レールを外れても外れても戻っていくわたしの人生(学生編)

学校という場所と相性が悪い人生でした。

小学生の時には、学級崩壊したクラスでいじめのターゲットになり、

中学生の時には、うつになり不登校になり、

高校生の時には、再びうつになり中退を余儀なくされました。

高卒認定試験に合格し、大学に進学してからは、とても穏やかな日々で、わたしにとっての学生生活の思い出は、9割以上が大学時代のものです。


学校という場所は閉鎖的で、わたしはいつも、こんな四角い箱の中に収められて、決まった制服を着て、決まった時間に、決まった席で、決まった授業を受けて、評価されて、周りとのコミュニケーションを強要される…!というような気持ちで、とても窮屈に感じながら過ごしていました。

元々遠足もレクリエーションも運動会も大嫌いで、そんなことする暇があるなら授業をして!と思うくらい、周りとのコミュニケーションが苦手でした。

そして、小学6年生の時に受けたいじめがトラウマで、余計に学校が苦手になりました。
学級崩壊したクラスで受けるいじめというのは、授業中すら安全ではないので(先生の注意なんてなんの意味もないから)、朝から夕方まで地獄のような時間が続くのです。
いじめられた理由も、幸せそうでむかつくから(よくそんなことが言えたな、と思う理由はまた記事にします。)とか、〇〇くん(イケメン)と仲がいいから、とか、そんな下らない理由だったそうです。

そうやって他人の人生を侵害する人たちのおかげで、皆勤賞だったわたしがどんどん学校から遠のいていくようになりました。

中学ではうつを発症し、薬を飲んでなんとか生きているという状態でした。不登校になり、ほとんど学校に行ってませんでしたが、この頃の記憶はあいまいです。薬のせいだと思いますが、とにかく毎日廃人のように暮らしていました。

高校でうつになったときは、すぐに休学し、比較的早く回復して、高2の夏には高卒認定に合格して、悠々自適なニートライフを1年半ほど楽しんでいました。

そして、大学。これはとにかく楽しかった。1日も休まず卒業しました。

自分で選択した授業、自分で選択した席、気の合う友達、学校以外の世界を知っている先生たち…

学校を窮屈たらしめていたものがすべて取り去られて、毎日が楽しい日々でした。

自分がこんな風になんの問題もなく学生生活を送ることができるなんて、ということでも、毎日毎日感動していました。

高校を中退したときには、もう自分の人生はダメなんじゃないか、と思っていました。

レール外れちゃったなって。

だけど、大学へ進学したところからまた少しずつ人生がひらけてきました。

いまだに、転職活動などでは高校中退をつっこまれ(そのあとも職を転々としてるので余計に)、説明に窮することが多いので、高校を普通に卒業するに越したことはありません。

出れるものなら出といた方が絶対人生が楽です。中退は一生ついて回ります。

だけどもしつまづいちゃったなら、少しだけ休憩したあと、またレールに戻る方法はあります。要所要所で道は悪いですが、めげずに探せば、転んでも立ち上がる根性を評価してくれる人はいます。

そんなこんなで、一本しかないレールに見える学生生活を、脇道を引きながら乗り越えたわたしの話でした。

社会人になってもそんなことばっかりやっているので、また今度社会人編を書こうと思います。

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