むかし中国の大理を旅していた時 其の1
むかし中国の辺境の街、大理を旅していた時、そこまで辿り着くのに、広州市から立すいの余地もない席無し鈍行列車に三日間揺られ、やっとの思いで雲南省の昆明に着き、それからさらに夜行バスで峠を幾つも超え、車中で一夜を過ごすと、やっとこさ目的の街、大理に着きました。
大理石の大理です。ちっとも珍しくもない大理石をわざわざ見る為に、正味五日間の陸の移動をしたわけでなく、中国に行ったらまず大理を目指せ、行ってきた旅行者すべて異口同音に口を揃えるので、それじゃあ行きますかねえと、難行苦行の旅人となった次第です。
夕暮れ頃に格安と定評の大理第二招待所に投宿、その日はぶらぶらと街を散策しながら、これまで通過してきた中国小都市の街と、どこがどう違うのか、香港で仕入れた情報の “ぜひ行くべき大理” とは何なのか、五日もかけて来る意味をさほど見出せぬまま、翌日の朝を迎えます。
違いは翌日の早朝にありました。だいたいバックパッカーという輩は、寝たい時寝て、起きたい時に起きるという非生産的この上ない生き物ですから、朝何かに起こされるということは殆どありませんし、また自主的に起きようともしません。長距離移動の疲れか、ぐっすりグウスカ高いびきで気持ちよく寝ていると、突然の大音響で思わず飛び起きてしまいました。
一体全体何が起こったのかと外を見渡すと、寝ている大部屋の窓近くにスピーカーが広場に向け設置され、その広場にはバレーボールコートが三面あり、それぞれのコートで老人たちが元気よくバレーボールに興じ、さらに流れている曲が、高音調の全世界共産人民哀歌なんかではなく、ジャマイカのレゲエでした。
これは現実なのか、それとも夢なのか、中国なのか、パタヤビーチなのか、いささか、というか大変混乱してしまいました。
バレーボール、ビーチ&ビキニ、レゲエという組み合わせは、難なく理解できます。自分を解放するためバカンスをとって、輝く太陽のもと白い砂浜で、ビーチバレーに興じ日常のストレスを発散したり、波打ち際で元気にはしゃぐビキニの女の子たちを、実はしっかり見ているのに、本を読む振りして視線をサングラスで隠し、ニヤケながら冷えたビールを旨そうに飲みレゲエに酔う、という絶対方程式の解であることは頷けます。
しかしここは紛れもなく中国、そしてバレーボール、元気な老人、レゲエという組み合わせをどうしても理解できません。
五日間の陸路を辛い思いをしてやっとここまで来て、ヒマラヤ山脈のふもとに吹き荒れる強風にさらされ、寒さに打ち震えながら、バレーボールに興じ元気にはしゃぐ老人たちを安宿三階の窓から眺め、顎が外れるぐらいあんぐりと口を開け、瞳孔も見開き、驚きのあまりに言葉を失い、手にしていたウーロン茶を床に落とし、早朝からレゲエに叩き起こされるという、難解方程式の解をどう考えても導き出せません。
普通老人が朝からする運動とは、負担の少ない静の太極拳とかゲートボールでしょう、なんで朝からあんな激しい運動のバレーボールなんか楽しそうにできるのか、さらに「ビキニとレゲエ」ならぬ、あってはならない組合せ「老人とレゲエ」。
中国だからと言って、じゃあ-まあ-いいか、と妥協することも、心の整理もつかず、今まさに目にしている信じられない光景を帰国してどう説明できるのか、きっと誰にも信じてもらえず相手にもされず、そのうち部屋に引きこもっていること間違いありません。
ただ、見るもの聞くも全てが異次元の世界のような中国で、これまたビールは非常に安いのです。それも百キロ越えたら違うメーカーのビールに出くわし、まさに地ビールの宝庫、私にとって桃源郷のような国ですが、しかしそこは中国、やはりあってはならない最大の問題があります。
それは冷えたビールがありません。それもそのはず、文革の嵐が吹き止み、開放政策をとったばかりの80年代後半の中国ですから、外国人が行くレストランですら、ビールを冷蔵庫で冷やすという概念がなく、常温で出されるのは当たり前です。
私が通う安食堂は当然安く、されど料理は気にしなければ食べられる程度、今日も頑張った自分にご褒美と頼んだビールは常温、いてもたってもいられず、宿に戻り簡素な寝床の薄い毛布にくるまって、窓から見える中国語のスローガンらしき紅い横断幕を見ながら横になると、なぜかしら一筋の涙がこぼれ落ちてきました。
なんで朝からレゲエの大音響で起こされるのか、なんであんなに老人が元気なのか、なんでこんなことしているのか、これでいいのか、と訳が分からず、だけど、冷えたビールが飲みたい・・・ ほんとうにお願いします・・・ と、想いをパタヤビーチに寄せると思わず顔がにやけ、いつしか寝入ってしまいました。