見出し画像

あなたへ

「避難者は、どこへ行っても避難者扱い。私たちに安住の地はないのでしょうか。」

深谷敬子さん、74歳。

原発事故がおきるまで、彼女は美容師だった。

自宅を改装してつくった店。近隣の町からやってくる馴染みの客の髪を切りながら、ああでもないこうでもないと談笑するのが彼女の幸せだった。

あの日、福島県富岡町夜ノ森の自宅から突然着の身着のまま避難を迫られた。地震と津波、そして原発の異常。大熊町の避難所は人々でごった返していた。

刻々と状況が悪化する中、放射能の危機から逃れるため、深谷さんはその都度移動を余儀なくされた。郡山市内の復興住宅に辿り着くまで、10度も住む場所を転々とさせられた。

ようやく終の住処を見つけたとホッとするのも束の間。待っていたのは慣れない土地での孤立だった。

ある日、郡山の商店街を歩いているとベンチに座る懐かしい顔をみつけた。

店の常連客だった。

駆け寄って声をかけると、その女性は縋(すが)るように深谷さんの手を握ってこう言った。

「やっと住宅に入れたのだけど、近所の人からこう言われたの。避難者とは仲良くしない、って。」

2人は声を上げてその場で泣き続けた。

きょう、仙台高等裁判所の法廷で深谷さんは証言した。

およそ20分間。

何度も何度も練習をして、きょうの日を迎えた。

大きな声で、はっきりと、途切れることなく、淡々と、泣きもせず、声を荒らげもせず、まっすぐ伝えた。

国や東京電力の弁護人達は目線を落として聞いていた。

左陪席の裁判官は一度も目をそらすことなく、深谷さんの顔を見つめ続けて聞いていた。

届いていると思う。

きっと届いていると思う。

あなたへ。

https://youtu.be/cI0LJocyLYU


頂いたお金は取材費として使わせていただきます!