視線の先に、いつかの僕と君が立っている
僕の心の中には、消えてしまいそうでいつまでも消えない、引っ掻き傷のようなものが、いくつも、いくつも刻み込まれている。
ざらっとしたあの時の感情が忘れられない。
「ものを大切にしない子ですね」
校長先生は穏やかな口調でそう言い残して仕事に戻っていった。
大阪の学校から横浜の学校に転校するときに、僕は前の学校で履いていた白い紐付きの上履きを、自分の下駄箱に置いたままにした。横浜には持って行かなかった。
忘れていたからではない。リセットしたかったからだ。
肩掛けカバンに、ヘルメット姿。自転車に跨がり、田んぼのあぜ道を目一杯の風を感じて走り抜け登校するような、田舎町の学校だった。
少し太っていたし、内気で、いじめられた時期もあった。
父親の転勤で突然決まった横浜への転校。
港がある。煉瓦造りの街並みがある。おしゃれな若者たちたちが行き交っている。写真で見た横浜は僕にとって大都会だった。
冴えない自分をリセットしてやり直してみたかったし、期待があった。
新しい自分になってうまくやれるかもしれない。大阪の自分を持っていくわけにはいかないと思った。
僕はまだ履けたはずの上履きを、お礼も言わずにおいてけぼりにして出ていった。
校長先生は、僕の弱さを見抜いていたし、狡猾で、いい加減で、優しくない部分をきっと見つめていた。いや、きっとではないと思う。
なぜなら、僕もあのとき、心の大切な部分に痛みを感じたから。
そして、今も時々思う。
僕は、何を置いてけぼりにして、ここを立ち去ろうとしているのか。あの時のざらっとした痛みが、今の僕にいつも語りかける。
前を向いて、何かを振りほどいて、駆け抜けなくてはならない時もある。
でも、前ばかりをみていてはいけないこともある。
大切なものは足元にあるんだ。
僕は靴を置いてきてしまった。
だから、なんども振り返る。
視線の先に立っている、いつかの僕と君に語りかけるために。
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