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友達のレシピ

大切な友人の一人、批評家の宇野常寛さん。歳は僕と一つ違いだったかと思うが、恩人だ。

出会いは今から7年前、2011年の暮れだった。

当時まだNHK職員だった僕は、Eテレで新たに始まる「ニッポンのジレンマ」という若手論客を集めた討論番組の立ち上げに司会者として関わった。

宇野常寛
飯田泰之
開沼 博
荻上チキ
澁谷知美
駒崎弘樹
萱野稔人
水無田気流
城 繁幸
齋藤ウィリアム

初回の放送のゲストたちだ。

3時間番組にも関わらず収録は6時間近く続き、深夜になった。それでも議論は尽きず、渋谷の居酒屋で朝まで語り合った。論客たちに混じって観客の学生たちもそこにいた。

あの年、大勢が東日本大震災で大切な人を亡くし、原発事故で故郷を傷めた。

動揺が収まらない中、復旧・復興の糸口を手繰り寄せようと模索が続いていた。なぜこんなに大きな不幸が起きたのだろうか?と原因を考え、持論をぶつけ合った。

中東ではアラブの春が、欧州ではギリシャ危機がスペインやイタリアに飛び火し経済が揺れていた。米国の財政危機は世界同時株安の引き金の一つになった。

日本経済の舵取りも混迷を極めた。

問題の根は深かった。

議論のテーマは「格差」だった。この放送では「政治や社会を批判していても前進はあり得ない」と結論を導き、隣人たちと手を握り「創る」ことで次世代を切り拓こうと互いに誓った。

宇野さんの分析は的を射ていた。

「この国は古いOSを更新しないまま使い続けている」

当時から僕にとって宇野さんは時代のファイターだった。

「ニッポンのジレンマ」の収録が決まる前、たまたま見ていたNHKスペシャルに宇野さんが出演していた。「権威はあるけど、いい加減だな」と思って眺めていた政治家や評論家たちを、彼は鋭い舌鋒でなぎ倒していた。

使い古された言葉ではなく、今と未来の言葉を感じさせた。

『ゼロ年代の想像力』(早川書房、2008年)
『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎、2011年)

宇野さんの著書には、僕が中学、高校、大学時代に感じていたもどかしく、絶望的な、形にできない感情の数々が、言葉となって刻み込まれていた。

そんな宇野さんと居酒屋で朝まで語り合った後に、仲良くなった。

お互い転校生だった話、いじめの話、会社員でありながら好きなことをするための話、SNSを使った希望の話、不完全でも大切だという民主主義の話・・・。

いろんな話を二人でしたと思う。

「伝えたくても、伝えられない」

メディアで働く僕のジレンマを聞いた宇野さんは大きな声でこういった。

「壊すのではなくて、ハックしようぜ」

高田馬場にある宇野さんの「PLANETS」事務所が作戦本部になった。市民投稿型ニュースサイト「8bitNews」の構想はこの場で温められ、そして立ち上げに至った。

僕がNHKを退職したあの日、渋谷の放送センターから真っ先に向かったのは宇野さんの事務所だ。

「宇野さん!やめてきたよ!」と報告すると、大笑いしながら「堀さんの当面の生活費をなんとかして確保しよう」と言って、事務所の電話からニコ生を運営するドワンゴに電話をかけてくれた。

宇野さんは「有料のブログマガジンの立ち上げを早急にしてほしい」と、懇意にしているドワンゴの担当者に連絡を入れてくれた。

ドワンゴのチームは、通常数週間かかる公式チャンネルの開設を短期間で仕上げてくれた。何も準備せずに退職し、全ての収入源を失っていた僕にとってのベーシックインカムになった。

僕が窮地に立たされると、いつも隣にライダーがいた。

そんな宇野さんとの付き合いもまもなく10年近くになる。

近くで一緒に笑うこともあれば、遠くから眺めていることもあって、その距離感の塩梅がちょうど良い関係だ。

(勝手にそう思っている)。

宇野さんのことをなぜ信頼しているかというと、嘘を言わないし、思ってもいないことに軽々しく同意しないからだ。他人に対してはっきり意見を述べることは自分の言論に責任を持っていることの証だし、勇気がいることだからだ。

でも、その都度消耗しているし、傷ついてもいる。

(と、思ってみている)。

優しい男だ。

誰かがコツコツと積み上げてきたものに対して、あざ笑ったり、馬鹿にしたりすることを絶対にしない。自分のポジションを誇示するために誰かを貶める行為を最も軽蔑している。

宇野さんは、曖昧で迷信のような空気が支配する言論を理性で的確に仕分けていく。空論を感じさせない説得力は、理性に頼らず、他者や歴史の経験を正当に評価し取り込んでいるからだ。

僕は弱くて、浅はかだから、理想を具現化できずに折れてしまうことも度々あるが、宇野さんはそんな不完全さをかえって肯定してくれる。

それが、世界であり、社会であり、あなたであって、自分でもあると言ってくれているように。

過剰に自分を貶めることはないし、人を過信しすぎることもしない。だからこそ、理想の旗を立てること、そこに集う人たちの行動が正当に評価されることを心の底から願っているようにもみえる。

そんな友人が近くにいて僕は本当に運が良いと思う。

友達のレシピは難しい。

信頼のバランスというのは、とてつもなく長い時間や経験によって培われていくからだ。簡単に失うこともあるし、取り返すことできず苦しむことだってある。

相互作用も必要だと思う。一方的な価値を押し付けるのではなく、互いに刺激し、学び、経験し、批評的でなくてはならない。そうして生み出された「共通の言葉」によって結びつきが深まっていく。

意図的にそれができるのかと問われれば、その自信はない。

だから、面白い。大切にしよう。






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