときは言います!というスタンスを貫いていたのでそれが原因ではありません。食文化を伝える《きょうの料理》は人々の営みそのものでまさに報道。担当が決まって

          あなたが疲れ果てた時、私は。

          手のひらをもう一度、見つめる

          最近、自分の意識を変える出来事があった。 三重県の伊勢神宮では千五百年もの間、朝夕、欠かすことなく続けられてきた神事がある。 神職は自らの手で火をおこし、その火で飯を炊き、供え、祈りを捧げるのだ。 それを知り、私は思った。 「自分は火さえおこさなくなったのか」と。 私の暮らしは誰かがおこした火によって支えられている。 コンビニで食事を買い、暖房の効いた職場で、パソコンの画面をみながら、腹を満たす。 私はいつから、自分の手でつくることをやめてしまったのか。 子供

          手のひらをもう一度、見つめる

          片想いから、卒業する

          インターネットやスマートフォンがとても便利になって、わたしはいま「誰でも発信できる時代」「あらゆる情報にアクセスできる時代」を生きています。 ソーシャルメディアも使いこなすことで、情報も、人脈も、そして必要な資金も頑張って手に入れようとすれば手に入れられる可能性が広がりました。 とても便利な時代です。 でも、ふと立ち止まって考えてみると、事実だと思って心の中にしまっておいたものが時折、蜃気楼のように、そこにあるようでないような不確かなものに見えることがあるのです。

          片想いから、卒業する

          ゾンビになってみて思うこと

          ハロウィンナイトから一夜明け、朝の8時半、渋谷センター街を歩いた。 二点悲しかった。 まき散らかった酒とゲロの匂いにまみれて、酔っ払って疲れ果てた若者たちが「うぇぇ、うぇぇ」と倒れて唸っていて、完全にゾンビだったこと。 量販店で買ったやっすいお面や流行り物の市販品を身に纏って一生懸命女子を口説こうとしている男子がカッコ悪かったこと。 「他人のクリエイティブに乗っかるな」 これは僕がいつも作品に魅了される写真家のワタナベアニさんの言葉。誰かがつくったものを安易に

          ゾンビになってみて思うこと

          大川小裁判2審も遺族側の勝訴

          先ほど仙台高裁で判決が出ました。 ご遺族の皆さんの勝訴です。 東日本大震災の津波で宮城県石巻市立大川小学校の児童74名、教職員10名が死亡・行方不明になった事故。 学校管理下で失われた大勢の命。避難指示が適切に行われず、事前の対策も怠っていたとして23人の児童のご遺族が石巻市と宮城県に対して訴訟を起こしていました。 「なぜ自分の子供が死ななくてはならなかったのか?」 切実な思いで踏み切った訴訟です。市の教育委員会などが丁寧にご遺族に事実を説明していれば裁判になんてならなかった

          大川小裁判2審も遺族側の勝訴