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対人トラブルはなぜ起こるのか?(1/2)

人間関係やトラブルにまつわるご相談を受ける中での気づきを記事にまとめました。2本立ての1回目は「意思」のお話です。

大切な相手から突然はしごを外されたり/外したり、
誰かに損害賠償を求められたり/求めたり、
気づけば他人のトラブルに巻き込まれたり、

大小あれど人間関係に悩んだことがある方も、現在進行形の方も、ほんの一例ですが、前に進むためのヒントとしてお読みいただけたらと思います。

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対人トラブルを抱えている方、または過去に抱えていた方とお話ししていると、事の背景や動機として

「相手にとっては良いことだと思ったから」
「可哀想だなと思って」
〇〇した/していた

というようにお話しされることがあります。

こんなお話をお聞きした時に受ける私の印象は、「〇〇さんの意思・気持ちはどうなんだろう?」です。自分自身のお話をされているのに、

その動機に「自分」が登場しない違和感

がまずはじめにやってきます。

そしてその違和感は間違っておらず、周りから見るととても順調そうな近況でも、いざ運気を診てみるとすでにバランスを崩していて、具体的な対処策以上に、まずは心も体も整えるために必要な「そもそも」のお話をしなければならないことがよくあります。

ここでお話ししたいことは、誰かのためを思って力になりたい、そんな想いに端を発する行動が良くないということではなくて、

「自分がしたいからそうしている」ということに自覚的であることの大切さと、実際にはその有無が抱えている心配・トラブルに大きく影響しているということです。

仮に先ほど書いた"動機"に自分の意思があると、

◇◆◇

「相手にとっては良いことだと思ったから」

→→相手にとって良いことを(自分が)やりたいから


「可哀想だなと思って」

→→可哀想だと思ったその人の力に(自分が)なりたいから、見て見ぬ振りをしたくなかったから etc...

◇◆◇

といった表現になります。

動機に「自分」が登場すると、たとえ期待しない結果や問題が生じても

==
自分が決めたのだからしょうがない
自分がやりたかったのだから
==

と、どんな結果であっても(時間の長短はあれど)自分の中で処理できるようになり、自然と相手を含む"自分の外側にあるもの"のせいにするようなことが起きなくなります。

逆に「自分は本当にそうしたいのか?」を問うた時に、"YES"が返ってこないような行動は、(思考に止まる)損得勘定が働いていたり、多少の我慢など自己犠牲を強いている可能性があります。そんなことばかりが積み上がると、感情を持った人間ですから、やはり怒りや悲しみ、寂しさが爆発してしまったりするのも当然です。

(子育てのシーンでみる「せっかくやってあげたのに!!」という言葉。これは自分が意思なき犠牲を払って我慢し、子供やその場に良かれと思って行動している時に現れる言葉だったりします。)

ここに至れていないと、あれこれと周りのせいにしては起きている問題の本質に向き合うことができず、相手とも堂々巡りをするか、はたまた炎上してトラブルが長期化したりします。もっと良くないこととして、自分の中の根本的な解決には至れていないため、同じようなトラブルに再び直面してしまうことです。

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ここまでは「意思」について書きましたが、実際には意思があってもトラブルが起きてしまうことは多々あります。それは、同じ社会で人と共生する上で必要な心ー「信頼」が不足しているためです。
次回はこの「信頼」について書きたいと思います。


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