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エジプト航空MS865便と職業選択のじゆう

 持っている理由もなく、捨てられないモノがある。だいたいが旅先での領収書、切符の半券、ビールのラベル、チョコレートの包み紙だったり、他人が見ても意味不明なものばかりだが、なぜか捨てられない。

 旅に出ても写真を撮らない、メモも取らない、ましてや日記も続かない、記録という記録がない不精な人間にとって、日付と金額がきちんと記入され、紙だから重くもなく更にかさばらないとくれば、これ以上の旅の手軽なエビデンスは他にない。

 しかし、これも本来不精な人間だから、国別、年代順に整理されているわけでもなく、ただ段ボールに乱雑に放り込まれているだけ。
 見ただけでいつの何処だったのか判別つかず、大きく溜息をつきながら、思い出そうと一枚一枚見つめ、また記憶の旅に出る・・・

 埼玉で学生をやっていた頃、出国はもっぱら成田になり、選択肢が増えたことが嬉しかった。沖縄の人間にとって安く出国できる唯一の方法は、安謝港から出る基隆行きの飛龍しかなく、海外で出会う首都圏のバックパッカーたちが好んで利用するPK(パキスタン航空)やMS(エジプト航空)といった出国方法は、単に安さを享受できる手段だけでなく、地方在住者にとって憧れでもあった。

 ついに格安航空券の代表格でもある、成田発バンコク行きのエジプト航空MS865便の機上の人となれ、嬉しくこの上ない。貧乏旅行者を自認する一介のバックパッカーとして、またひとつ研鑽を重ねることができ、尾翼に近い末席の通路側だろうと、ムスリムのお国柄だから8時間お酒ナシねと言われても、何の苦でもなく、終始機嫌がよく、見知らぬ隣人に用もなく話しかけたりもした。

 機体が水平飛行に入り、慌ただしくトイレに急ぐ乗客が増え、順番を待つ外国人の乗客同士が、片言の日本語で会話しているのに驚いた。
「ワタシはタイ人です。カワグチでハタライテいます。アナタの給料はイクラですか?」
「ワタシはフィリピン人です。イバラギでハタライテいます。給料はトテモヤスイです」
 もっぱら待遇に関する内容が殆ど、外国人同士が意思疎通のため日本語を使う光景に戸惑いつつ、ふと辺りを見渡すと乗客の大半が外国人労働者、機内のあちらこちらで盛んに立ち話しており、この機上の空間は、転職情報を得ようと意見交換する場と化した。

 通路を挟んだ席に座る青年と目が合い、軽く会釈し、「コンバンワ」と彼から話しかけてきた。彼はパキスタン人、埼玉で働いている、ビザの切り替えでバンコクに行くなど、彼の日本語もしっかりしている。
 何気なしにお互い握手を交わし、屈託のない笑顔とは裏腹に、歳相応の手ではなく、爪は黒く染まり皮は硬く荒れ、表情は疲れ切り、彼自身過酷な労働環境下にあることを如実に物語っていた。

 1989年、時代は高度成長期の真っ只中、人々はバブルに浮かれ、高給で楽なバイトが山ほどあり、友人知人から人手が足らないと引っきりなしに連絡がきて、時給と内容で仕事が選べた。

 「職業選択のじゆう~ あはは~ん♫」、今こそ転職を謳歌せよ、無数の転職情報が飛び交い、新卒者には企業からの囲い込みが始まり、まさに黄金の国かと錯覚してしまうほど、モノやカネ、情報が溢れ、人々は浮かれ、狂気乱舞する。

 その一方で、人手不足はあらゆる方面に波及、重労働、低賃金、危険な仕事は、外国人労働者に押しつけられる構図が加速。毎日を必死になって働く彼ら外国人労働者は、転職情報とてなく、それ以上に、リスクを冒してまで彼らを雇用しようとする雇い主も限られ、自分の環境さえ、変えようにも変えられない現実がそこにある。

 少しでも良い仕事を得えたい、僅かでも人間らしく生きたい、拙い日本語で必死になって情報交換する彼らのひたむきな姿に、暫し考えさせられ、なぜか無性に酒が飲みたくなった。それも浴びるほど飲み、前後不覚になるほど酩酊せずにはいられない。
 しかしそれも叶わず、ただ深々と席に沈み込み、彼らの声なき声を、まぶたを閉じて聴くしかなかった。

 今も手元にある捨てられない一枚の半券を見るたび、疲れ果てた彼の手が鮮やかによみがえる。

旅は続きます・・・