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クリームイエローの海と春キャベツのある家を探検する

 たまたま見たドラマの、たまたま聞いたセリフが、妙に頭に残ることがある。

 そのドラマの主人公である主婦は、目の前にいる夫にこう言った。

「私は毎日、マイナスをゼロに戻してるの」

 足の踏み場が確保されたフローリング。衣装ケースに畳んでしまわれている洋服や下着。温かいご飯。いつの間にか沸いているお風呂。

 快適な生活を送るためにある行動の前後には、必ず家事がついて回る。

 妻の悲痛な叫びを、夫がどう受け止めたか、その後のドラマの展開は憶えていない。
 だが、家事をすることを、

「マイナスをゼロに戻している」

 と表現したこのセリフは、どういうわけか、ずっと心に残っていた。

 せやま南天さんのデビュー作、
「クリームイエローと春キャベツのある家」
 を読んだとき、自ずとそのセリフが頭に浮かんできた。


 主人公の津麦つむぎは、家事代行の派遣会社に登録したばかりの新米スタッフだ。
「きちんとしなさい」
 が口癖の母から家事を仕込まれ、新米といえども、きちんとした仕事のできる《カジダイ》さんだ。

 そんな津麦が新たに派遣されることとなった織野おりの家は、一家6人暮らし。妻を病で亡くしてからというものシングルファーザーの朔也さくやが、これまで子育てと家事を一手に担っていた。

 織野家に到着し部屋に上がった津麦は、その惨状におののく。

 折り重なるように散らばる洗濯物の海。
 幼い子のいる織野家には、やさしい色のタオルや服が多いのだろう。津麦の目には、その海の色が、クリームイエローのように見えた。

 キッチンの流し台も荒れに荒れている。
 部屋がクリームイエローの海なら、こちらは油をまとった漂着物が山積している海、といったところだろうか。

《きちんとしている》母に育てられた津麦は、この荒れ果てた状態に、当然ながら面食らう。
 時間内に任務が遂行できるか不安になり、ここに住む子どもたちが安全な生活を送れているのか、心配になってしまう。

 家族の問題というのは、人目に隠されて見えないものだ。読んでいるこちらもつい、ネグレクト、というニュースで聞いた言葉が浮かんでしまう。

 少し話がそれるが、以前、ある芸人さんが、ラジオでこんな話をしていたのを聞いた。

 同じマンションの、同じ間取りで暮らしている隣人が、部屋にどんな家具を置き、どういった暮らしをしているのか、なかなか知ることはできない。
 テレビ番組で、タレントのヨネスケ氏が、一般家庭の食卓にやってくる
「突撃! 隣の晩ごはん」
 というコーナーがあったが、ある意味あれは《探検》なのかもしれない。
 もしかしたら一番身近にある秘境は、全く同じ間取りの、隣の部屋なのではないか。

 随分前に聞いたラジオでの話なので、実際の内容は、もう少しニュアンスが異なるものだったかもしれない。だが、私はこの話を聞いたとき「なるほど」と、膝を打った。

 アマゾンに行ったり、マッキンリーに登ることが探検だと思われがちだが、実はすぐ隣に秘境がある。

 津麦は、織野家に広がるクリームイエローの海を眺め、その荒波に驚き、冷蔵庫にある春キャベツを発見し、青々とした鮮やかな色に安堵した。

 こうしてみると、津麦が生業としている家事代行スタッフの仕事は、《家の中》という秘境を行く探検家のようだ。

 探検には新たな発見がつきものだ。
 この家族との出会いがきっかけに、津麦は自分の母との関係や、これまでの人生や暮らしを振り返っていく。織野家にも、新たな問題が浮上したことで、変化が起こり始め、それが《新たな視点》という発見につながっていく。

 お互いの存在が風穴となり、滞っていたものが解放へと向かっていく過程を読んでいると、まるで海風に吹かれたような爽やかな気持ちになる。

 これは、せやま南天さんの繊細かつ、書きすぎないちょうどいい按配の描写や、文体の爽やかさによるところが大きい。私は、せやまさんの文体は風のようだと思っていて、その風に吹かれる度に、空気が入れ替わったような新鮮な気持ちになる。

 人は、汚さずに生活することはできない。
 誰かがどっかりソファに座れば、抜け毛やら菓子の食べかすがフローリングに落ちる。食事をすれば、食卓には油が浮いた皿が残り、風呂に入れば垢が風呂釜にこびりつく。

 当たり前のことなのに、人はそれを常に意識しておくことは難しい。

 片付いていることが当たり前。それを《ゼロ》の状態と捉えるならば、家事というものはプラスの行為ではなく、ただひたすらマイナスをゼロに戻す行為だ。

 人はプラスとマイナスを注視するが、ゼロにはあまり関心を持たない。

 家事は、注目されない行為の連続だ。
 注目されたとしても、それは今でいう《丁寧な暮らし》と呼ばれる、センスを感じさせる整った生活だったりする。

 ああいった美しい生活に憧れはするが、あの状態は決してゼロではない。
 家事を行うことと、家事を魅せることは、イコールではないと私は思う。
 でもあの様子を見て、自分の家と見比べ、後ろめたい思いに苛まれている人は、案外、多いのではないだろうか。

「クリームイエローの海と春キャベツのある家」は、そんな後ろめたさを癒やしてくれる作品だ。
 終盤には、この小説の肝ともいえるセリフがある。その一言を読んだとき、ふと肩の力が抜け、心が軽くなった。怠惰な私ですら、そうなのだから、ヘトヘトになるまで頑張っている人にはなおさら、ホッとできる一言になると思う。

 いかに効率的に家事をするか、料理をするか。
 そういったライフハックを紹介する書籍は山のようにあるが、小説というジャンルで、ここまで家事に向き合った作品は少ないのではないだろうか。

「え? 家事がテーマの小説なの? せっかく小説を読むなら、ミステリーとか、SFとか、ファンタジーとか、ワクワクするものを読みたいよ」

 なんて思ってしまう人もいるかも知れない。
 でも、どんな暮らしの中にも物語がある。当たり前の生活の中に、秘境が潜んでいる。

 家事は死ぬまで続く、生きるための行為のひとつだ。

 だからこそ津麦と共に織野家を探検し、自分の心に残るものを、発見してみてほしい。その発見はきっと、やさしくてあたたかい、ホッとするような宝物になると思う。



note創作大賞2023受賞作品
出版された作品は、このnote投稿作品から大幅に加筆されたものです。読み比べてみるのも面白いですよ。


こちらから、出版に至るまでの編集日記が読めます。



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