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日本人の脳

こんにちは。

以前、芥川龍之介先生の『妖婆』の中で『雨声』という表現を取り上げました。

日本人は、自然の音を「声」として捉える特殊な民族です。なぜだろう?と疑問を持っていましたが、すこしだけ氷解しましたので、そのことをメモを。それを時鍵は、先日買った古書にありました。


日本人の脳  角田忠信 著     大修館書店

日本語は母音主体の言葉です。英語などは子音主体です。アイウエオと、それぞれに意味がある場合があります。「あ、しまった」や「あ、いけない」というような、「ア」。井や胃の「イ」。鵜や鳥の「ウ」などなど・・・。
イタリア語やスペイン語なども母音主体であるが、母音一つ一つに意味を持っているわけではない。
日本人の脳だけが、母音に対して特殊な反応形式を示す、と考えられます。
脳には右脳と左脳がありまして、雑音となるものは右脳へ入ってしまいます。西欧人の場合は自然界の音などは無意味音として右脳に入り、処理される。しかし、日本人の場合は、動物の声のようなものも左脳に入ってしまう。スイッチが違うようです。
この音の振り分けによって、西欧人の方が論理的で、日本人は感覚的だという点につながっている可能性を示唆されています。

と、上記のような多岐に渡った内容が、実験結果をベースに詳しく記載されています。どの内容も非常に面白いです。日本人と西欧人の優越を述べるつもりはありませんが、そもそも脳の構造が違うのですね。

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創造について書かれている章では、興味深い内容でしたので、拝借。

さて、日本人が過去に行なった創造活動の最も活発であった時期は、日本及び日本人が、諸国と隔絶して、文化の交流が絶たれ、日本人が模倣という精神活動から一時全くつき放たれた時期、すなわち十七世紀から十九世紀にかけての鎖国時代ではなかったろうか。現代日本の伝統とされている主として芸術の面の大部分は、実は、徳川時代のこよゆるやかな発酵期間に形成されたものといわれている。明治以降の日本及び日本人は、短い第二次大戦中を除いては欧米の影響をまともに受けてきたが、この一世紀以上の間に日本人の頭脳で創造し得た文化の所産となると甚だ乏しいのに愕然とする。我々、日本人はこの一世紀の間に、あるときは過去の日本の土着のあらゆる文化を否定してまでも西洋を受け入れてきた。そして現在の自然・人文科学の領域におてい、学習に費やされる知識の源泉は、殆どが西欧由来の文化や技術であり、我々はこの西欧化・近代化を進める上の理想像としては、西欧人の理性になり切って自然や物事を考えるという観点に立つことを画いてきたのである。
しかしこのような観点に立ち得たとすれば、それは完全に西欧人の窓枠で物を考えるということにほかならない。他の文化圏を観察し、自然を認識する窓枠は日本人である限り、日本的な窓枠から抜け出て西欧の窓枠に組み変えることはでき難いのではなかろうか? そしてこのような借りものの窓枠で自然認識を続ける限り、日本人の頭脳で考えた日本的独創というものは決して生まれてこないのではなかろうか? 鎖国し易い地理的条件を持つ日本が、その長い鎖国の間に熟成した特異な文化は主として日本人の美意識に根ざすもので、決して自然科学に志向する形には創造活動が進められなかったことは、日本人のもつ、自然認識の窓枠を理解する上で重要なことであろう・・・。

と続きます。

なるほど、歌舞伎をとっても、江戸時代に熟成された日本古来の文化といえるでしょう。その歌舞伎に憧れ、海外から多くの観光客が来日されます。
日本人の脳の構造が、そもそも違うとするならば、どれだけ西欧窓枠の価値観で、現代の文化や文明を推し進めても、それは日本には根付かない文化と仮定できます。興味深くなってきました。
では、日本人の窓枠から見た、創造とは一体どのような物なのでしょうか。僕が書いている小説ですら、西欧の窓枠から書いている可能性すらあります。幼少期から、西欧由来の物で教育を受けていたと記憶していますからね。
模索せねばなりません。

と、このように少々尖った内容も記載されています。現代人には寝耳に水。僕もそうです。なぜなら、哲学の礎を揺るがすような内容だからです。


しかし、文中には以下のような記載もあります。

日本が先進国になり得たと共に、日本伝来の特異な文化を維持し得たのは、日本語を高度に発達させた先人の努力と、それを支えた日本の文化の高さにあったのである。この意味で日本人は日本語が続く限り、将来いかなる科学、政治上の変革があったにしても、日本語を原点として、日本人の脳の特徴にマッチした文化は埋没することなく維持することができるものと、私は確信している。

と、力強い言葉が記載されています。なんと心強い言葉でしょうか。日本語を使い続ける限り、日本の文化が維持される。永久機関のような魅力ですね。

言語や文化を大事にする花子出版でありたいと思います。

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花子出版   倉岡


文豪方の残された名著を汚さぬよう精進します。