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21_21 DESIGN SIGHTでギャラリー1&2とギャラリー3を観た後、ミッドタウン・ガーデンのガーデンアーチ(橋)からガレリアへ入って、サントリー美術館へ。

100%個人の感想ではありますが、エモーショナルな展覧会でした。

四百年遠忌記念特別展
大名茶人 織田有楽斎
2024年1月31日(水)~3月24日(日)
サントリー美術館にて

前売りのQRコードを入口で読み込んでもらうと、6Fホールで映像を見てから4F展示室に降りるのがお勧めと言われ、まずは6Fへ。

この日はグラフィックを観て面白いと思い、金工芸を観て凄いな~と思った後でしたが、映像を観るうちにすっと落ち着いてくるのがわかります。

第1章 織田長益の活躍と逸話―“逃げた男”と呼んだのは誰か

ポスターの《織田有楽斎坐像》がお出迎え。柔和なお顔ですなぁ。信長の、13歳下の弟です。

本能寺の変なども生き延びたことから“逃げた男”と評されたそうですが、「世間では正しくない事も伝わっているので、本当の事を記すぞ」という織田家側の文書も展示されていました。こちらは織田贔屓かもしれず、なんとも言えないところではありますが……。

第2章 有楽斎の交友関係

秀吉側にあっても、常に徳川側に配慮していたとのことですから、和を尊び戦を避けたのかと想像しています。

家康の書状だったと思いますが
「有楽斎によく言っておいたから、心配しないように」
とありました。それだけ信頼できる人物とされていたのでしょう。

この時代において、私が気になるのは古田織部。茶人同士の交流はもちろんあり、展示されていた織部宛の書状には「古織殿」と書かれていました。
かつての同級生に、アンドウユウコだからあだ名がアンユウという人がいて、「古織」も同じだわ!と、時代を超えて親近感を覚えてしまいます。

お茶へのお誘いの書状もありました。この時代の手紙事情ですから、届いたら当日とか、過ぎていたとか、日常茶飯事だったようです。

交友関係をまとめたパネルがあり、大名、利休をはじめ茶人など華やかな人名が並ぶ中、「その他」の欄に光悦の名がありました。やっぱりカテゴリに分けにくい人なのですね。

第3章 数寄者としての有楽斎

お待たせしました、お宝ざくざくコーナーです。

公式サイトにもある《唐物文琳茶入 銘 玉垣》は、修復前の写真も展示されていました。どうやったらこんな粉々から茶入に復元できるのか、というほど粉々でした。

利休の手による茶杓は象牙製だったと思いますが、ほぼフラット。竹の茶杓でもあまり曲げていないものもありますが、自分が習ってきた感覚では使いにくそうです……まぁ、お茶はかじったぐらいですしね。

利休といえば、先日さみみのみみは何の耳?さんが、身長について面白い記事を書かれていました。

利休は180cmもあったのですね。対して秀吉が140cm。大きいだけで、精神的にも威圧感があったのかもしれません。私はナポレオンと家康の間ぐらいですが、ヨーロッパ企業に勤務していた時に、オランダ人やドイツ人が来ると約2mなんですよ。威圧というか……見上げて首が痛くなる感じです。

話をお茶に戻しましょう。青磁です。
《青磁輪花茶碗 銘 かすがい
ヒビの入った茶碗に鎹を打つこと自体がかなりのリスクだと思いますが、トーハク所蔵の《青磁茶碗 銘 馬蝗絆》と同様に鎹が打たれています。

重要美術品の《大井戸茶碗 有楽井戸》は見覚えがあったので、恐らくトーハクで観たのでしょう。

ぐっときたのが、有楽斎の茶道具を引き継いだ孫の織田三五郎の遺言です。
自分には子がないゆえ、このようにお願いを申し上げるもので……といった書き出しで始まった、割と最初の方に家来についてのお願いが。

自分に良く仕えてくれた者であるため、自分の死後に「お願い」をするかもしれないが、それには応えず、だったら敷地内に庵を建てて自分の命日にお参りするよう命じて欲しい、とあったのです。つまり、後追いはさせるな、と。お参りを仕事と命じれば、生きていられるだろう、と。

現代の上司と部下とは違い、ずっと深い間柄だったことがわかります。歌舞伎の忠臣蔵を何度も観てきて、このような間柄だと赤穂浪士みたいなことになってもおかしくないと思うのです。

第4章 正伝永源院の寺宝

臨済宗建仁寺派の塔頭寺院である正伝永源院(京都市東山区)には、「正伝院」と「永源庵」の二つの歴史があって、正伝院は元和年間(1615~1624)に織田有楽斎により再興され、隠居所と茶室「如庵」が建てられたそうです。

その「如庵」についてのパネルが壁にあり、床に白線で茶室のサイズを示してある、と書かれていたので振り返ると、確かに白い線で囲まれたところがあり、かなりコンパクトです。ピンスポが当たっているのが、炉の部分でしょうか。

3階に降ります。

第5章 織田有楽斎と正伝永源院―いま、そしてこれから―

階段で降りたところが好きです。障壁画でしたっけ……。若冲と蕪村の時は、ここに若冲の『象と鯨図屏風』がいました。

6階で観た映像にも出てきた供養塔の詳細が、ここにも展示されていました。その近くに、本阿弥光悦の書状もありました。

ショップに狸グッズがあり、そんなのあった?と思いましたら、後期の展示のようです。あんな可愛いの、あったら気づきますもの。

《架鷹図(部分)》《青磁輪花茶碗 銘 鎹》

目がくりっとして可愛い鷹と、やはり青磁茶碗を。

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