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青少年がスポーツに励む本当の理由

こんにちは。

今年から『体育の日』から『スポーツの日』と名称の変更が行われました。今年は7月24日金曜日でした。スポーツの日でしたが、僕は普段と変わらず、読書と執筆と散歩にて、1日を終えてしまいました。来年はスポーツに励む1日にしたいものです。

僕のスポーツに打ち込んだ話を少々・・・。

大学では武道系の部活動に所属していました。年功序列といいますか、完全なる縦社会ですので、上回生は神のような位置付けでした。生まれた日がたった数年違うだけで、扱いが変わります。
とある先輩が言っていました。『先輩の言うことは絶対だ!!!』と・・・。いやあ、懐かしい。
部活動と言いますのは、とある村のような役割分担が劃然となされております。
主将は村長。副将は副村長。マネージャーは会計担当。OB,OGは長老…。
上回生は練習直前に現れて、練習後に早々と去ってゆきます。正しく貴族のように。下回生は、いち早く練習環境を整え、上回生が快適に練習出来るように、彼是気配りをします。正しく労働者のように。
こうやって分析してみますと、村そのものだと思います。

こんな縦社会に疑問も感じつつも、抜け出すことは滅多にない。何故なら、抜け出す術も知りませんし、もし抜け出すとなると過度なエネルギーを使います。退部関係で揉めるケースは散見されます。
決して、部活動の縦社会に異論を呈するつもりはありません。
上回生と練習後に行くラーメンは、この上ない味に感激します。上回生から、未知の世界へ連れていってもらい、見聞きしながら少しずつ成長してゆきます。各部活動のOB,OG会が連綿と継承されていますから、部活動へ勤しんだ日々は刹那的であり、永劫的に記憶へ刻まれている事でしょう。そして、きっと今日もどこかで、OB,OG同士が部活動で汗水流した日々を咀嚼しつつ、美味しい酒に酔いしれていることでしょう。


こうやって、いろいろと述べましたが、何故ゆえに青少年がスポーツをするのか、について言及すると、ちょっと難解です。

スポーツを上手くなりたいから?

上手くなりたいならば、クラブチームに所属し専属のコーチから習う方が上達が早いでしょう。上記で記載しました、部活動と言う名の村社会で、技術習得以外の時間を割愛出来るからです。

先輩や顧問の先生への恩義?

もちろん、恩義はあるでしょう。しかし、恩義という儚い感情だけで、身体に鞭を打って厳しい稽古をするものでしょうか。


青少年がスポーツをするのかについて、的を射た言葉があります。


三島由紀夫先生の著書 「鏡子の家」

青年にとって反抗は生で、忠実は死だ。これはもう言い古されたことだ。ところで青年にとって、反抗が必要なのと同じくらい、忠実も必要で、美味しくて、甘い果実なんだ。スポーツマンはいいよ。反抗のエネルギーをみんなスポーツに使って、忠実のエネルギーをみんな先輩に使う。至って単純な構造だが、青年の法則にちゃんと則っている。


完結過ぎる表現に、僕の魂が吠えました。その通り、その通りだ、と。

自他の区別が芽生え初めて、世界の全てに納得いかない青い日々。忠実はダサく、反抗したい日々。ですが、忠実した気持ちもある。ロックスターを真似てみたり。
そんな中で、フラストレーションをスポーツにぶつけ、忠実を先輩に使う。

素晴らしい構造ですね。


もし、スポーツされている青少年の方が、花子出版のnoteに辿り着きましたら・・・。


スポーツを行なっているあなたの姿は生理現象のようなもので、何も間違っていません。有意義な時間を過ごしている最中なのです。


と思って頂けると幸いです。


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花子出版   倉岡 



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