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愉しいを創り、愛を奏でる/autobiography "HUG" vol.3【たなか みほさん】


心を映すパーソナルストーリー
autobiography "HUG" 

vol.3はパーティプランナーの
たなか みほ さんです。

autobiography  "HUG" とは?

自分らしく生きたいと願う人の「半生」と「想い」を一つのストーリーにした自叙伝(=autobiography)。


どんな人も、どんな人生もすべて素晴らしく、価値がある。
ありのままの姿と人生を称賛し、ギュッと抱きしめる人生讃歌のような物語です。

自分らしく生き続けるためのお守りとして、そして、「共鳴」や「光」を生むきっかけになることを願って。

▼ "HUG"の詳細はこちら


profile
たなか みほ さん
1989年7月4日
滋賀県出身・京都府在住
パーティープランナーとして世の中にたくさんの「愉しい」舞台を創り、それぞれが自分らしく愉しみながらも社会の役に立つことができる場を生み出し続けるプラットフォーマー。
自らも全力で愉しむことで、自分らしく愉しむことが一番社会のためになるということを証明すべく、実験的感覚で様々な分野にチャレンジしている。
一方で、根っからの音楽表現者としての顔も持ち、クラリネットをはじめとした様々な音を通じて世の中に愛の周波数を届けている。

maegaki

フリーランスになってからお世話になっているみほちゃん。
「わたしのアイディアもらってください」というキャッチーなフレーズに誘われ、「絶対おもしろい人や!」とセッションのお申込させていただいたのが出会いのきかっけでした。
おもしろいこと・楽しいことをみんなとシェアしたい!そんなエネルギッシュなイメージが先行していましたが、彼女のことを知れば知るほどその背景には深い想いが隠されていました。
壮絶な人生経験から学び、得たすべてを体現し、世の中に還元したい…そんな想いの背景とは?

そんな、みほちゃんの半生を覗かせていただきました。
彼女が大切にしているクラシックの一曲と共に、ぜひ読んでみてください。


BGM : Wagner/Siegfried ldyll


miho's autobiography


一瞬の静寂のあと、真っ暗な会場は割れるような拍手で包まれた。

その拍手は、スポットライトを浴びるただ一人に向けて注がれた。

私は鳴り止まない大観衆の歓声を全身で浴びながら、クラリネットを抱きしめ深々とお辞儀をした。

夢のような光景に胸が詰まる。

もう一度会場をぐるりと見渡し、私は一人、舞台袖に戻った。

望んでいたような、いないような、そんな時間だった。



幼少期、私は毎日のように舞台に立っていた。
実家の小さな喫茶店の小さな舞台でいつも歌っていた。

パチパチパチパチ!!!!

みほちゃん上手だね〜!
可愛いなぁ。

そうでしょう〜!うまいんですよ、歌も踊りも!
みほ、もう一曲歌ってみな!

父と母はいつも嬉しそうに私のことを話した。
照れ臭かったけど、お店中に笑顔が溢れていた。

私が歌うと、みんなは笑顔になり、私が笑うと、みんなも笑う。

私の大好きな光景だ。

保育園でもたくさんの音楽に囲まれて過ごした。
歌やリズムだけでなく、コンテンポラリーな表現や和太鼓。
音を取り巻く世界観に、虜になった。
片道1時間ほどかかる道のりも、おばあちゃんと一緒に歌いながら歩いていたらすぐだった。

弟が生まれてからは、地域中の「ねぇね」として、みんなのお姉ちゃんになった。
心地のいい使命感で、私はいつだってみんなのアイドルであり、お姉ちゃんだった。

愛と音に囲まれた、それは幸せで温かい日々だった。


けれど、そんな柔らかな日々は、突然私たちの元から消えてなくなった。

大好きだったお母さんが家を出ることになってしまったのだ。
それは小学校2年生の時のことだった。あまりの突然の出来事に、この悲しい現実を受け入れることはできなかった。

お母さん、一人で大丈夫かな…
なんで家族が離れ離れにならないといけないんだろう…
本当のことが知りたい…

いろんな想いが溢れ、心の中では泣き叫ぶほど辛い毎日だった。
けれど、その想いを表に出すことはできなかった。

みんなのねぇねが泣いていたらだめだ
家族に心配かけたくない

そんな想いが膨らみ、私は無意識で感情を遮断した。涙を流すことも、寂しいと思うことも、ダメなこと。誰かに心を委ねることなく、感情のコンセントを抜いたのだ。
そうしないと、自分が壊れてしまいそうだった。

表面では明るく振る舞うことはできたが、感情の電源がつかない私は、いつもどこでもピエロだった。

大切なものがぽっかりと抜け落ちた日々は、楽しさのかけらもなかった。

大好きな音楽やリズムに関する様々な習い事の時間でさえ、なんとなく虚しさを感じた。あんなにやりたくて、あんなに家族を説得して、やっとの思いでやらせてもらえたのに。

学校でも、勉強はつまらないし、友達付き合いも表面的なものだった。おもしろいと思えるものは何もなく、田んぼと青い空しか見えない景色をいつも眺めて過ごしていた。

いったい私は何をしてるんだろう

そんな虚無感に襲われ、何もやる気が起きなかったし、理由もなく何もかもが気に食わなかった。

ただ、一番の親友だけは心を許せる関係だった。
彼女はとても真面目で頭が良く、裕福で幸せな家庭の子だった。性格も家庭環境も、私とは正反対のタイプ。自分は劣っている、彼女と比べては、いつもそんなことを感じていたが、私たちは心が通じ合っている親友だった。
そんな私たちが喧嘩をしたとき、一生懸命向き合ってくれた先生にも出会った。たくさん話を聞いて、たくさん叱り、全力でぶつかってきてくれた。ピエロのお面をかぶった私ではなく、本当の私の心の中とちゃんと向き合ってくれた。
こんな人もいるんだと心底驚いた。

それから程なくして隣町の学校に転校した。
その学校の空気は驚くほど優しく、みんな絵に描いたようにとても良い子ばかりだった。
それでも、孤独という言葉を知らないだけで、私はいつも独りで、「あの温かかった場所に帰りたい」と思っていた。


中学では、そんな空っぽの心を夢中にさせてくれるクラリネットと出会った。友達に誘われて入った吹奏楽部で、たまたま選んだのがクラリネットだった。
初めて触れるクラリネットは難しかったけれど、音を出すことが単純じゃない、その複雑さに引き込まれた。最初は自分より上手い人ばかりでついていくことに必死だったけれど、正直周りなんてどうでもいいほど、クラリネットに没頭した。

そして中学といえば、うちは異常なほど文化祭に力を入れる学校だった。文化祭のために結成された選ばれし生徒会役員が運営するそのお祭りは、私の心を魅了し続けた。

各学年の作品や劇、合唱、ファッションショー
出し物は中学生の文化祭のレベルではない。テレビで見るような、輝かしいランウェイがあり、クラスのスターが堂々歩くのだ。文化祭の最後には、立派なエンドロールとカーテンコール。
全てにおいて最高の演出だった。

私もこんな舞台を作りたい!

忙しい吹奏楽部との両立は周りの理解がなければ難しい。
同期や先輩たちにどう説明しよう…そんなことを考えていたが、そんな心配をよそに「みほならできる!」とみんなが応援してくれた。
自分のやりたいことを応援してくれる仲間がいることがとても心強かった。

みんなのサポートのおかげでやりきることができた文化祭は、最高に楽しかった。
特に、運営チームで踊ったダンスの舞台は忘れられないものになった。盛り上がる客席では蛍光ライトが光り、真っ暗の会場の中で揺れるのを舞台上で堪能した。

もっともっと、楽しいことをやっていきたい
そして、もっともっと、音楽を楽しみたい

どんなに学校がつまらなくても、本当はどこか孤独でも、クラリネットとこの場所が救ってくれた。

そして、たくさんの演奏会を見にいく中で、憧れの高校を見つけた。
憧れのその場所で自分の音楽をやりたい、その一心で受験をしたけれど、今まで勉強をおざなりにしていたつけが回ってきてしまった。
全く視野に入れていなかった、むしろ行きたくなかった高校に進学するしかなくなったのだ。

それでも吹奏楽部と楽団での音楽活動にアルバイトと、忙しなく毎日を過ごした。
そんな高校生活では、音楽の広い世界を教えてくれた先生や、私の想いを汲み取って引き上げてくれた先生との出会いもあったけれど、自分の音楽のスタイルを確立することができた感覚を掴めたことが一番の収穫だった。

自分自身のスタイルは見えてきた。
けれど、最後の演奏会では自分がメンバーのことを信頼しきれず、全体として思うような形で終わることができなかった。
でも、それが私を駆り立てた。

もっともっと、音楽を追求したい

楽しい、好き、それだけではない、なにか。
そのなにかを夢中で探していると、心はいつだって静かなのだ。
音楽は、抜け落ちたピースをそっと忘れさせてくれた。



卒業後は、家族に負担をかけまいと自力で専門学校に入学した。

専門学校では様々な音楽に触れ、たくさんの美しく洗練された音楽に出会った。クラリネットの本当の良さも知ることができた。

けれど、音楽を学べば学ぶほど商業音楽の世界に侵食され、私の思い描く音楽像とは遥かにかけ離れた世界だと絶望した。
厳しい先生の指導にも耐えられず、音楽の可能性や自分の感性は無残に打ち砕かれた。

信じている音楽と、現実世界での音楽。
その大きな相違は私の表現を混乱させた。

うまく表現できないのは人間関係でも同じだった。学校でも、楽団でも、アルバイト先でも、どこにいても自分らしくいられないどころか、存在すら自分じゃない感覚だった。

この不自由さが、もどかしかった。
もっとうまく表現できていたら、もっとうまく伝えられるのに。もっと可能性が広がるのに。そんな尖った心が顔を出しては、「なんで私をわかってくれないんだ」といろんなところにトゲを刺し回った。

自分の音楽だけは、信じたい
音楽だけは、自分を信じてくれるはず

周囲に心を閉ざし、頑なに手放したくなかったその想いだけで音楽に没頭した。
孤独な音を、それから何年も奏でていた。


卒業後、しばらくして一人暮らしを始めた。
住む環境を変え、新しい仕事も始め、自由を手にしたような感覚だった。新しいビジネスにも出会い、毎日がとても楽しかった。

24歳のときには、日本のトップレベルで活躍するクラリネット奏者の恩師とも出会った。私をちゃんと見てくれる先生のおかげで演奏の幅は大きく広がり、人生で一番気持ちの良い音を奏でることができた。

けれど、楽しかった日々も束の間、とあるご縁をきっかけにブルガリアの演奏旅行が決まったことで、幸せな毎日が一変した。

ブルガリアで触れた音楽は、衝撃的なものだった。
そのあまりの世界の深さに自分ではどう息をするかさえわからず、心は完全に置き去られた。
それでも飄々と演奏をこなす自分に、絶望した。

そんな状態のまま帰国した私は、目の前の日常を送ることは不可能だった。
音楽だけでなく、順調だった仕事やビジネスも手につかず、うまくいかないことを全てお金のせいにした。
判断材料も全てお金、そんなねじ曲がった思考では、何もかもうまくいくはずがなかった。
次第にアトピー性皮膚炎も悪化し、心身ともに追い込まれ、立っていることさえできないほど心も身体もボロボロだった。

そしてついに、私はクラリネットを置いた。

もう誰のことも信頼できない
音楽も、怖い

そんな絶望をただ生きていた。


そんな時に「宇宙の法則」という概念を知った。
とてもシンプルなその仕組みは、今の状況は全て自分が作り出していることを教えてくれた。
そして、自分が心を失っていることにもようやく気がついた。

自分の心の存在を思い出した時、美しい音楽が鳴り始めた。
美しい音色で囲まれたその世界は、心はいつだって穏やかで、豊かだった。
何もなくても、ただただ幸せな世界。
それは、幼少期の家族とのかけがえのないあの時のような感覚に近かった。

やっぱり、自分には音楽が必要だ

私はもう一度、クラリネットを手に取った。

その頃、たまたま働いていた祇園の会員制のバーではお客様にも恵まれ、オーナー社長やお坊さん、芸者さん、様々な職種の人から話を聞き、たくさんの人生勉強をさせてもらっていた。
面白い生き方をしている人が、この世の中にはたくさんいることを知ることができたし、何より、みんなが私のことを純粋に応援してくれるのが嬉しかった。
世界の可能性に触れ、人生に希望を見出すことができた。

それからは面白いように状況が好転した。

人間関係やコミュニケーションで悩む必要のない、温かくて素敵な楽団と出会い、音楽活動に精を出した。

楽しい!楽しい!楽しい!!
もっともっと、可能性を広げていきたい!

それからいくつか新しい仕事をする中で、音楽以外の可能性にも確実に触れることができた。
企業の広告制作の仕事では、チームで想いを形にする過程が最高におもしろかった。どうやら自分はアイディアがたくさん湧いてくる人間のようで、しかもそのアイディアが世間に通用することもわかった。
自分の理想が形になる感覚を思い出し、心が騒いだ。

もっともっと、自分の可能性を試したい
もっともっと、自由に「おもしろい」を感じたい

そんな想いに駆られ、本格的にフリーランスを目指すようになった。


複雑な家庭環境で育ち、お金や人間関係に悩み、孤独に苛まれ、生きる希望を失い、それでも生きたいと希望を探した自分は、何が大切で、これから何をして、何を実現していきたいのか。

ひたすら自問自答を続けて少しづつ繋がったそれら全ては、愛が起点なのだと気がついた。

大好きな家族が離れ離れにならなければいけなかったのも、愛情の裏返しであり、それぞれが自分自身を守るための、愛だと知った。
私はその愛に気がつかず、醜い感情、悲しい感情、寂しい感情、ネガティブな感情を受け入れることができずに全てを無かったことにし、溢れそうになるたびに周囲を攻撃し、自分を守ってきた。

そんな過去も全て、引き寄せたのは自分自身で、それは自分への愛の証だったのだ。

お母さんも、みんなも、もっと真っ直ぐに愛を伝えて欲しかった。
私自身も、家族にもっと愛を真っ直ぐに求めたら良かった。
そして、みんなを、自分自身を、もっと真っ直ぐに愛せたら良かった。
みんなが愛を真っ直ぐに伝えられていたなら、どんなに優しい世界だっただろう。

それに気がついた今、それら全てを受け入れ、等身大の「たなかみほ」で真っ直ぐ世の中に立つことこそが、その償いだと悟った。

そして同時に、唯一違う世界で回っていた音楽の存在の偉大さとも繋がった。

音楽を素晴らしいと感じられる心だけは、忘れてしまっても必ず自分の中に存在する自分だった。
その心はまさに、子供の頃に家族全員でただ生きていた、なんて事のない幸せな日常と同じものであり、「帰りたい」と願っていた安心安全の場所なのだ。

そんな世界を誰もが持つことができたら、いや、誰もが思い出すことができたら、ちゃんと愛を真っ直ぐに感じられる「心」を持つことができるのに。
そして、ちゃんと愛を真っ直ぐに伝えることができて、不毛な悲しさや孤独を生むことはないのに。


私は世の中に、これを届けたいんだ

音楽は全てを超越した世界の共通言語だ。
過去の私のように、孤独と悲しみのどん底にいる人も、どんな人でも音楽の不協和音が生む周波数なら救うことができるかもしれない。

ありのままの「たなかみほ」を生きることで、自分を愛し、そして世界に真っ直ぐ愛を伝えたい。
そして世の中に小さな明かりを灯し、今ある豊かさに気がつき、「感じる心」を取り戻せる人を増やしたい。
愛で溢れた毎日を過ごす中で「自分らしく生きることこそがこの世の中を救うのかもしれない」とたくさんの人が思う平和な世界を創っていきたい。


今は細々と続けている音楽活動と並行して、全く新しい価値を創造するための準備をしている。

「たなかみほ」の心が一番躍る「おもしろいこと」を世の中にたくさん生むために、たくさんの舞台を用意するのだ。
そこはまるで、実家の喫茶店のような、中学の時の文化祭のような、そんな誰もがスターになれる舞台。

「好きなように生きる」
そう決意した人が集まり、その人たちが最高に愉しい自分を生きられる場所。

そんな「おもしろい」の輪が広がる舞台を世の中にたくさん創り、イロトリドリなパーティーを開催すること。
そして、私は私で、音を奏でる舞台に立ち、愛を届けること。
それが「たなかみほ」の役割であり、「たなかみほ」の終わりなき表現への挑戦なのだ。

この表現の追求が終わる時が来るとすれば、それは私が魂に戻った時だろう。

この世界が、真っ直ぐな愛で溢れることを願って。

-- fin. --


atogaki

みほちゃんと初めて出会ったセッションの後、すぐにみほちゃんが運営する小さなサロンに入りました。そもそもサロンというものに入るのは初めてで興味はなかったのですが、なぜか引き寄せられるように入りました。そして、そこでの彼女の愛の深さに、私は圧倒されました。簡単に言えば懐が大きいという言葉になるけれど、そんな言葉じゃ表現できない、何か大きなものを感じました。少しずつ過去の話は聞いていたものの、今回じっくりお話を伺い、持って生まれたものだけでなく、この壮絶な背景からこの大きな「なにか」が生み出されたのかと思うと、もう自分のキャパを遥かに超える「なにか」にさらに圧倒されました。

なんだか、いつも楽しそうだし、「パーティープランナー」という派手な肩書をカジュアルに掲げていますが笑、それはそれで紛いも無い彼女ですが、この物語を通してその背景の愛の深さに触れることができるのではないでしょうか。

今回、あえて「サービス」については私の方で紹介はしませんでした。なぜなら、「たなかみほ」の世界そのものが「サービス=価値」であり、切り離した物質としての「サービス」は存在しないようなものだからです。あと、一瞬にしてMENUが変わるから、というのもあります。笑

「たなかみほ」に興味がある人は、本人に直接触れに行ってみてくださいね。
みほちゃんへのコンタクトはこちらから!

改めて、だから彼女は移りゆく自分の心を追求しながら「おもしろい」を創り「愛」を奏でる人なのだなぁと感じました。
つまらない幼少期は、「音楽」と出会うため。
孤独で悲しい家族の物語は、「愛」と出会い、
「おもしろい」を表現して生きるため。
壮絶な半生は、それらの「表現」を学ぶため。

これからの彼女を取り巻く一つ一つの事象も、きっと全てが彼女の「表現」に繋がり、世の中へ届ける「愛」の種となることでしょう。

ちなみに私は10年間ピアノを習っていたのですが、その私でさえBGMを聴いて、長いなぁ。壮大な曲だなぁ。くらいにしか感じることができませんでした。彼女の言う「豊かな心」の深さは計り知れません…。
また、彼女曰く、クラシックの曲の長さは、今と時間軸が違う表れなんだそう。このBGMが、忙しない今を心なくただ生きていることに疑問を抱くきっかけになったのなら、間違いなくみほちゃんに会うべきです。

そして、一見未知の世界のようで本当はみんながすでに持っていて忘れているもの。それを思い出したいのなら、「たなかみほ」に触れに行ってみてください。感じる世界は、きっと変わります。

これからのあなたと、そしてみほちゃんの幸せを願って。


(2022年5月22日 / kato erika )

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